ワラムクルゥ 01

スグロマサカズ(社会人・春) Interlude

#1 俺たちの仕事は

「そこをなんとかならないでしょうか」

 その男は丁寧な言葉とは裏腹に、だらしなく足を広げて上半身を椅子の背に預け、ふんぞり返っていた。

「そういわれましてもねぇ。先方はもうこれ以上の面会は望まれていないんです。最初にお約束しているはずですよ。どちらかが中止の申し入れをした場合はいかなる理由があろうとそれが尊重されると」

 俺は表面上は真摯に対応しながら心の中では別のことを考えていた。今日は水曜日だから『福々』の日替わり定食は魚のはずだ。なんだろう。アジフライだったらいいのだが。

「こちらとしましてもね、本当はご期待にそえればいいと思っているんですけど、なかなかそういうわけにもいかないものですから」

 あそこのアジフライは絶品だ。塩サバでもいいな。でもやっぱり今日はアジだな。あのボリュームで今どき七百五十円は安い。北太平洋のアジ・サバ漁に規制がかかったのはいつだっけ。確か二年前だった。

 じゃあせめて連絡先でも――と、まだ粘ろうとする相手の言葉ををやんわりと押しとどめて俺はいった。

「ほら、二年前でしたっけ、個人情報保護法が改正になって、こういうことはますます厳しくなっちゃったでしょ」

 そうだ。二年前、二〇一八年だ。あれから魚の値段がますます高くなっていったんだ。仕方のないこととはいえ、魚好きには残念なことだ。

「お気持ちはよく分かりますよ。でも、こちらではなんともできないんです。仕方のないこととはいえ、残念です」

 本当に、残念だ。

 その後三十分近く押し問答が続いた結果、男はしぶしぶ引き上げていった。十一時四十五分。よし。俺は『休憩中』の札を受け付けの机の上に置くと、窓口の後ろに配置されている職員の机の島に移動して、自分の席に腰を下ろした。

「スグロ課長、ありがとうございました」

 副主査のスギサキコトミが礼をいいにやってきた。

「まあ、座ったら」

「はい。失礼します」

 ほかのメンバーは皆出払っている。今ごろは、市内の出先機関の窓口で相談者への対応をしているはずだ。コトミは俺の斜め向かいの課長補佐の席に腰を下ろした。 

「スギサキさん、今日は中?」

「はい」

 課内の誰かが電話などの対応のため事務所に残ることになっている。今日はコトミがその内勤の日だった。

「もう慣れた?」

「なんとか。でも未だに少し戸惑うことがありますけど」

 コトミがこのうちの部署に移動してきてから三か月が経っていた。この部署の仕事の内容は、彼女が以前いた観光課とはかけ離れた業務だから戸惑うのは当然だろう。でもそれは彼女に限ったことではない。うちの部署が設立されてほぼ一年、設立当初からのメンバーである俺たちでさえ未だに手探りの状態が続いている。それはおそらく他の自治体でも同様のはずだ。各自治体によって名前は微妙に異なるが、うちのような部署が一年半前に全国で一斉に設立された。

 ――こども未来局子育て支援部 マッチングサービス対応課。

 通称M対課。

 それがこの部署の名称だ。

 今から五年前――二〇一五年頃から、第三次AIブームが起きた。ディープラーニングによるブレイクスルーによって、AI技術は確実に進化を遂げた。AIの普及はあっという間だった。その速度は専門家の予測を大きく上回り、それまで人がやっていた業務のおよそ三分の一がAIに取って代わられた。さらに、政府はあらゆる省庁でAIによるデータの予測を実施、それに基づいた施策が検討され始める。

 その代表的なもののひとつが、人口減少対策だ。少子高齢化が進み、出生率の減少に歯止めがかからない状況を打破するため、政府はAIにその解決方法を図った。

 その結果、多くの解決策が提示された。AIやロボットによる業務効率化で保育園の数を増やすなど、出産後の女性への支援策に多くの予算が割かれた。

 そして、別の切り口から出された解決策のひとつが、未婚人口を少なくすること、つまり、政府主導で行われる未婚者のマッチングサービスの実施だった。

 現在は任意登録制で、登録者数は全国で約二十万人程度。具体的なサービス内容は、昔から民間企業が行っているお見合い仲介サービスと変わらない。登録者同士を引き合わせてカップルを成立させるように取り計らう。ただ、そのマッチングをAIが行うことでより成立の可能性が高まったとされている。

 そして、実際のマッチングサービス業務を行うのが、地方自治体に設けられた部署――うちの市ではここ、М対課ということになる。

「法案、通るんでしょうか」

 スマートフォンでニュース画面を見ながら、コトミが尋ねる。

 現在、マッチングサービスへの登録は任意だが、それを義務化する法案が提出されている。もし法案が通れば、三十歳未満のすべての未婚男女のマッチングサービスへの登録が義務化される。それに伴って、各種個人情報をマッチングサービスに利用されることも法制化されることになる。

 当然のことながら、政府はマッチングサービス以外への利用は行わないことを強調しているが、反対意見も根強い。

「与党は強く推しているからね。このままいけばたぶん通るだろうな」

「やっぱり、私は反対です」

 義務化法案が通れば、遺伝子情報を含めたすべての個人情報がマッチングサービスに利用されることになる。政府はあくまでもマッチングの精度を上げるためにのみ使用することに留めるとしているが、遺伝子情報をもとにしたカップリングの操作も可能となる。そして、これは公表されていないが、AIは個人情報をもとにしたカップリングによる子供の遺伝子操作を推奨しているらしい、というのがもっぱらの噂だ。

「課長だって……」

 コトミは周囲を見回しながら声を落とす。

 俺はそれには答えず、コトミにいった。

「あんまりムチャはするなよ」

「わかってます。課長は、次の日曜日は……」

 どうされるんですか、という問いかけの視線をコトミが投げかける。

「まあ、気が向けばな」

 俺の言葉に満足したらしく、コトミは頷いた。

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