#11 いったい何がしたいんですか先輩は

 内職、という言葉を同年代の人間から聞いたのは初めてだった。私たちの親の世代が比喩的な表現として『内職』という言葉を使うのを聞いたことがあるけど、スグロ先輩のいう内職は、本当に本来の意味の内職のことだった。要はアルバイトのことだ。一日だけの超短期のアルバイト。

 私たちはその内職をすることになった。

 それが二月七日、土曜日。

 先輩との約束通り、その前日私とリンコちゃんとイサミちゃんは、放課後隣町のショッピングモールまで出かけて、バレンタインのチョコレートを買った。イサミちゃんはスグロ先輩にチョコレートをあげるかどうか悩んでいたけど、私の予想した通り、結局買うことになった。

 誰だって、好きな人にチョコレートをあげたいはずだ。私にはイサミちゃんのこういうところが理解できない。どうしてもっと素直になれないんだろう。イサミちゃんを見ていると、たまにイライラしてしまう。たぶん私はそれほどやさしい人間ではないんだろう。たぶん私よりもリンコちゃんのほうが何倍、何十倍もやさしい人間だ。

 昨日も、チョコレートを買い渋っているイサミちゃんをずっと説得していたのはリンコちゃんだった。私はもう途中から正直いってどうでもよくなってきた。イサミちゃんのことは好きだけど、私には無理だ。そしてそんな自分が少し嫌いだ。

 ともかく、私たちはスグロ先輩の依頼をひとつこなした。そして、今ふたつ目の依頼を実行中だ。

 その内職の仕事は、まさに内職という言葉から連想するそのものズバリの内容だった。

 内職といえば――造花だ。

 私たちは部室でせっせと造花づくりに励んだ。

 部室にはいつものメンバー――私とリンコちゃんとイサミちゃん――のほかに、なぜか男の人が一人混じっている。

「ども、コミヤマっす」

 と自己紹介を始めたコミヤマ先輩の話によると、どうやらスグロ先輩と同じクラスの人らしい。

 コミヤマ先輩はとにかく落ち着きがなかった。

「いやぁ、スグロから頼まれてさ。ほら、うちってこういうのの取次もやってて。あ、この部室コーヒーメーカーなんてあるじゃん。いいなぁ。ちなみにオレ、文芸部だから。オレってほら、いかにも文芸部って感じだろ」

 とひとりでしゃべりながらコミヤマ先輩はうちの部室の中をうろうろと歩き回った。その間まったく手が動いていない。この人、いったい何しに来たんだろう。

「おー。ここも結構本があるじゃん。これみんな読んでんの?」

 部室の作り付けの棚に、昔の部員の人たちやスグロ先輩が置いていった本が納められている。文庫本もあれば単行本もある、その不揃いの背表紙たちをコミヤマ先輩はしげしげと眺めている。当然ながら、ブルーの背表紙の文庫本が圧倒的に多い。

 誰も返事をしようとしないので、仕方なく私が答えた。

「ちゃんと読んでいるのはスグロ先輩とイサミちゃんくらいです」

「なるほど。ちゃんと部活してるのはカグヤさんだけか。ヒヤマさんとオガワさんは不良部員だなー」

「ええ、まあ」

 適当に答えながら、私は少し驚いていた。さっき一度だけ名前をいっただけなのにコミヤマ先輩は私たちの名前を完全に覚えていた。リンコちゃんは全くの無反応で、黙々と造花を作っている。どうやらコミヤマ先輩のことは完全に無視するつもりらしい。まあそれは仕方がないか。

 それからしばらくコミヤマ先輩は本棚の本を何冊かぱらぱらと読んではまた戻し、を何度か繰り返していた。私たちは無言で作業にいそしんで、そろそろ材料も付きかけようとしたころ、ガラッと部室の扉が開いて、スグロ先輩が顔をのぞかせた。

「みんなご苦労様。どう、進んでる?」

「おお、スグロォ。もうそろそろ終わるぞぉ」

 座っている椅子を傾けて二本足だけでバランスをとって遊んでいたコミヤマ先輩がスグロ先輩に手を振った。

「お前全然手伝ってないな」

「だって俺、現場監督じゃん」

 そうだったの?

「いや。そんなの、ひとことも頼んでないから」

 やっぱり。

「まあいいや。どれどれ。おお、すごいじゃない」

 スグロ先輩は色とりどりの造花が詰め込まれた大きな段ボール箱四つ分を覗いて回っている。

「終了ー」

 最後のひとつを箱に投げ入れたリンコちゃんに、スグロ先輩は満足そうにうなずいた。

「いやぁ、お疲れ、お疲れ」

 相変わらずスグロ先輩はちょっとおじさんっぽい言葉遣いで私たちの労をねぎらいながら、鞄から封筒を取り出して私たちに手渡した。

「はい、これバイト代」

「ありがとうございます」

 中身は見ていないけど、条件がすごくいいバイトだとスグロ先輩がいっていたので、たぶんそれは本当のことなんだろう。

「そろそろ来てる頃だな」

 壁時計を見上げてコミヤマ先輩がつぶやくと、それが合図のようにスグロ先輩が段ボール箱を二つ抱えて立ち上がった。コミヤマ先輩も同じように残りの段ボール箱を抱えて部室を出ていく。

