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 羞恥心と高揚感が入り交じり、どんな顔をしていいのかわからず、瞼をギュッと閉じた。


 矢吹君の肌と私の肌が重なり、そのぬくもりが伝わる。二人の鼓動がトクントクンと同じリズムを刻む。


 矢吹君は右手の薬指にしているサファイアにくちづけた。次の瞬間、まるで湖の中に沈んでいくような、不思議な感覚にとらわれた。


 視界がコバルトブルーに包まれ、体はぷかぷかと湖水の中で揺れている。


 そんな錯覚にとらわれるくらい……

 心地よい胸の高鳴り……。


 ――ここが……

 湖の中であるはずはないのに……。


 ◇


「優香、優香……大丈夫?」


「ふえっ!?」


 揺り起こされて瞼を開くと、ここは湖ではなく矢吹君のベッドの上だった。


「よかった。気を失ったのかと思った」


 気を……失った?

 コバルトブルーの湖の中で、ゆらゆら揺れてる夢を見たんだ。


 私……

 初体験の最中に、気を失ってしまったの!?


 そんな……

 初体験を覚えてないなんて。

 それって最悪だよ。


 思わず布団の中に潜る。

 恥ずかしくて矢吹君に合わせる顔がない。


「来月、映画関連の対談や雑誌のグラビアに掲載されるんだ。事務所の方針もあるから、あまり外で逢えなくなる。だからこの部屋の鍵を優香に持っていて欲しい」


「部屋の鍵を……私に?」


 ヒョコッと布団から顔を出す。


「……あっ、顔を出した。モグラみたいだな。くくっ……」


「もぐらって……ひどい」


「あははっ、ごめん、ごめん。はい、これ俺の部屋の鍵」


 私の手のひらの上に、矢吹君の部屋の鍵。


「いいの?だって、マスコミに写真とか撮られたら大変だよね?」


「大丈夫だよ。俳優デビューしたばかりの俺なんて世間の人は興味ないよ。このマンションはオートロックだし、優香が俺に逢いに来てるなんてわからないよ」


 本当にバレないかな?

 ちょっと心配だよ。

 でも、嬉しい。


「矢吹君、ありがとう。家から近いし、時々お邪魔するね」


「よかった。優香、家まで送って行くから。先にシャワー使っていいよ」


「……うん」


 シャワーか。

 このセリフ、何度聞いても恥ずかしい。


 矢吹君は白いバスローブを持って来てくれた。新品のバスローブは、私のために用意してくれたものだった。


 誰も袖を通したことのないバスローブ。

 矢吹君は私とこうなることを予測していたのかな。


 照れながらも、そのバスローブに身を包む。


 矢吹君と私……

 再会した初日に、特別な関係になった。


 大人になった私……。

 でも、心はまだ追いつかない。

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