第8話 仲直り

「……」


「…………」


 二人の男が今、大きな館の前でにらみ合っていた。

 そのうちの片方、テオの後ろには、俺と母アレクシア、それに門番長マルクが立っている。

 もう片方、エドヴァルト・ハイドフェルド伯爵の後ろには、彼の妻であるオリヴィアが品の良さそうな顔、その口元に手を当てて不安そうに見つめている。

 本来、もう一人、テオの姉である、ロザリー・ハイドフェルドとその夫、それに子供がいるはずなのだが、今は出ているのだろうか。

 まだ、向こうと一切会話が出来ていないから、確認しようがない……。

 

 つまり、これはあれだ。

 関係のよくない親子の、不本意な再会の際に起こる、客観的に見るとひどく下らない意地の張り合い、と言ったところだろうか。

 本人たちからしてみれば下らないどころか死活問題なのだろうが、俺からするとな……別に親子なんだから、許し合えばよかろうに、と思ってしまう。

 前世、二百年も生きたから、そういうところについては色々と達観してしまっているのかもしれないな。

 若いと、どうしても割り切れないものがあるというのも理解できるが、俺自身がそういう葛藤と向き合っていたのはもう、遙か昔過ぎて実感と共に思い出すのが困難なのだ。

 とはいえ、いつまでも黙ってにらみ合っているのもどうなのか。

 何でもいいから会話くらいしてもらわないと日が暮れてしまう。

 ただでさえ、太陽の高度は下がりつつあるのだ。

 馬車に長く乗って、俺も疲れている。

 アレクシアなどもっと疲労が溜まっているだろうし、その辺り、考えてくれないかなぁ……と、思っていると、


「……お」


 ついに、父が動き出した。

 ざっざっ、と、エドヴァルトの方に向かって決然とした足取りで進み出したのだ。

 エドヴァルトは、父とよく似た面差しをした、背筋のぴんと延びた男である。

 体型も引き締まっており、貴族にありがちな飽食によってだらしない、などということは全くない。

 父と異なる点を上げるなら、その口元にはよく整えられた髭が生えており、その厳しい表情と相まって、かなり実直な性格をしているのだろう、という雰囲気が伝わってくる。

 つまりは、頑固者なのだろうな、ということだ。

 そんな男が、仁王立ちして父を待ちかまえているのだから、これに対して構えるな、と言ってもそれは無理な相談だろう。

 屋敷にやってきて、正門から馬車を入れたはいいが、館の入り口の前のポーチで馬車を止め、降りた途端にこんなものと相対する羽目になったテオの心情は、察するに余りある。

 そして、それでも、歩き出した父には、まぁ、拍手の一つくらい送ってもいいかもしれないと俺は思った。


 そして、エドヴァルトの正面、手を伸ばせば届く距離にたどり着いたテオが、エドヴァルトの目をまっすぐに見つめ、口を開こうとした。


「……す、」


「……よく帰った、テオ」


 しかし、テオが何かを言う前に、エドヴァルトが先んじてそう声をかけ、さらに、テオに向かって腕を広げて、抱きしめた。

 これにテオは非常に困惑し、自らの手をどこにおいたらいいものか、ひどく悩んでいたが、しかし最後には、その手を自らの父の背中に延ばし、


「……あぁ、帰ったよ。親父。今まで、済まなかった……」

 

 そうつぶやいたのだった。

 その目元には光るものがあったように見えたが、それについて指摘するものはこの場には居なかった。


 それから、どれくらい経っただろう。

 二人は体を離し、エドヴァルトがアレクシアに視線を向けて、


「……アレクシア殿。久しいな……今まで、我が不肖の息子が大変、世話になった。何か色々とつらい思いをされていないか?」


 と尋ねた。

 これにテオは、


「……親父……」


 と呆れた声をあげるも、エドヴァルトはこれを故意に無視する。

 アレクシアもテオの声は聞かなかったことにしたのか、エドヴァルトに答える。


「お久しぶりです、お義父さま……テオはとてもよくしてくださいますわ。この子がお腹にいたときも、家事のほとんどすべてをやってくれたくらいで……」


「ほう、それは意外だな。ここにいたときは自分の身の回りのことも禄にしようともしなかったというのに……して、その子が?」


 微笑みながらそう言い、そして最後にエドヴァルトは俺に視線を向けて尋ねる。


「ええ、この子が、私とテオの子供、アインです。ほら、アイン。お義父さまと、お義母さまにご挨拶なさい」


 アレクシアが俺の背中を押しながら、そう促したので、俺は前に出て、


「……お祖父さま、お祖母さま、はじめまして。アイン・レーヴェと申します。生まれてから五年も経ってご挨拶をする不義理、お許しください……」


 そう言った。

 若干、言葉遣いが五歳にしては丁寧で、堅苦しすぎる感じはするが、これはあくまでも、母と事前に練習した挨拶であるので問題ない。

 可能な限り、暗記した言葉を頑張って口にしている舌足らずな感じを演出しているので、そこまで変な感じも出ていないだろう。

 その練習をしていたことを知らないテオは、目を見開いて驚いているようだったが、祖父と祖母は流石に大貴族だけあり、そのようなことをしている子供、というのを多く見たことがあるのだろう。

 特に不審な目はせず、微笑ましそうな視線を向けてくれた。

 それから、


「……なに、それを言うなら、お前が生まれて五年もの間、こちらから訪問すらしなかった不義理が私にもある。気にすることはない。そうだな、オリヴィア?」


 エドヴァルトが、自らの妻オリヴィアにそう尋ねた。

 すると、先ほどまで一言も口にしなかったオリヴィアが頷いて、


「ええ、その通りです。アイン……あぁ、どれだけ会いたいと思っていたことか。それもこれも、すべて、貴方のお父様とお祖父様が悪いのですよ。貴方は全く、悪くありません」


 と、俺を抱きしめつつも、かなり厳しい意見を述べる。

 父と祖父のにらみ合いに、なにも言葉を発さず見ていたので、夫の後ろに下がっている奥ゆかしいタイプなのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。

 この祖母の意見に父と祖父は苦々しい顔をしたが、反論しない辺り、二人とも祖母には逆らえないような感じなのかもしれない。


「そうなのですか? でも、仲直りしたのですよね?」


 俺が、子供を装って、無邪気な口調でそう尋ねる。

 実際のところ、子供にこんなことを聞かれると非常に困ると分かってきいているのだから性格が悪いわけだが、そんなことは俺にしか分からない。

 これを聞いた祖母は、父と祖父を見て、


「ええもちろん……仲直りしましたよね?」


 と、どこか、厳しい口調で尋ねた。

 父と祖父はこれに、うっ、とひどく苦い表情になったが、それでもお互いに顔を見合わせて、反論は出来ないな、と意思疎通しあったのか、


「も、もちろんだ……そうだな、テオ……?」


「あ、ああ……当然だぜ、親父……」


 と情けなく頷きあい、仲直りした証明だと言わんばかりに、肩を組み合い始めた。

 全く慣れていない、おそらくは人生で初めて、親子で肩など組んだのだろうが、追いつめられて行った割には、意外と嬉しそうな笑いが二人から漏れ出ているのを確認し、俺はほっとする。

 祖母を見ると、その視線は俺と同じような感情を称えていて、やはり、彼女もこの親子の確執には色々な思いがあったのだな、と感じたのだった。

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