「ちょっと待ってて。すぐ戻ってくる」

 そういって、スグロ先輩も部室を出ていった。

「おおー。ふとっぱらー」

 リンコちゃんが封筒の中身を見ている。私とイサミちゃんも真似て、封筒の中を覗いてみた。なるほど。これだけで一万円とは、本当に太っ腹だ。

 五分くらいして、スグロ先輩は一人で戻ってきた。

「あれ。コミヤマ先輩は?」

「ああ、家の人と一緒に帰ったよ。車で一旦引き取りに来てもらってたんだ」

 リンコちゃんの質問に、スグロ先輩は腰をとんとんと叩きながら答えた。

「さて、と。みんな、よかったらこのあと『シカゴ』でお茶でも――」

「今日は、帰ります」

 そういって、イサミちゃんが立ち上がった。

「そうか。じゃあまた」

「はい」

 ひとこと、そういい残して、イサミちゃんは出て行った。イサミちゃんを見送ったあと、スグロ先輩はふうーっと息を吐いて席に着いた。

 部室に沈黙が訪れた。

 でもそれはほんの一瞬だった。

「あーっ、もう! だめだ、我慢できない」

 リンコちゃんが叫んだ。

「スグロ先輩!」

 バン! と両手で机を叩いて、リンコちゃんは身を乗り出した。その姿に圧倒されて、スグロ先輩はぎくっと体を引いた。

「イサミのこと、どう思ってるんですか」

 先輩は何も答えない。

「先輩のことだから、イサミの気持ちはとっくの昔に知ってるんでしょ? それなのに、ミサキさんと会ったり、そうかと思うとイサミとチョコを買いに行ってほしいって頼んだり。いったい何がしたいんですか」

 相変わらず、先輩は無言のままだ。

 私も思い切っていってみた。

「スグロ先輩。たぶん先輩は考えがあって今の状態を作り出しているんですよね。あの、こんなこといったらおかしな奴だって思われるかもしれませんけど、私、先輩には何か不思議な力があるんじゃないかって思ってるんです。だから、ミサキさんと会ったりすることも、何かちゃんと理由があるんじゃないかって。それで、そういうことはすべてイサミちゃんのためなんじゃないかって――」

「もう、ノリちゃんってば、またそんな訳のわからないこといい出して」

「だって……」

「先輩、今ここではっきりさせてください。イサミのこと――」

「ちょ、ちょっとリンコちゃん、そういうことはやっぱりまず本人が――」

「待った」

 突然、先輩が両手を掲げて、私たちのいい争いを制した。

「ふたりとも、ありがとう」

 そうって、先輩は頭を下げた。

「少しだけ、僕の話をきいてくれ」

 私たちはうなずいた。

「僕はカグヤさんのことが好きだ」

 唐突に、先輩は切り出した。

「いっておくけど、この『好き』はそこいらの高校生が使う『好き』じゃないよ。自分でいうのもなんだけど、この気持ちはけっこう気合が入ってるんだ」

「だったらどうして……」

 つぶやくように、リンコちゃんがいった。

「ノリちゃん。君はなかなか鋭いよ。さっき君がいったことはかなり真実に近い。僕が最優先に考えているのは、カグヤさんのことだ。これだけは覚えておいて」

「つまり、ノリちゃんがいうように、先輩の行動にはちゃんと理由があって、それはすべてイサミのためだっていうんですね」

「そうだ。でも、その理由を君たちに説明することはできない。そんなことをすれば、元も子もなくなってしまう。申し訳ないけど」

 リンコちゃんがため息をついた。

「結局、先輩を信じるしかないってことじゃないですか」

「うん。まあ、そういうことになるな」

 私はたまに心配になる。イサミちゃんが突然ふっといなくなってしまう気がするのだ。やーめた、とつぶやいて、何もかも放り出して、ひとりでふらっとどこかへ行ってしまうんじゃないかって。そんなイサミちゃんをつなぎとめることができるのは、スグロ先輩だけだ。

「あの、先輩の気持ちだけでもイサミちゃんに伝えることはできないんですか?」

 先輩は握りしめた右手を唇に当てて考え込んだ。

「わからない。僕にもよくわからないんだよ。それが悪いほうに転がってしまう可能性があるんだ。だから、少なくとも今は、彼女に自分の気持ちは伝えない」

「少なくとも、今は?」

 いつものように、先輩は人差し指を立ててこういった。

「ひとつ、約束しよう。二月十一日を乗り切ったら、僕はカグヤさんに自分の気持ちをちゃんと打ち明ける」

 二月十一日、その日、いったい何が起きるのか。それを尋ねてもきっと先輩は答えてはくれない。それはリンコちゃんもわかっているみたいで、私たちはそれ以上深く追求しなかった。

「わかりました。リンコちゃん?」

「しょうがない。先輩を信じるよ」

「ありがとう、ふたりとも。だから当日、カグヤさんのこと、よろしく頼む」

 スグロ先輩は、また深々と頭を下げた。

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