第39話 過去の出来事
気を取り直して収拾した本を読書スペースにあるテーブルの上にどさり、と重ねる。
どれから読もうかな、と思ったが、隣に腰かけたジャンヌが、
「……わたくしが読んで差し上げますわ」
そう言って、書籍の中から彼女が薦めた絵本を取り出し、ページを開いた。
「むかしむかし……」
そんな、お決まりの台詞から始まるその絵本の物語は、俺にとって思いの外、大きな衝撃を受けるものだった。
遥か昔に起こった出来事。
一体どれくらい昔なのか、それすらも分からなくなるほど昔の事。
《魔王》、という存在が世界に突如として現れ、魔物や魔人を束ね、国を作った。
その国は当時から存在していた人類の様々な国に対し、侵攻を開始し……世界は戦乱に満ちていった。
《魔王》、そして《魔王》の束ねる魔王軍は極めて強力で数も多く、人類は徐々に劣勢へと陥っていった。
いくつもの砦が、街が陥落し、神々を祭る神殿は破壊された。
人々は蹂躙され、魔物たちがはびこっていく……。
このままでは、いずれ世界は闇に包まれてしまう。
そんな危惧を、世界の誰もが抱き始めたそのとき。
神々の神託が下った。
それは、救いの声だった。
ある日、ある場所に、一人の人間が生まれ落ちる。
その者は、《魔王》に唯一対抗できる力を持った《勇者》なる存在であり、彼をこそ旗印に、人類は世界を自らの手に取り戻せる、と。
始めは、そんな神託など信じる者はなかったという。
平時であれば神殿の言葉はありがたいものとして扱われていただろうが、あまりにも長く、暗い時代が続いたために人々の心は荒んでしまった。
神などおらず、いても我々を救いはしないのだと多くの人々が思い始めていたのだ。
だからこそ、《勇者》。
そんな存在など、やはり現れることはなく、神託というのも神殿のでっちあげであり、ただ人々に偽りの希望を与え、無理やり戦わせようとする手段に過ぎないのだと、そう思われたのだ。
しかし、それからしばらくして、《勇者》は本当に現れた。
それは決して劇的な登場などではなく、じわじわとした、紙に水が浸透していくかのような静かな出現だったと言う。
辺境の国にある田舎の村に生まれた彼は、劣勢に追い込まれていたある戦線においてその力を発揮した。
絶対に押し返すことはできない、そう思われ、国からすらも見捨てられた砦に殿の兵士たちとこもり、そして不可能と言われていた勝利を掴んだのだ。
ただし、そのときはその砦に詰める者たちの努力によってそうなったのだと、奇跡が起きたのだと言われていただけだった。
けれど、《勇者》、彼が現れたのは間違いなくそのときが初めだった。
そのときから世界中を旅し、いずれの戦線でも勝利を確実に手にしていく《勇者》。
その力は、個人的武力もさることながら、高いカリスマ性をも帯びており、さらに古くから選ばれし者にしか抜けない、と言われていた聖剣をもその手によって抜かれたとき、彼が《勇者》であることを誰も疑わなくなった。
そのあとの快進撃は語るまでもない。
いくつもの魔物の軍勢を滅ぼし、また何体もの魔人を屠った。
その勢いのまま、魔王城まで突入し、《四天王》と呼ばれる、当時魔王配下最強と言われる存在たちをも滅ぼして、ついに《魔王》のもとへとたどり着いた。
最後に《勇者》は《魔王》との一騎打ちに挑み……そしてその大業を為したのだった。
これは、実際に起こったこと。
俺は覚えている。
《四天王》の一人が、まさにこの俺のことに他ならないのだから。
もちろん、俺や俺の魔王陛下のあとに、新たに魔王が誕生し、そして同じように四天王を抱えて人類と戦ったという可能性もある。
だが……《勇者》に関する細かな事情が、俺のときと非常によく一致するのだ。
全てとは言わないがこれだけ一致するとなると……やはり、あのときのことだ、と考えるべきだろう。
しかし、魔王陛下……そりゃあそうだろうが、やっぱり、やられてしまったのか。
ショックだな。
魔王陛下について、俺は尊敬していた。
あの方がいたからこそ、俺たちは……。
とはいえ、もう終わってしまったことだ。
流石に過去に至る魔術など存在しない。
歴史を変えようとしてもどうしようもないのだ。
事実は事実として、受け入れるほかない。
「……アイン? どうなさったのですか? なんだか顔色が悪いですわ。誰か、メイドを呼びましょうか……?」
気づくと、ジャンヌが俺のことを心配げに覗き込んでいて、そんなことを言っていた。
どうやら、絵本の内容にのめり込み過ぎて、酷い顔をしていたようだ。
……まぁ、ショックだったもんな。
仕方のないことだ。
とはいえ、これで今日はもう何もしたくない、出来なくなった、というほどでもない。
俺は表情を取り繕い、ジャンヌに言う。
「あぁ、いや、大丈夫だ。ずいぶんと凄い戦いが、昔にあったんだなと思ってさ。想像してたんだよ」
「……そうでしたの。でしたら、良いのですが……。そうそう、私、この絵本を読むたびに思うのですが、《魔王》はどうして人類と戦っていたのでしょうね? 絵本には突然、襲い掛かって来た、と書いてありますけど……それでも何か理由があるとは思いませんか?」
ジャンヌはそんなことを俺に尋ねる。
その疑問は……そうだろうな。
確かに絵本のどこにも、それについては記載されていなかった。
記載しなかった、というより色々な意味で出来なかったのだろう、と俺は思う。
俺たち魔族と、人類の戦争はただのいがみ合いではなかった。
この世界の覇権を争ったものでも……なかった。
ある意味ではそうだったのかもしれないが……陛下が戦争を起こしたのは、もっと単純なものだ。
ただ、俺たちは俺たちの居場所を、この世界のどこかに確保したかっただけだ。
しかしそんな話をジャンヌにしても……あとで教会とかで迂闊にそんな話をして、異端扱いされても困るしな。
当時から教会はあったが、この絵本の内容からすれば、今の教会も当時の教会も似たような組織だろうと言うことはなんとなく想像できる。
だから、俺はジャンヌに言った。
「さぁな。そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。《魔王》って悪い奴なんだろう? だからただの気分かも知れないぞ」
言いながら、あの方は良い方だった、と思う。
嘘をついて申し訳ないですが、生きるためなのですと謝りつつ。
これにジャンヌはまだ納得しかねたような顔で、
「そうかしら……」
と言っているが、普通なら結論の出る話でもない。
最後には、
「そうかもしれませんわね……」
と不本意ながら、という形で納得したのだった。
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