#9 一瞬で世界が変わるその言葉は

 これまでの十六年間の短い人生の中でこんなにも緊張したことはいまだかつてなかった。心臓の鼓動が聞こえる。まるで耳の側で鳴っているみたい。

 図書室までの廊下を歩きながら、私はスグロ先輩の言葉を思い出していた。

 ――レイコさんがどういう人なのか、君はレイコさんのどういうところが好きなのか、もう一度よく考えてみて。

 あれから私は何度も考えた。四六時中、そのことばかり考えていたといってもいい。

 SF研究部に入ってから、私はほとんどまともにレイコ先輩と言葉を交わしたことがなかった。もともとレイコ先輩はめったに部室に顔を出さなかったけど、部室にいるときも、私は緊張してしまって、気安く話すことができなかった。

 それでも、部室に行く前は、レイコ先輩が来ることを期待していた。来てくれればいいと思っていた。そして、レイコ先輩が部室にいるときは、緊張はしたけど、同じくらい安心もした。この人と同じ空間にいるんだと思うだけで、ぐにゃぐにゃと体が溶けていきそうな、幸せな気持ちになった。

 そんなふうだから、私はレイコ先輩がどういう人なのか、ホントのところは知らない。レイコ先輩のどういうところが好きなのか、ちゃんと説明もできない。でも、私がレイコ先輩のことを思い出すとき、真っ先に頭に浮かぶのは、今でも初めて会ったあの雪の日の先輩の姿だ。

 あのときの先輩はまるで何かを抱き止めようとしているみたいだった。そして同時に、何かに抱き止められるのを待っているみたいだった。

 できることなら、過去に戻って、あとのきの先輩に抱き止めてもらいたかった。

 できることなら、過去に戻って、あのときの先輩を抱き止めてあげたい。 


 そんなわけのわからないことを考えていると、あっというまに図書室に到着してしまった。

 扉を開けると、レイコ先輩は受け付けの机に座って、本を読んでいた。

 私に気付くと、先輩はしおりを挟んでから本を閉じた。

「あら、めずらしいわね、リンコちゃんがここにくるの」

 私は一瞬頭の中が真っ白になってしまったけど、なんとか気を持ち直して、受け付けの机の前まで歩いていった。

「あの、先輩。お話があります」

 私は先輩の目を見つめた。こんなに間近で先輩を見つめたのは初めてだ。

 先輩は私の表情を見て、何かを察したようだった。

「じゃあ、ちょっと待ってて」

 そういって、先輩は奥の部屋から立て札を持ち出してくると、それを部屋の外に置いて扉を閉めた。スグロ先輩とここで初めて会ったときに置いてあった、あの『書棚の整理中 しばらくお待ちください』の立て札だ。

「座ろっか」

 そういって、先輩は窓際の閲覧用の席についた。私はちょっと迷ったけど、先輩の隣の席に座った。

「実は、私もリンコちゃんにずっと聞きそびれていたことがあるの。私が中学三年のときだから、リンコちゃんが中一のとき、大雪が降った日があったの憶えてる? 夜、雪が積もって、次の朝、学校に行く途中で私、女の子に会ったの。リンコちゃん、もしかして、あの雪の日の女の子なんじゃない?」

 先輩のその言葉が、私からいろんなものを一瞬で吹き飛ばした。先輩に気持ちを伝えるべきなのか。先輩は私のことをどう思うだろう。先輩に嫌われたらどうしよう。いや、たぶん嫌われる。せっかくまた会えたのに。それに、これからだって。もしも先輩に打ち明けたら、すべてが台無しになってしまう。ぜったいにそうなる。

 でも、先輩は私のことを憶えていてくれた。

 うじうじと私を悩ませていたいろんな考えが、たったそれだけで跡形もなく消え去ってしまった。

「……そうです。私もあの日の先輩のこと、憶えてます」

「やっぱり。私、ずっとあの子にもう一度会いたいと思っていたの。だから、あの日図書室でリンコちゃんを見て、すごくびっくりした。しかも、うちの部に入ってくれて。ごめん、私の話ばかりになっちゃって。それで、リンコちゃんのお話は?」

「私もずっと先輩に会いたいと思ってました。あの雪の日から、ずっとです」

「どうして声をかけてくれなかったの?」

「それは……」

「そうよね。なんて声をかけたらいいのかわからないわよね」

「そうじゃないんです。先輩になんていえばいいか、それはちゃんとわかってました。でもずっといえなかった。今日、それをいいに来たんです」

 私は両手をぎゅっと握りしめた。

「私、先輩のことが好きです」

 いってしまった……とうとう。

「それは、私と付き合いたいということ?」

「はい」

「恋人として?」

「はい」

「わかった」

「は……はい?」

「わかった、っていったのよ」

「え。いや……」

「嫌なの?」

「い、嫌じゃないです。でも、そんな、いいんですか。だって……」

「リンコちゃん、落ち着いて」

「はい」

「私たち、付き合いましょう。だから、安心して」

「はい」

「さっきからリンコちゃん、はい、ばっかり」

「すいません」

 先輩は私の手をそっと握った。

「ううん。ごめんね。でも、もう大丈夫よ」

 それから、私がなんていったのか思い出せない。なぜなら、私はほんとうに溶けてしまったから。

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