#18 世界と向き合うということは

 イサミが事故にあった時間を大幅に過ぎていた。

 あとは、彼女を無事に家まで送り届けること。

 今日はもうどこへも出かける予定はない、と本人はいっているが、何が起きるかわからない。

 俺はイサミを家まで送ったあと、イサミの家の見張りをリンコくんとノリちゃんに任せて一旦家に帰り、準備を整えてから再びイサミの家に取って返す予定だった。

 ちょうどイサミの家の前の道をはさんで斜め向かいに空き地があったので、俺は念のため今日一晩張り付いているつもりだった。

 もちろんいつまでもそんなことを続けるわけにはいかない。でも、とりあえず今日だけはできる限りのことをしておきたかった。


 俺たちは少し遠回りして、『ワラムクルゥ〇一』で初めてイサミと出会ったあの歩道橋までやってきた。

 今日、どうしてもイサミに見てほしいものがあったからだ。


 歩道橋の上から見下ろすと、いつものように放置自転車が歩道の脇に長く連なって止められている。

 イサミがカゴの中のゴミを捨てていた、あの歩道。

 この町の住民にとっては見慣れた光景だ。

 でも、ひとつだけいつもと違っているところがあった。

 いつもより、その道は色彩にあふれていた。

 歩道に停められているすべての自転車のカゴの中に、あふれんばかりの花が入れられていたからだ。

「え」

 その光景を見て、イサミは目を見張っている。

 カゴの中の花たちは、時折吹く強い風に、花びらを揺らしている。

 彼女は真相にすぐ気が付いた。

「先輩。もしかして、この花って、この間の……」

 俺は頷いた。

 そうだ。

 自転車のカゴに入っている色とりどりの花は造花で、先週の土曜日にイサミたちがアルバイトで作ったものだった。

 俺はコミヤマに手伝ってもらって、昨日の深夜、自転車のカゴの中に彼女たちが作った造花を入れておいたのだ。

「これ……全部先輩が?」

「うん。コミヤマにも手伝ってもらったけどね」

「なんで……」

「実は前から気になっててさ。ここの自転車のカゴにみんなゴミを捨てていくだろ。でも、こうすれば、もう誰もゴミを捨てないよ」

 この『ワラムクルゥ〇二』では、イサミは自分がカゴの中のゴミを捨てているところを俺に見られてはいない。

 だから、イサミは驚いた顔で俺を見て、やがてまた道路に視線を落とした。

「知ってたんですね。私がやってたこと」

「うん。まあね」

 イサミは少し悲しそうな顔をして、俺を見ずにいった。

「この花もいずれゴミになっちゃいます」

「うん。でも、君に聞いてほしいことがあるんだ。

 こういう事例がある。

 ある町で、家の前に花壇をたくさん置くようにしたら空き巣が減ったんだってさ。

 ここの自転車はほとんどが違法に放置された自転車なんだ。

 僕は今日この写真を撮って、市の道路交通課に送り付けておいた。もしかしたら、何か対策を考えてくれるかもしれない。

 こういう放置自転車が多い場所は治安も悪くなる傾向にある。

 それもちゃんと証明されているんだよ。

 まあ、無駄なことかもしれないけどね」

「そんなことないと思います」

 イサミは首を振って、俺を見た。

「先輩はどうしてこんなことを思いつくんですか」

「さあ、どうしてかな」

「私には絶対に無理だ」

「無理じゃないよ。簡単じゃないけど、決して無理じゃない」

 やがてまた強い風が吹いて、イサミのショートカットの髪を少し乱した。

 そんな彼女の頭に手を伸ばし、なでてあげたい衝動を必死でこらえて、俺はいった。

「世界と向き合え、カグヤイサミ」

 きっぱりとした俺の口調に、イサミは顔を上げる。

「真正面から向き合わなくてもいい。斜めからでも、誰かの後ろに隠れながらでも構わない。もしも世界と向き合ってつまづいてしまっても気にすることはない。ひとりで立ち上がれないときは、誰かに引っ張り上げてもらえばいい。俺が引っ張り上げてやる」

「先輩」

「うん」

「先輩は何者なんですか」

 俺が口を開きかけたそのとき、また強い風が吹いた。

「きゃっ」

 いつの間にか俺たちの後ろをランドセルを背負った女の子が歩いていた。

 女の子が悲鳴を上げたのは、強い風で彼女の帽子が飛ばされてしまったからだ。

 俺のすぐ目の前を風に乗った赤い帽子がふわりと横切る。

 そのすぐあとを、女の子が伸ばした手が追いかける。

 すんでのところで、手は届かず、帽子は歩道橋のフェンスを越えて道路に落下していく。

 小学生にしては背の高い子だ。背中のランドセルがなければ中学生だと思っただろう。

 勢いのついた女の子はフェンスに身を乗り出して、落下していく帽子を掴もうと手を伸ばす。

 危ない。

 俺が思ったのと同時に、イサミが女の子の体に手を伸ばし――。

 気が付くと、イサミの体は道路に落下していった。

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