第58話 大司教と司教
大司教イファータ・ジメイは、司教トロス・エンダと対面していた。
穏やかながらも、厳しい視線のイファータに対して、余裕を持った……いや、どこか小ばかにしたような顔つきのトロスは対照的な存在に見える。
イファータの、昔ながらの聖職者然とした雰囲気は温かく、それでいて人の背筋を伸ばさせるような、理想的なものだが、トロスのそれはひどく堕落した生臭坊主のそれだ。
実際、トロスの身に付けているものはいずれもこの海運の都、領都ラインバックにおいても最高級とされる品ばかりであり、どれか一つだけをとってもそこらの町人であれば一生暮らしていけるだけの金額のものばかりだ。
こんなもの、聖職者であれば自ら購入することなどないはずで、実際トロスは購入はしていない。
しかし、それらをトロスはラインバックの商人たちから
トロスとしては、それは至極当然のことであり、悪いことなどしているつもりはない。
多くの寄付をしたものに、より沢山の神の加護が与えられるのは当たり前の話で、その加護を与えられる存在である自分がこれだけのものを寄付されるというのも、いわば、自然の理のようなものだ、とも思っていた。
だから、次の瞬間、イファータが口にした台詞には、いささか心外なものを覚える。
「……司教トロス、その格好……少し贅沢がすぎるのではないかの? 《夜明けの教会》の聖職者が、そのような奢侈に流れることなど、望ましいこととは思えぬ」
そう言ったイファータ自信は、確かに自らが口にしたように全くの清貧を体現したような、質素な格好だ。
身に付けているローブは清潔だがそこらで誰でも簡単に購入できるような布を用いたものだし、宝飾品の類も一切身に付けていない。
法杖については、教会本庁より地位に応じて下賜される品であるため、歴史的な価値や来歴から、価格だけを言えばそうとうのものだが、しかしそれでも華美なものではなく、木材と地味な色の魔石が使用された、下手をすればそこらで売っているのではないか、と思ってしまうようなものだ。
トロスの持つ、巨大で真っ赤に光り輝く魔石と、高純度に精錬された白魔銀(ホワイトミスリル)を使用し、極めて精緻な彫刻の施された法杖とは比ぶべくもなく、むしろトロスはそれらを見比べてイファータに言い返す。
「イファータ大司教猊下。貴方様のおっしゃることも理解できますが、市井の者というのはどうしても目に見えるもので物事の価値を判断するもの。《夜明けの教会》の権威と価値を知らしめるためには、このような……そう、一見奢侈に流れたような格好でもそれなりの意味を持つ者と思っています。もちろん、本来は清貧であるべきだということは分かっておりますが……近頃、《夜明けの教会》に対して疑問を呈するような輩も出てきている始末ですからな。お判りでしょう?」
内容的にはイファータの立場を慮ったような台詞であったが、実際は強烈な当て擦りだった。
イファータがなぜここに来たのか、その理由を含めて、あんたは分かっているはずだ、口を出すなと言ったに等しい。
しかし、この程度の脅しで頷く様な柔な精神をイファータがしているわけもない。
そんなことでは大司教などという地位につくことなどできない、ということは、流石のトロスも理解していた。
トロスが司教になることすら相当な苦労を重ねてきたのだ。
イファータがどれだけの困難を乗り越えて来たのか、その点について決して過小評価をするつもりはない。
強敵だ、とトロスは正しく認識した上で、この会談についていた。
イファータはトロスの言葉に頷き、言う。
「……まさに、わしが言いたいのはそのことじゃ。
「はて。一体何のことをおっしゃっておられますやら……」
「ほう、そういうか。ではもっとはっきり言おう。ジール・パラディについては手出し無用じゃ。あの者は確かに神聖騎士を辞した。じゃが、それは教皇猊下のご許可を得てのこと。そのことが神聖騎士団にも伝えられておることはお主も知っておるはずじゃ。にも関わらず……」
「関わらず?」
「……何か、不穏なことをしようとしている者がおるという。それは、認められぬ」
はっきりと何をしようとしているのかをイファータが口にしなかったのは、それを言えばイファータを、ひいては教皇を糾弾する材料にされることをよくわかっているからだろう。
誰が何をしようとしているのか。
それについて、トロスも口にすることはない。
しかし、仮にだ。
仮に、トロスがジール・パラディを何らかの方法で害しようとしていても。
それのどこに責められることがあるのだろう。
神聖騎士とは言え、その辞する時期や年齢は極端な我儘を言わなければ自由だ。
人によっては体がもう任務に耐えられぬ、ということもあろうし、結婚し、他の職業に、という場合もある。
どこかの教会で司祭に、ということもあるし、場合によっては司教へと進む者もいる。
しかし、ジール・パラディについては別だ。
あの男は神聖騎士の中でも特殊な存在である。
世界に存在するすべての神聖騎士を束ねる神聖騎士団長、現在は《光の剣》のバルバ・ファングという人物が務めているが、その彼が、何らかの理由でその職務を遂行することが出来なくなった場合、それを継ぐ者として、神聖三騎士、というものが任命されている。
三騎士は、神聖騎士団にあって特別であり、神聖騎士が使う剣術である神聖流の中でも、もっとも源流に近く、そして強力な技法のすべてを叩き込まれることになる。
この技法と、神聖剣のために誂えられた特別な武具を持てば、いかなる者に対しても膝をつくことはなく、名実ともに最強の実力を得られる、と言われている。
このことは、司教、大司教、教皇、それに神聖騎士団長と三騎士以外には知られていない事実である。
そして、ジール・パラディは、その特別な神聖剣を修め、三騎士になるはずの男だった。
なるはず、というのは結局ならなかったということであるが、これは神聖騎士団の長い歴史が始まって以来、まずなかったことであり、当時、ジールの処遇については揉めた。
最も苛烈なものではその技術諸共、存在を天に帰すべきである――つまりは殺すべき、というものすらもあったが、最終的には教皇の決定により、下賜されていた神聖騎士用の武具を返上させ、国外追放する、というところに落ち着いたのだ。
しかし、である。
これは、たとえ教皇の決定だと言えども認められない。
そう考える者も《夜明けの教会》の中にはいた。
その一人が、トロスの上司に当たる枢機卿ハエレシス・ルシュケルだった。
彼は、ジールがゴルド神聖国を出た後、その消息を追いつづけ、このラインバックにしばらく腰を落ち着けていることを知ると、早速、トロスにその殺害を命じた。
イファータはその話をどこかから聞きつけ、忠告にやってきたというわけだ。
一体どこから、と思うが、しかし、トロスとしては、することは変わらない。
そもそも、殺害を命じられた、とはいっても、トロスが何か手を下すと言う訳ではないのだ。
たとえこの街で何が起こっても、自分は知らぬ存ぜぬで通せばいい。
そう思っているので、トロスはイファータに言う。
「少なくとも、その不穏なことをしようとしている輩は私ではありません。ですから、ご心配には及びませんよ……」
そう言ったところで、部屋の扉が叩かれる。
中に入るよう促すと、トロスの部下である司祭が入って来て、この領都を治める貴族、ケルドルン侯爵とその娘が来たことを告げた。
「大司教猊下。お話も一段落着いたところです。御来客をお迎えすることにしましょう」
そう言ったトロスに、イファータは眉を顰めるが、これ以上の話し合いは無駄だ、と理解したらしい。
「……そうじゃな。だが、これだけは言っておこう。わしの話を、ゆめゆめ忘れぬように、とな」
そう言ったのだった。
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