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 だめだ……


 まだ……泣くな……優香……。


 まだ……泣いちゃだめ。


 自分に言い聞かせ、涙を堪え笑顔を見せる。


「私ね、今からデートなの」


「デート……!?」


 矢吹君の声が大きく跳ねた。


「そうだよ、私ね、動物病院の先生に『付き合って欲しい』って言われたの。だから、今からデートなんだ」


 私は北川先生に『付き合って欲しい』なんて、言われてはいない。ただ……ライブのチケットを貰っただけ。


「Mysteriousのライブなんだよ。異世ファンよりカッコいいんだから」


 私は矢吹君に嘘をついた。

 北川先生と付き合ってないし、異世界ファンタジーよりもカッコいいバンドなんていない。


 矢吹君は驚いた顔で、私を見つめた。


「動物病院の先生と付き合っているのか……?」


「そうだよ。私は普通の人と付き合いたいの。週刊誌に騒がれるなんてまっぴらだし。矢吹君には自分の道を突き進んで欲しい。矢吹君のこと陰ながら応援してるから。私は俳優矢吹貴のファンでいいんだ」


「優香!何言ってんだよ!本気なのか!を言ってるのか!あんな怖い体験をしたら誰だって気が動転すると思うけど、俺は優香のことを本気で……」


 矢吹君が私の肩を掴んだ。


 あんな怖い体験って、なによ。

 一般人がスキャンダルに巻き込まれたら、日常生活がおくれなくなるんだからね。


「矢吹君、もうやめよう。お願い。私と別れて……。私、これ以上あなたと拘わりたくないの」


 我慢していたのに、涙が零れ落ちた。


 その時、タイミングよくバスが来た。


「矢吹君……さよなら……」


 私はバス停に向かって走った。

 後ろを振り向かずに、バス停に走った。


「……優香」


 矢吹君の声は……

 ちゃんと聞こえていたよ……。


 でも私は……矢吹君の声を無視して、バスに飛び乗った。


 バスの後部座席の窓から、呆然と立ち尽くす矢吹君が見えた。


 バスが発車して、矢吹君が段々小さくなっていく。


 我慢していた涙が、一気に溢れ出した。


 他の乗客がいるのに、私は形振り構わず号泣した。


 ――矢吹君……


 ごめんね。


 いっぱい嘘ついて……


 ごめんね。

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