第42話 師匠について

 魔術を身に付けるのに勉強が必要か。

 これも微妙な話だ。

 簡単なものなら必要ないが、複雑で大規模なものを使おうとすれば当然に勉強も必要になってくる。

 ただ、ジャンヌの言い方から考えるに、そういう意味ではなく、魔術を使う場合にはとりあえず勉強が先、という風に聞こえるな。

 これについてはなぜなのかはっきりとは分からないが、すぐに思い浮かぶのは、ケルドルン侯爵がジャンヌに魔術を教えるのはまだ早い、と考えているからか、そういうことにしている可能性がある。

 だとすれば、変に詳しく教えるわけにもいかないな、と思い、俺はジャンヌに言う。


「……そうだな。どんなものでも学ぶことが重要だ。剣術だってそうだろう? 基礎を知らずに、応用へは進めない」


「ええ、師匠もそのように仰ってましたわ」


 この場合の師匠とは、今日訪ねてくると言う神聖剣の使い手、ジール殿のことだろう。

 ちょうどよく話題に上がったし、俺はその辺りをジャンヌに尋ねることにする。


「ジャンヌの師匠……ジール殿って、どういう人なんだ?」


 ざっくりとした質問である。

 俺にはその人の人となりがまだ、全然分からない。

 そのため、こういう聞き方しかできないのは仕方のないことだろう。

 これにジャンヌは少し考えてから答えてくれる。


「ええと……そうですね。まず、とてもお若い方ですわ。まだ二十代だと仰っておられました」


 ……五歳が二十代を若い、とはどうなんだ?

 と思わないでもないが、一般的な剣術指南役と比べた話をしているのだろう。

 それに、侯爵なんかもジール殿を評するときに言ってたりしたんだろうな。

 いやぁ、ジール殿はまだまだお若いのに、流石ですな!みたいな。

 それで、ジャンヌは、なるほど、師匠はお若いのね!となった……という経緯だろう。

 かわいいものだ。

 俺から見れば五歳も二十代も等しくお若いけどな。

 魔族として数百年を生き抜いた俺は筋金入りの爺さんである。


「二十代か。神聖剣の使い手は、やっぱり普通はもっと年がいっているものなのか?」


「師匠がおっしゃるには、いっぱしの剣士になるには三十年かかると。ですが、師匠はとてもお強いと思いますわ」


 その台詞がどこまで本気で言ったものなのかは分からないな。

 それに意味合いも。

 本気でそう思っているのかもしれないし、謙遜なのかもしれない。

 もしくは、剣術というものの道の長さを理解し、どれだけ修練しても終わりはないのだ、ということを若い弟子に伝えようとしていった言葉なのかもしれない。

 いずれにせよ、割と謙虚な人物像が浮かんでくる。

 神聖剣の使い手と言えば、大半が神聖騎士であることを考えると納得はいく、のかな。

 どうだろう。

 前世において、教会に仕える聖騎士というのは大きく分けて二種類いた。

 神に仕えることに誇りを持っていることは同様なのだが、それを鼻にかける奴とかけない奴とにだ。

 大雑把すぎるかもしれないが、そんなものである。

 鼻にかける奴は、神の権力をかさに着る、どころか自分の権力だと思っている節すらあった。

 そうでない奴は、敵ながらに尊敬できる者も少なからずいた。

 しかし不思議なことに、教会という集団の中では、前者の奴の方が出世していくのだ。

 人間というものに同情したのは珍しい経験だったかもしれない。


「他には?」


 俺が更に情報を得るべく尋ねると、ジャンヌは再度、考え込む。


「そうですね……よく、騎士団の中でも、女中の方々に話しかけられておられますわ。わたくし、訓練のために騎士団の訓練場に行くこともあるのですけど、師匠がおられるところを探そうと考えたとき、一番簡単なのが、女の人がたくさん集まっているところを探すことですの! とっても目立ちますわ!」


 かなり無邪気に言っているので、特に含むところはないのだろう。

 しかしこの話から分かるのは、ジール殿は非常に美男だ、ということだろう。

 不思議なのは、ジャンヌは特にそうは思っていないと言うことだが……。

 気になって尋ねる。


「きっと格好いいんだろうな?」


 何気ない口調で、である。

 これにジャンヌは頷く。


「そのようですわ」


 しかし、その声には一切の同意の感情は含まれていない。

 なんというか、壁に立てかけられている名画について、美しい絵だね、と振ったら、興味はないが、確かにそのとおりではある、と思って返答されたときのようだ。

 客観的には格好良いと思っているのかもしれないが、特に好みというわけではないようだった。

 意外だな。

 ジャンヌは別に面食いという訳ではないうだ。

 まぁ、悪くない事実である。

 その方が俺の仕事は楽だ。

 イグナーツもかっこいいんだが……あれはどっちかというと、雰囲気が男なのに妖艶というか、色気がすごい感じだ。

 ジャンルの問題かもしれないな。


「ジール殿は、そういう女中の人たちにどう振る舞っているんだ?」


「笑顔でお話をしておられることが多いですわ。以前、何かを頂いているところを見ましたので、何をもらったのか聞いてみたのですが、そうしたらお菓子だということが分かりましたわ」


「お菓子?」


「ええ、女中の方々の手作りの」


「またどうして……」


 甘党なのか?


「なんだか、高価なものを渡そうとした方がいらっしゃったようなのですけど、それはもらうわけにはいかない、と言ったら泣いてしまったらしくて。それで、その方がお料理が得意なことを思い出して、師匠が何か美味しいものだったら、とおっしゃったようなのです。そこからは皆さんそうされるようなったって。今ではわたくしもたまに一緒にいただけるんですの」


 清貧というか、欲深いところもなさそうだな。

 本当に立派な人物らしい。

 短い期間で指南役に決まったということで、もしかしたら何か企んでいる可能性もあるかも、と少し思っていたが、そういう事もなさそうに思える。

 考えてみれば、ケルドルン侯爵が何か腹に一物抱えているような人物を娘の指導役にするはずもない。

 心配し過ぎだったようだ。


 そこまで考えたところで、


 ――コン、コン。


 と図書室の扉が軽く叩かれた。

 それから、


「お楽しみのところ申し訳なく存じますが、ケルドルン侯爵閣下からのご伝言です。そろそろジールさまがご到着されるお時間にございます。ご準備をされるように、とのことです」


 それを聞いて、俺はジャンヌに言う。


「そういうことみたいだな。本を片づけないと」


「そうですわね。手分けして早く片づけてしまいましょう」

 

 そうして、俺たちは本を元あった場所にすべて戻すと、図書室を出た。

 するとそこではメイドが待っていて、俺たちを先導し、侯爵のところまで案内してくれたのだった

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