#4 あの日あの人が泣いたのは

 西校舎の掲示板に紙を留めた次の日、私たちは休み時間のたびに、西校舎まで出かけて行って紙がまだあるかどうか確認した。

「まだある」

 五時限目が終わったあとも、紙はまだなくなっていなかった。

「今日はもうだめかもね」

 がっかりしているリンコに私は指摘した。

「っていうかさ、いつも私たちが見に来るから、向こうも取りに来れないんじゃないの」

「なるほど。さすがイサミ、鋭いね。でもさぁ、気になるじゃない」

「明日はがまんして見に来るのやめてみようよ」

「わかった。じゃあとりあえず、今日も『シカゴ』で作戦会議しよう」

「作戦って、なんの?」

「『マスター』が現れなかった場合に決まってるじゃない」

「ふたりとも、ごめんね。やっぱり自分でなんとかしなきゃいけないのかも」

 ノリちゃんが申し訳なさそうにうつむく。

「まあ、まだ結論出すのは早いよ。こういうことは焦っちゃだめだって。ねぇ、イサミ」

「うん、まあ、そうだね」

 とはいうものの、そんなこと私にはわかるはずもない。

 こんなので本当に『マスター』とやらに連絡が取れるのだろうか。いや、そもそも本当に『マスター』なんているんだろうか。それ以前に、こんなことを他人任せにしていいのだろうか。

 もちろん、そんなこと口にはしない。私はもう子供じゃない。周りとうまくやっていく方法は身につけている。それに、ノリちゃんの恋はうまくいってほしい。

 放課後、下駄箱の前で靴を履き替えながら、私は教室に忘れ物をしていることに気がついた。

「ごめん、ふたりとも先に行ってて。忘れ物」

 教室に戻って、机の中から宿題のノートを取り出して鞄に入れた。教室を出て、私はふと足を止めた。リンコにはああいったけれど、ちょっと西校舎を覗いてみよう。もしかしたら、放課後に取りに来ているかもしれない。

 私は、二階の渡り廊下を通って西校舎に入り、階段を降りていった。

 西校舎の廊下は西日が当たってオレンジ色に染まっていた。階段のすぐ脇が掲示板だったはずだ。階段を降りきって、廊下に出た私は、そこでぎくりと足が止まった。

 掲示板の前に男子生徒が立っていた。

 その人は、私に気がつくと、こちらを振り向いた。

 最初私は、この人は私を誰かと勘違いしているんじゃないかと思った。その人が私を見る視線が、なんとなく知り合いを見るときの視線のように感じたから。それも、久しぶりに会った人を見るような、そんな感じだ。やがて、その人は微笑んだ。

 でも、私はその人とは初対面だった。

 そのはずだ。

 私は一度会った人の顔は決して忘れない。私の記憶にはその人の顔はなかった。

 なのにどうして? 

 その人は私を見て、涙を流し始めた。

 驚いた。

 男の人が泣くのを見るのは初めてだった。それも初めて会った人が目の前で涙を流すなんて。

 あまりのことに動けない私の横を、その人はゆっくりと歩き去っていった。

 しばらくして、ようやく私は我に返った。

 なんだったんだろう。

 ふと、掲示板を見ると、紙がなくなっていた。

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