第37話 恋より友情を
「これは偶然ですね、姫。ご機嫌麗しゅう……」
ジャンヌを見て、彼女が俺の存在を認識したことを確認した後、俺はすぐにそう挨拶する。
少しばかり恭しい、大げさなもののように感じられるが、イグナーツの指南によればそれくらいがちょうどいいだろうという話だ。
色男の理論は俺にはよくわからない。
ただ、確かにそれには効果があったようで、ジャンヌはすぐに頬を赤く染め、
「え、ええ……ごきげんよう。アインさま」
と返答してきた。
それから、俺がさらに畳みかけるようにイグナーツ指南の台詞を言おうとしたところ、ジャンヌは慌てた様子で、
「あ、あの! 少々お願いを聞いていただけますか、アインさま!」
と口を挟む。
お願いとは何だろうか、と不思議に思うが、これもまた、イグナーツの指南である『女性のお願いはいかに無茶なものでも一旦、受け入れること』に従って俺は答えた。
「もちろんです、姫。どうぞ何なりとお言いつけください」
と頭を下げた。
本当にこれでいいのか、という気が色々な意味でするのだが、そういう指導をされたのだから仕方がない。
武術でも魔術でもそうだが、師匠の指導は、その師匠に勝つことが出来るまでは絶対なのだ。
少なくとも俺は前世からそう、教わって来た。
恋愛ごとについての師匠はイグナーツである。
ことその分野について、彼の言葉は絶対だ。
「そ、それです!」
「……?」
俺に、慌てたように何かを指摘したジャンヌであるが、意味がよく分からず、俺は首を傾げる。
ジャンヌは続けた。
「その、姫、というのと……その言葉遣いは、やめていただけませんか……?」
そんな風に。
ここで、俺の中に師に対する疑問が生まれた。
おい、あんたの言う通りにしたけど否定されたぞ、と。
もう俺とイグナーツの間に築かれた信頼はガタガタだ。
今ならイグナーツに反旗を翻すことも躊躇しないだろう……。
という冗談はおいておいて。
「……それは、なぜでしょう? 姫は姫でいらっしゃいますのに」
そう俺は尋ねる。
するとジャンヌは言う。
「……なんだか、壁があるような気がしてしまって……普通にお話ししたいのです。その、初めての同年代のお友達に……」
聞いてみれば、なんだか可愛らしい理由だった。
それも、そこそこ核心を突いているところもある。
別に巨大な心の壁を築いていたつもりはなかったが、確かに関係に区切りを入れつつ話しているような部分はある。
その方が自分とジャンヌの間の会話や関係が客観視できるし、計画もうまく制御できそうだからだ。
ただ、ジャンヌからしてみればそれが嫌だ、ということなのだろう。
透けて見えるとまでは言わないだろうが、子供ながらに察するところがある、ということだろうな。
イグナーツはこういう振る舞いをしてもそのようなことは一度も指摘されたことがないのだろうが、そこは役者の違いである。
俺はこの役を演じるには、少々実力が足りないのだろうとここで思った。
そう感じてしまうと、被った仮面は脱いだ方が良いかもしれない、という気がしてくる。
別に、無理にイグナーツの指示通りにやらずとも、ジャンヌのイグナーツに対する思いをどうにかすればいいのだし、他に方法もあるだろう。
ジャンヌは決して話を聞かないわけでも、賢くないわけでもないし、正面から普通に、理を説けば理解してくれる可能性もある。
ここまで考えて、俺はジャンヌの提案にとりあえず乗ることにした。
一応、イグナーツ流の方も完全には捨てる気はないが……そこはバランスを考えつつ頑張ってみることにする。
「……さようでしたか。いや、そうだったか、かな。ジャンヌさま。君の言いたいことは分かった。可能な限り……普通の友人のように接しよう。流石に男友達にやるように、とはいかないが、こんなところでどうだろう?」
そんな風に俺が言うと、ジャンヌはほっとしたような表情で、しかし嬉しそうに微笑み、
「ええ、そんな風だと、嬉しいです。あ、そうでした。さっき言ってしまいましたけど……」
そう言って、少し沈黙する。
俺が首を傾げて、
「何かな?
そう尋ねると、ジャンヌは決然とした様子で俺に言った。
「わたくしの、お友達になっていただけますか?」
……何を言われるかと思えば、そんなことか。
これに対する答えは、簡単だ。
俺に恋愛感情を抱かせるように、と指示を受けている身とすれば微妙なところだが、友達関係から上っていく、というのもありだろう。
大人の女性であれば男友達は恋愛相手にはならない、というポリシーを持つ人も少なくないだろうが、このくらいの年齢でそこについてそこまで厳しく峻別しているとも考えられない。
問題はない、はずだ。
俺はジャンヌに手を差し出し、言う。
「もちろん、構わない。これから友人として、よろしく頼む。ジャンヌさま……いや、ジャンヌ」
呼び捨てにしていいのか、という気もするが、ケルドルン侯爵も節度を保てば許してくれそうではある。
当然、人前では様付けは外すわけにはいかないが、今いるこの図書室は完全にプライベートな空間だからな。
そうそう怒られるとも思えない。
もしここに、聞き耳の魔道具でもついていて、ケルドルン侯爵が俺たちの会話を聞いている、というのであれば話は別だが、そんなことは流石にないだろう……たぶん。
俺の言葉に、ジャンヌは俺の手を掴んで、
「ええ、よろしくお願いしますわ! アイン!」
と子供らしい笑顔で言った。
やっぱり、今の今まで、彼女はケルドルン侯爵の娘として、貴族女性として、かなり気を張って対応していたのだろう。
その仮面が、今、取り外された気がした。
雰囲気は年相応に幼くなり、また喋り方も少しばかり舌足らずになった気がする。
無理に難しい言葉遣いを心がけていた、という感じなのだろうな。
俺としても、ざっくばらんに話せるほうがずっと楽なので、ありがたくはある。
魔族にも上下関係というのはあったが、言葉遣いの方はそこまで厳密なものではなかったからな。
せいぜい、魔王陛下には誰もがかなりしっかりとした敬語を使おうとするが、それ以外はたとえ上司に対してであっても、盗賊が使うような適当敬語という感じであった。
もちろん、中にはしっかりとした言葉遣いの奴もいたが、それは珍しい方だった。
だから、俺にもとってもこの方がいいわけだ。
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