#2 気になるあの子との距離を縮めるには
入学して一ヶ月が経っていた。
リンコと私は別々の中学出身だ。私の中学からこの高校に来たのはほんの数人だったから、新しいクラスには自分と同じ中学出身の子はいなかった。そんな状況を知ってか知らずか、リンコは入学式のあと、私に話しかけてきてくれた。
「その髪型、いいね」
それが、リンコが私に初めてかけた言葉だった。私の髪型はなんの面白味もないショートカットだったから、ちょっと驚いた。そんなことをいわれたのは初めてだった。同級生の多くはアイドル歌手をまねた似たような髪形だったから、珍しかったのかもしれない。
もしもリンコじゃない別の子に同じことをいわれたら、嫌味じゃないかと勘ぐってしまっただろう。
でも、リンコの言葉にはそんな気配は一切感じられなかった。
「ありがとう」
だから私は素直にそういえた。
「私、オガワスズコ。みんなはリンコって呼んでる」
「リンコ?」
「スズコの鈴。リン、リン」
そういって、リンコは手に持った鈴を振るような仕種をした。
私はこれまで友達といえるような子はいなかった。小学校、中学校を通じて、それなりに仲のいい子はいたけれど、私はつい彼女たちと距離を置いてしまう傾向があった。女の子たちとのべったりとした関係が苦手だったからだ。
そんな私のどこを気に入ってくれたのか、リンコは新しいクラスで私の前の席になると、休み時間には「ねぇ、イサミ」と、必ず声をかけてくれるようになった。
リンコの積極的なアプローチを私はすんなりと受け入れた。彼女の行動には、相手のことを考えないような無神経さがなかったからだ。それに、彼女はなんとなく私の性格を見抜いていて、適度な距離感を保とうとしてくれているようにも見えた。
帰宅部の私たちは週に数回、帰り道にある喫茶店『シカゴ』に寄り道をしていた。クラスにいるときと同じく、ほとんど一方的にリンコが喋って、私は主に聞き役だ。
その日も、放課後ノリちゃんを加えた私たち三人は『シカゴ』にいた。
「でさ、例の噂の出所というのが――」
席に着くなり、リンコが話し始めた。
「私の中学のときの先輩なの。二年のキョウコ先輩。最近彼氏ができたって聞いて、いろいろと教えてもらったんだ」
「そのキョウコ先輩が『マスター』に相談したの?」
やっぱりノリちゃんは興味津々みたいだ。
「ううん、違う。『マスター』に相談したのは先輩じゃなくて――」
リンコの話によると、キョウコ先輩に、隣のクラスの男子生徒―リンコ曰く、ここではAくんとしておこう――が告白した。
正確にいうと、まず、Aくんが声をかけてきた。キョウコ先輩はAくんとは面識がなかったから、最初は驚いた。それはそうだろう。その見ず知らずのAくんはキョウコ先輩にいきなりこういったそうだ。
――うちの猫を知りませんか?
「猫?」
ノリちゃんが首をかしげた。
「そう。猫」
Aくんの家では猫を飼っていた。その猫が行方不明になった。あちこち探した結果、どうやらキョウコ先輩の家の近くで目撃されたらしい。Aくんは猫の写真をキョウコ先輩に渡して、もし見かけたら教えてほしいとお願いした。
キョウコ先輩の家でも猫を飼っていた。というよりも、キョウコ先輩は大の猫好きだった――そういったほうがこの場合は適切なのかもしれない。キョウコ先輩はなるべく近所を気をつけて見てまわったけれど、Aくんの猫は見つからなかった。
それからふたりは学校で毎日のように声をかけ合った。
――見つかった?
――ううん、まだ。
一週間後、Aくんがキョウコ先輩に声をかけてきた。
――猫が見つかった。
探してくれてありがとう、猫は昨日ひょっこり帰ってきたよ。
Aくんはキョウコ先輩にそういった。
猫好きのキョウコ先輩はそれを聞いて喜んだ。なぜならキョウコ先輩が昔飼っていた猫は、ある日急にいなくなって、そのまま帰ってこなかったから。猫は、死期が近づくと、自ら姿を消すという話があるらしい。そして、キョウコ先輩もその話を信じていた。だから、Aくんの猫が帰ってきたと聞いて、キョウコ先輩は自分のことのように喜んだ。
お礼といってはなんだけど――Aくんはそう切り出した。帰ってきた猫を見に来ない?
「ふうん、なるほど」
と私はうなずいた。
「それで、ふたりは付き合うようになったわけね」
「まあ、そういうこと」
「それで、『マスター』はどう関わってくるの」
ノリちゃんが尋ねた。
「うん、実はね、キョウコ先輩の彼氏――Aくんが『マスター』に相談したらしいの。先輩に声をかける前に」
「どういうこと?」
「キョウコ先輩と付き合いたいんだけど、どうすればいいかって相談したらしい。『マスター』は、たまたまAくんの家の猫が行方不明だって知ると、こういったんだって。うちの猫を知りませんか――キョウコ先輩にそうやって声をかけろって」
「なんか嘘くさい」
私は腕を組んで首をひねった。
「まあ、そういわないでよ」
「もしもキョウコ先輩が猫好きじゃなかったら? 仮に猫好きだったとしても、そんなにうまくいくとは思えない」
「もう、イサミは疑り深いんだからぁ。キョウコ先輩は嘘をつくような人じゃないし、このことは誰にもいうなって念を押されてるんだからね。あ、ごめん、これ内緒にしといてね」
まったく、調子のいいやつめ。溜息をつく私の隣でノリちゃんが口を開いた。
「その、キョウコ先輩の彼氏――Aくんは、『マスター』と知り合いだったのかな」
「そこなのよ、重要なのは。『マスター』と連絡を取る方法があるみたいなの」
突然ノリちゃんが身を乗り出した。意地悪そうにリンコがいう。
「聞きたい?」
困った顔をしてノリちゃんがうつむく。
「ごめん、ごめん。ちゃんと教えるから。まず――」
『マスター』と連絡を取る方法。
まず、学年とクラスと名前を書いた紙を西校舎の一階にある掲示板の隅にピンで留めておく。
しばらくすると、靴箱の中に次の指示が入っている。そこで『マスター』と落ち合う場所が指定されるそうだ。
私たちは、『一年三組 檜山典子』と書いた紙を小さく折りたたみ、西校舎の一階掲示板の左側の隅に押しピンで留めた。西校舎は、学校の敷地内で一番端に位置していてる。理科室や視聴覚室のある棟で、普段はあまり人がいない。
「これでよし」
リンコが腕を組んでうなずいた。
「どれくらいで返事がくるんだろう」
あたりをきょろきょろ見渡しながら、ノリちゃんがつぶやく。
「二、三日後だってさ」
私はまだ半信半疑だった。
「ねえ、リンコ、本当にかつがれてない?」
「イサミは心配性だなぁ」
押しピンで留められた小さな紙を見つめているノリちゃんの背中を、リンコがぱんぱんとたたいた。
「大丈夫。いざとなったら、私とイサミがなんとかする。でしょ、イサミ」
「そりゃ、まあ」
不安そうなノリちゃんの横顔を見ながら、仕方ない、乗りかかった船だ、と私は思った。
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