第26話 敦盛を舞う

 津島に戻った俺たちは、まず神砲衆を再編成した。

 死人や怪我人を除き、いま津島の屋敷で動ける人数は、俺を含めて27人。

 さらにここに、現在藤吉郎さんの護衛についている五右衛門と、行方不明の前田利家さんも加えたら29人になる。


 神砲衆は急いで、武器や道具、さらに兵糧の準備をする。

 食べ物については、あかりちゃんが津島中の知人友人に声をかけて、10数名の人間を集め、握り飯を大量に作ってくれた。


「頑張ってくださいね、山田さま」


「ありがとう、あかりちゃん。……行ってくる」


 津島の屋敷。

 その留守と、怪我人の手当を彼女に任せ、俺たち神砲衆は清洲城へと向かうことにする。


 そして、屋敷を一歩出たところで、


「おい、大将」


 と、声をかけられた。

 振り返ると、そこには蜂須賀小六さんと大橋清兵衛さんが立っていた。

 その後ろには服部小平太さん以下、津島衆の面々数十人も立ち並んでいる。


「お二人とも、ご無事でしたか!」


「おかげさまでなあ。あの負け戦には老体にはこたえたが」


「よく言うぜ……。清おじなんか、楽しんで工作を仕掛けていたくせに」


「工作……?」


 意味が分からなくて尋ねてみる。

 すると、どうも、こういうことらしい。


 大橋さんと小六さんは、田楽狭間において負け戦と分かった瞬間、これはとにかく今川軍を足止めしておかねばならないと気が付いた。

 信長が生きているにせよ死んでいるにせよ、今川軍がこのまま尾張に進軍すれば、津島の治安が乱れることは必至だからだ。


 そこで小六さん達は、今川軍の雑兵や足軽に金を渡して寝返らせ、今川軍の兵糧を尾張に流したり、あるいは武器や防具をひっそりと買い取ったり、織田と斉藤が手を組んだなどといった虚報を流したりして、今川方を混乱させたりしたのだ。工作とはそういうことだ。


 今川軍が今日まで動きが鈍かったのは、柴田さんと前田さんが今川義元を負傷させていたこともあるだろうが、小六さん達のゲリラ活動の効果も大きかったのだろう。


「さすがですね、小六さん」


「この手のやり口は、オラたちの得意とするところよ。……それよりも山田弥五郎。上総介さまは本当に生きているんか?」


「もちろんご存命です。今川がついに動いたと知って、おそらく決戦に挑むことでしょう。俺たちもこれから、その加勢に行くところです」


「なるほど。まあそういうこったろうと思って、声をかけたんだが」


「さすが上総介さまよな。津島衆も無論加勢する。そのためにこうして集まったのじゃからな」


 いよいよ役者は揃ってきた。

 俺たち神砲衆は、津島衆の小六さんと大橋さんとも合流し、百人近い集団となって、清洲城へと向かったのである。


 ときはまさに、1560年5月18日のことであった。




 清洲城に到着した頃、すでに日は暮れ、世界は闇に包まれていた。

 俺は伊与たちを城の片隅に残すと、自分ひとりで評定の間に向かう。


「来たか、山田」


 評定の間には、信長、滝川さん、佐々さん。

 さらに重臣である林秀貞、佐久間信盛といった面々も集まっていた。


「神砲衆、山田弥五郎、参上仕りました」


「ああ、見れば分かる。そんな固いあいさつはよい。それよりも鷹狩りについて語っていたところじゃ。そちもなにか語れ」


「鷹狩り、ですか」


 いきなり信長にそんなことを言われて、俺は少し驚いた。

 今川軍が迫っているというのに、そんな雑談をしていていいのだろうか。

 事実、林秀貞は、しわの多い顔をしかめて、


「運の尽きる時には知恵の鏡も曇ると言うが、まさにそれか……」


 と、聞こえよがしの発言をする始末だ。

 しかし信長は、そんな彼のことなどまるっきり無視して、引き続き鷹狩の話題を滝川さんに振っている。滝川さんはやや戸惑いの顔色を見せ、林秀貞は深いため息をついたものだ。


