第20話 積み上げてきたもの


 右手に川、左手には森が広がっていた。結衣たちは川沿いの道を上流へと進んでいた。目を凝らすと、マックスの言うように遠くに橋が見えた。


「あれだね」


 優馬が言う。結衣はまだ気まずさが残っているのか、軽く頷いただけだった。優馬は心配そうな表情で、そんな結衣を見る。


 小一時間ほど歩いて、ようやく橋の元へとたどり着いた。さっきの吊橋とは違い、木製ではあるがキチンとした作りになっており、心配はなさそうだった。


 これを渡り対岸を再び下流に下って、マックスたちと合流する。その後はギルミナートを採取して野営地に戻り、明日には王都に戻れるはずだ。


 結衣たちは橋を渡り始めた。橋の幅は人が2人すれ違える程度。橋の中央布巾に来た時、対岸に3つの人影が見えた。だが正確にはそれは人ではなかった。


「ゴブリン!?」


 優馬が言う。ゴブリンとは人型のモンスターで、普通の人間に比べるとやや体格が小さく筋力でも劣り、知性的にも人間とは比べ物にならない。しかしそれゆえに、野生の性質を色濃く残しており、熟練した者ならまだしも、結衣たちのような戦闘慣れしていない者にとっては、それなりに脅威となる。


「結衣、下がって!」


 優馬は結衣の前に立ち、剣を構える。幸いにも橋の幅は狭い。ここで戦えば、前のゴロツキとの戦闘の時のように背後を襲われることはないだろう。優馬がそう思っていると、背後の結衣が叫んだ。


「優馬! 後ろからも!!」


 優馬が振り向くと、先程渡ってきた方からもゴブリンが2匹ジリジリと迫ってきていた。こうなると、逆に逃げ場がないのが不利になる。結衣はベルトからダガーを抜くと、それを両手で構えた。


 優馬は「俺がこっちを先に倒すから、結衣は無理しないで」と言うと、剣を構えたままゴブリンに向かって走り出した。フェロッカ地区での一件以来、優馬は自分の実力不足を痛感していた。


 そこでマックスにお願いして、特別に稽古をしてもらっていた。と言っても2日しかなかったので、特に実戦で使えるものを中心に、いくつかの技を教えてもらっただけの付け焼き刃だった。


 それでもその2日間の特訓は、わずかでも優馬を成長させていた。優馬は剣を振りかぶりゴブリンに斬りかかる。先頭のゴブリンは、それに対処しようとダガーを頭上に掲げた。


 次の瞬間、優馬はガードのなくなったゴブリンの腹部に蹴りを入れる。ゴブリンはそのまま後ろにひっくり返り、他の2匹を巻き添えにして地面に転がる。


 そこをすかさず斬りかかる。地面に転がされたゴブリンたちは、対処のしようもなく、優馬の剣にかかり一方的に倒されていった。最後まで抵抗していたゴブリンにとどめを刺すと、優馬は「結衣!」と橋を振り返る。


 結衣はゴブリンに押し倒されていた。馬乗りになったゴブリンがダガーを振りかざしていた。そして振り下ろされた。


「結衣っ!」


 優馬が駆け寄るが間に合いそうにない。だが、結衣は体を捻って、なんとかそれをかわすことができた。ダガーが木製の橋に勢い良く刺さり、ゴブリンがそれを抜こうと必死で引っ張っている。


 優馬は全速力で結衣の元へと走ると、馬乗りになっているゴブリンを蹴り倒す。ゴブリンは小さな悲鳴を上げて、後ろへと転がっていった。優馬は結衣とゴブリンの間に割って入り、再び剣を構えた。


 立ち上がったゴブリンが怒りの表情で、優馬を睨みつけた。それでも優馬は一歩も引かず、そのまま雄叫びを上げてゴブリンに斬りかかる。一撃目はかわされた。剣が橋の欄干に当たり、鈍い音を立てた。


 あまり大振りはできないことに優馬は気づいて、剣を腰の当たりで引くように構える。ゴブリンは威嚇するようにダガーを構えている。


 優馬はそのまま剣を突くようにゴブリンに向かって刺しだす。ゴブリンは、その一撃をかわそうとしたが、脇腹をかすめてしまい、大きな叫び声を上げた。


 ゴブリンが怯んだ隙をついて、優馬は結衣の手を取った。


「結衣、今のうちに逃げるぞ!」


 結衣は優馬の手を取り立ち上がると、2人は対岸へと走り出した。途中転がっていた3体のゴブリンの死体を飛び越え、対岸へとたどり着いた。優馬が振り返ると、2匹のゴブリンはどこかへと消えていた。


 ゴブリンは知性が低いが、本能で戦って良い時とそうでない時を理解する。始めは5対2だったが、2対2となった今は撤退する方が良いと悟ったのだろう。


 結衣たちは思わずその場にへたり込んだ。結衣は激しく脈打つ心臓を抑えようと、呼吸を整える。危なかった。事前にマックスに「カヤック山周辺にはモンスターが出る」とは聞いていたが、まさかこのタイミングで遭遇するとは思っていなかった。


 それに……。結衣の心は再び沈む。また何も出来なかった。確かに優馬みたいに訓練を受けているわけでもないのだから、それは仕方がないのは分かっている。しかし、それでもこれは私のクエストなんだ。私が何もできないまま終わらせてしまったら、意味がない。


「結衣……」


 そんな結衣の心境に気づいて、優馬は何を言って良いのか分からない。


「ごめんね、優馬」


「結衣が謝ることじゃないよ」


「でも、私……何にもできない」


「それは違うよ。だって……」


「ううん、もういいの。ありがとね、優馬。助けてくれて」


 結衣はなんとか笑顔を作ると立ち上がった。


「分かっているの。優馬は、こっちの世界に来てから、ずっと頑張ってたもんね。毎日毎日、休まずに剣術の訓練してたよね。それに、出発前に2日間、マックスさんに特訓してもらってたのも知っているよ」


「結衣……」


「優馬はちゃんと積み上げてきてたの。短い期間だったかもしれないけど、頑張っていたの」


「結衣だって頑張ってたじゃないか」


「うん……でも、それは総務としての仕事だけ。空き時間を使って、何かをやろうと思えばできないことはなかったはず。なのに私は何もしなかった」


「それは、結衣は結衣に与えられた仕事をしっかりやろうということをしたからだよ。結衣のせいじゃないよ」


「このクエストは、私が『勇者候補生にして欲しい』って言ったから、与えられたもの。もし本当にそうなりたいと思うのだったら、日頃からできることもあったはずなんだ。でも、何もやらずに、ただ『なりたいなりたい』ってわがままばかり言ってた」


 優馬はそれ以上、かける言葉が思いつかなかった。結衣の考えはよく理解できる。でも何か違うはずだと優馬は思う。しかし、それを結衣にうまく伝えることができない。


 2人は無言のまま、マックス達の待つ方へと歩き出した。

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