#8 大人っぽくなったらしい先輩は

 私とリンコちゃんの役目は、ミサキさん――それが『クロスロード』の彼女の名前だった――と仲良くなることだった。リンコちゃんは物怖じしない子だから、それは難しくなかった。「タイプじゃないんだけど」という彼女の小言は聞き流すことにした。

 スグロ先輩がいきなり誘うよりも確実だということだったけど、私は別にスグロ先輩だけでも全然問題なかったんじゃないかと思っている。ともかく、私たちはミサキさんにおススメのレコードを教えてもらうことで仲良くなって、彼女の休み時間にお茶をおごってもらった。そして、会ってほしい人がいるというと、ミサキさんはあっさりと了承した。あまりにも簡単すぎてちょっと拍子抜けしたくらいだ。もしかしたら、彼女はスグロ先輩と私たちが一緒にいたときのことを憶えていて、会ってほしい人というのがスグロ先輩だと予想していたのかもしれない。

 待ち合わせは『クロスロード』の隣のビルの一階にある喫茶店。一月十八日の日曜日。スグロ先輩のすぐ後ろの席で、パーテーションの陰に身を潜め、私とリンコちゃんはミサキさんが来るのを待っていた。

 待ち合わせ時間を五分過ぎた頃、スグロ先輩の席に人が来る気配がした。

「すいません、お呼びだてして」

「ううん。ちょうど何か飲みたかったから。それに、たぶん君だと思ったからね」

 やっぱり、ミサキさんは私たちのことを憶えていたんだ。

「そういってもらえるのは嬉しいんですけど、実は、本当に会ってほしい人は別にいます」

「ふうん。手が込んでるわね。でも、面白そう。それで、会ってほしいっていうのは? 男の子なんでしょ?」

「はい。後輩です」

「私、付き合ってる人、いるよ」

「知ってます」

「どうして知ってるの」

「男の人と歩いているのを見かけました」

 そうなの? スグロ先輩はそんなこといってなかったけど。ひとりで調べたんだろうか。先輩ならそれくらいやりそうだ。でも驚くのはまだ早かった。

 スグロ先輩はミサキさんにこういい放った。

「ちなみにあの人、二股かけてますよ」

 え。

「知ってるわ」

 ええーっ。

 私とリンコちゃんは思わず顔を見合わせた。

 スグロ先輩、どこからそんな情報を仕入れたんだろう。しかも面と向かっていきなり本人にいうなんて。相変わらずこの人は予想もつかないことをする。

 ふたりはしばらく黙り込んだままだ。どうして何もいわないんだろう。

「あんまり驚かないのね」

「驚いてほしかったんですか?」

 ミサキさんがため息をついた。

「そうね。わかった。会ってあげる。自分でもね、このままじゃだめだって思ってるのよ。でも、いざ彼と会ったら何もいえなくなっちゃう」

 また無言の状態が続いた。

「君、しばらく見ないうちになんだか雰囲気変わったわね」

「そうですか」

「なんだかすごく大人っぽくなった。彼女でもできた?」

「いいえ、彼女はいません。たぶん、ブルースを聴くようになったからでしょう。あなたが薦めてくれました。確か、マディ・ウォーターズでしたよね」

「じゃあ、私のおかげ?」

「そうですね」

「何かお礼をしてもらってもいいんじゃない」

「何がいいですか」

「私とデートして」

「できません」

「どうして」

「僕には、好きな人がいます」

 私とリンコちゃんはまた顔を見合わせた。

「ねぇ、あなた今、結構ひどいことをいってるのよ。ただ単に私のお願いを断ったということだけじゃなくて。それ、わかってる?」

「わかってます。でも、半分はあなたの責任ですよ。それに、もし気が乗らなければ、僕のお願いは断ってもらっても構いません。どうせそれほど親しい友人ではありませんから」

「私、これまでけっこういろんな人と付き合った。最初はね、ああ、この人とならずっといっしょにいられるな、って思うのよ。でも、長くは続かない。どうしてかな」

「本当は、そういう人とまだ出会ってないだけなのかもしれません」

「そうかな」

 先輩は何もいわない。

「もしかしたら、もうとっくに出会ってて、でも気付かないまますれ違って、それでこの先ずっと出会わないかもしれない」

「それは誰にもわかりません」

「いつも思うのよ。今度こそって。今度こそ大丈夫って」

 カタン、とコーヒーカップを置く音が聞こえた。

「どうして私、こんなこと高校生に話してるんだろ」

「恋愛に年齢は関係ありませんよ」

「私の気持ち、わかる?」

「たぶん」

「ほんとに?」

「ブルースを聴きましたから。だから僕にもわかります。こういう気持ちをきっとブルースっていうんでしょう? 違いますか?」

 くくっと、喉を鳴らしてミサキさんが笑った。とても色っぽい笑い方だった。

「まったく。高校生のくせに、ブルースを聴くなんて」

「あなたが薦めたんですよ」

 イサミさんがテーブルの上で何かを書いている音がした。

「一人暮らしだから、いつかけてもらってもいいわよ」

 どうやら電話番号を書いた紙をスグロ先輩に渡したみたいだ。やがて、ミサキさんが立ち上がる気配がした。

「お店、また来てくれる?」

「はい」

「待ってる」

 去っていく彼女の足音を聞きながら、私たちは大きく息を吐いた。

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