第78話 目的達成

 それから、ケルドルン侯爵がロザリーと俺の滞在しているときにこのようなことになったことを謝罪した。


「……この地を治める領主として、誠に情けなく思います……。しかし、この地が危険であり、治安が悪い、と思われませぬよう。今後も領主として、よくよく努力して参りますので、どうか……」


「ケルドルン侯爵。今回のことが突発的な事故であったことは私にもよくわかっておりますわ。もちろん、すべて内密にいたします。ジャンヌ殿が無傷で戻ってきて、本当によかったと、衷心より思っております」

 

 ロザリーはそう言って微笑んだ。

 ……そうしているとまさに、折れやすい深窓の令嬢のように一瞬見えなくもないな。

 結局、目力が強すぎるのでやっぱり印象は炎のような女性だ、というのに戻るが……。

 そんなことを思っていると、ロザリーに少しにらまれる。

 心が伝わってしまったらしい。

 危ない。

 

「そうおっしゃっていただけると、ありがたく存じます……。今後の滞在も、どうかお楽しみになられるよう」


「もちろんですわ」


「アイン殿も……?」


 侯爵にそんなことを聞かれては、首を横に振るわけにもいかない。


「私も叔母と同じです。ジャンヌが攫れたと聞いて、私も気が気ではなかった。こうして戻ってきたことに、本当に喜ばしく思います……ジャンヌ、本当に怪我はないね?」


 そう尋ねて、彼女の手を取り、見る。

 ここに土塊人形が運んでくる間に何か傷を追っていないか、少し心配だったのだ。

 ジャンヌの手は白魚のようで、なめらかで、顔にも傷があるようには見えない。

 貴族女性にとって、見える場所に傷を負う、というのは大変な話だからな。

 ロザリーみたいな女性でない限りは。

 その意味で、ジャンヌの傷が見えないことに安心する。

 また、評判という意味でもジャンヌに傷がつくことはないだろう。

 今日起こったことを知っているものは皆、口を噤むのだから。

 ケルドルン侯爵が雇っている兵士たちの中でも詳しい事情をはっきり知っている者は少ないはずである。

 ジャンヌは探させはしたのはもちろんだが、後で、ジャンヌがいなかった、と思ったのは気のせいだった、という話になるはずだ。

 そうすることで、ジャンヌの評判を守るわけだな。

 まぁ、もし話を広めようとする者がいたら、俺がどうにかしてもいい。

 数日の間は兵士たちや使用人の動向を見ておくことにしよう。


「アイン……ご心配をおかけしました。わたくしは大丈夫ですわ」


 知っていますでしょう?

 という意味ありげな視線を俺に向けるジャンヌ。

 それをめざとく見つけたらしいロザリーが、


「……あら? なんだか、仲が深まりましたか?」


 と尋ねてきた。

 女性らしからぬ直接的な聞き方なのはまさに彼女らしい。

 俺はそれに答えようと口を開こうとしたが、その前にジャンヌがロザリーに言った。


「……ロザリー様」


「はい、なんでしょう」


「わたくし……もう、イグナーツ様については、諦めますわ」


「あら……?」


 これにロザリーは少し驚いたように眼を見開き、それから俺を見る。

 俺はそしらぬ顔だ。

 たぶん、ジャンヌがそうなった理由を俺は何となく分かっている。

 分かるが、それをロザリーに説明するならあの廃教会でのことをすべて説明しなければならないのだ。

 しかしそれは出来ない。

 つまり、俺は何か言い訳を考えなければならない……。

 続いて、ケルドルン侯爵も驚いた顔をする。

 ジールはそうでもないな。

 事情を知っているから、だいたい想像がつくのだろう。


「ジャンヌ……。もちろん、イグナーツ殿はロザリー殿の夫。本来、お前がどうこうすることなど出来ない相手だ。だから、それで全くかまわないのだが……ただ、気にはなる。突然、どうして気が変わったのだ?」


 ケルドルン侯爵がジャンヌにそう尋ねると、ジャンヌは言う。


「突然、というわけではないのです。お父様。わたくし、人を好きになる、ということがよくわかってなかったのだと思います」


「ふむ……?」


 先を促すケルドルン侯爵。


「ええと、なんと申しますか……有り体に申し上げると、本当に好きな人が出来ましたの。ですから……」


 それは誰だ、とはケルドルン侯爵は聞かなかった。

 さすがにそれは彼にも想像がついたからだろう。

 それに、当初の予定通りでもある。

 だから、ただ頷いて、


「……そうか。分かった。だが、そうなると……修行の方はもう、やめるのか? あれは……このような言い方は失礼かもしれないが、イグナーツ殿を賭けて、ロザリー殿と戦うためのものだったのだろう? ということはもう……」


 しかしこれに、ジールが口を挟む。


「身を守る術を身につけていただく、ということですから、まだ継続しては? せっかく身になりそうなのですし、今やめるよりは続けた方がよろしいかと」


「おっと、その通りだった。しかし、本人の意思が伴わなければ武術は難しい。ジャンヌがやめるというのなら、それはどうしようもないが……」


 ケルドルン侯爵がそう言って、ジャンヌを見た。

 ジールも彼女を見ている。

 どう答えるのか、待っているわけだ。

 ジャンヌはそんな二人の視線を受けても、自らの意見をしっかりと口にした。


「もちろん、続けますわ。私は、私の身を自分で守れるようになりたいのです。私の好きな人の隣に立てるように。そのためには、今よりもずっと強くならなくてはなりません。今回、そう思いました」


「おぉ、そうかそうか。では、ジール。今後もどうかよろしく頼む」


「はい、もちろんです……ただ、明日いきなり修行を、というのもやめておいた方がいいでしょう。あまり時間をあけすぎると心の傷が不安ですが、明日くらいはお休みにした方がよろしいかと。どこかを散策したり、休日を楽しんだり……心を休められることをおすすめします」


「確かに……その方がいいだろうな。ジャンヌ、それで良いか?」


「はい。さすがに疲れましたので……そうさせていただけると嬉しいです。今日のところは、もうお休みしてもよいでしょうか?」


 いいながら、ジャンヌは目をこすっている。

 本当に眠いのだろう。

 あれだけのことがあれば、この年齢で疲れないなどありえないからな。

 それから、侯爵はすぐに使用人に言いつけ、ジャンヌを寝室へと送らせたのだった。

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