「……」


 信長はそんな林秀貞をちらりと見た。

 その仕草を見て、俺の疑問は氷解した。


「――じつは俺、鷹狩りをしたことがないんですよ。そんなに面白いのですか?」


 俺がそう言うと、信長は目を光らせた。


「面白いぞ。獲物に向けて鷹を飛ばす時の気持ちよさといったら、ない。山田、そちは遊びを知らなすぎる。今度、鷹狩りについても教えてやろう」


「ありがたき幸せ……」


 俺はへらっと笑って平服した。

 それからも雑談はずいぶんと続き、いよいよ深夜になった。

 すると信長は、おもむろに立ち上がり、


「もはやこのような刻限ゆえ、今日は帰って良いぞ。……ああ、鷹狩りの話がまだしたいゆえ、山田はついて参れ」


 そう言って、部屋を出ていった。

 俺はその後に続いた。




 ややあって。

 俺と信長、それに信長付きの小姓ふたりの合計4人は、清洲城奥の廊下を歩いていたが。

 しかし信長は、奥の部屋まで移動すると、「そちたちは、下がっておれ」と言って小姓たちを別の部屋へと移動させる。


 俺と信長は、二人きりになった。

 そして信長は、ヒソヒソ声で、


「五郎左と藤吉郎が、まもなく六角の兵を率いてこの城に参る」


「藤吉郎さんが。万事うまくいったようですね」


「藤吉郎とそちの手柄じゃ。三郎、礼を言うぞ」


「……先ほどの鷹狩の話は、やはりそれを隠すために?」


「無論、そうよ。六角の援軍が来ることは、間違っても今川に悟られてはならぬ。ゆえに味方さえ欺いた。どこに今川の目があるか分からぬからな。……余にはまだ、敵も多いゆえ」


「…………」


 先ほどの評定の間には、例えば林秀貞がいた。

 彼はかつて信長の弟、織田信勝の味方をして、信長に逆らった過去がある。

 その過去を思えば、信長が彼の事を警戒するのも分かる。重要機密は、彼の前では語ることができないというわけだ。


「山田。今川は手強い」


「はっ」


「六角の援軍が来るとはいえ、勝ち目は薄い。……本来、いくさとは勝つ前に勝利の手立てを幾重にも張り巡らさねばならぬ。しかし今回ばかりはそれもできない。時間はなく、彼我の兵力差はあまりにも大きい」


 信長は珍しく多弁に語る。

 俺に向けてというより、自分に言い聞かせているようだった。


「しかし、勝たねばならぬ」


「はっ」


「敵が鬼神であろうとも。この尾張国と織田家のために、そして余自身のために」


「……」


「……山田。そちはこれまで何度も余を助けてくれた」


 黒い瞳が、俺を見つめてくる。


「今度も、余を助けてくれ」


 落ち着いた、しかしかすかに震える声で、信長は俺に微笑を向けた。

 勇気を振り絞るとしているのがよくわかった。――俺はこのとき、のちの天下人であり、英雄の織田信長ではなく、人間としての彼を見抜いたような気がした。


 彼も、怖いのだ。

 自分よりも圧倒的に強い敵を相手に、怯えを抱いている。

 一度、戦いで負けているのだから、なおさらだろう。 


 しかしそれでも、大名として武将として、男として人として、戦いを挑もうとしている。

 満年齢でいえば26歳。いまなお青年の信長は、だが挑戦をしようとしているのだ。


 俺は。

 深々と、頭を下げた。


「言うまでも無いことです。俺の命運は、とうの昔に上総介様に捧げております」


「……ありがとう」


 見たこともないほど優しいまなざしで、彼は俺を一直線に見据えてきた。

 俺にはもう、言葉はいらなかった。ただもう一度だけ、首肯した。


 ……そのときだった。

 ドスドスドスと、せわしない足音が聞こえてきた。

 振り返ると、侍が早足でやってきている。そしてその侍は、信長の姿を確認すると叫んだ。


「今川治部、北上。兵15000を率いて、熱田に向け進軍を始めました!」


「!」


「来たか」


 俺は目を開き、信長はうなずいた。

 そして、彼は懐から扇子を取り出すと、高らかな声音と共に、その場で舞い始める――




人間五十年


化天のうちを比ぶれば


夢幻の如くなり


一度生を享け


滅せぬもののあるべきか




 幸若舞の ひとつ、敦盛の歌だ。

 信長が激しく好んだと言われるその歌。

 甲高く神々しささえ伴ったその声を聞いて、俺は心が震えた。


 いま、信長が俺の目の前で待っている。それ自体がまるで夢か幻のようなものだ。

 本来、出会うはずのない俺と彼が、時を越えて邂逅し、共に戦おうとしている……。


 ――やがて信長は、カッと目を見開くと、


「山田、そちは清洲ここに残れ。やがて五郎左と藤吉郎が援軍を連れてくるゆえ、彼奴らと合流してから参るがよい」


「殿様はいずこに!?」


「余はこのまま、熱田に向かう!」


 信長は、家来を呼び、彼らに命じてみずからの身体に具足を装備させ、それから立ったまま湯漬けを大急ぎでかきこんだ。そして、騒ぎを聞きつけたのかその場に5人の若武者がやってきたのを見て、彼らに大きな声をかけたのだ。


「そちらも来い! 余はこれより今川治部との決戦に挑む! この一戦に負ければあとがない。織田家の命運が今日この日にすべてかかっていると思え!」


 夜も明けぬ世界の中、信長の吼声おたけびが轟いた。

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