第44話 長良川の戦い

「こりゃ……どういうことじゃ?」


 藤吉郎さんが、怪訝顔を作る。

 体調を回復させてから、信濃を出て、美濃へ。

 やっとこさ濃尾平野に戻ってきた俺たちを待っていたのは、死屍累々の光景だった。


 そこらじゅうに人間の死体が転がっている。死体はいずれも刺し傷や切り傷にまみれており、全裸だった。鎧や衣服は、近隣の民衆なり野盗なりが、はぎ取っていってしまったのだろう。見るも無残なことには、髪の毛や歯まで抜かれている遺体があったことだ。カンナやあかりちゃんは、露骨に顔をしかめた。


 それにしても、妙だ。

 死体の数は百を超えるだろう。これほどの死人が出たとなると、よほどの戦いが起きたことになる。

 いまの濃尾平野でそれほどの戦いが起きるとは……? 美濃の斎藤家と尾張の織田家は同盟中で、大規模な戦争など起きるはずもないのだが――


 と考えていると、死体の山の中から、裸体の男が顔を振りながら、


「うう、ううう……」


 と、うめきながらゆっくりと立ち上がった。

 まだ意識が朦朧としているようだが、どうやら生き残りらしい。

 全身が傷だらけだが、見たところ、致命傷は負っていない。気絶していただけのようだ。


「おい、大丈夫か?」


 声をかけると、男は、薄目を開けてから、口を動かす。


「……み、水……」


「藤吉郎さん、水です」


「ほいさ。……しっかりせえ。ほれ、水じゃ」


 俺と藤吉郎さんは竹筒を取り出して、男に水を飲ませた。

 男は、30歳くらいだろうか。あごいっぱいにひげを生やした筋肉質の男だった。

 それから俺と藤吉郎さんは、男にふんどしを渡してやる。とにもかくにも全裸では話もできない。

 男は水を飲み干すと、とにかくふんどしを締めて、それから何度も顔を振ったあと、にやっと薄い笑みを浮かべる。


「すまぬ。どこの誰だれか知らぬが恩に着る。この恩は後日必ず返そう。……わしは加藤五郎助清忠という者じゃ」


「加藤五郎助さん……」


 と、俺はその名を口にして――ふと、気が付いた。


「もしや、斎藤家の加藤五郎助さんですか!?」


「おう、これはこれは。……まさか拙者のような木っ端侍の名を知っておる者がいようとは。拙者も捨てたもんじゃないのう」


 加藤さんは、また笑ったが――

 俺はこの人を知っている。加藤五郎助清忠。

 斎藤道三の家来で、のちに尾張・津島の鍛冶屋清兵衛さんの娘、伊都さんと結婚し、息子を作る。

 その息子が――俺はちらりと、視界の隅で藤吉郎さんをとらえた――加藤清正かとうきよまさなんだ。つまりこのひとは、清正の父親だ!

 こんなところで加藤清正の父親と会おうとは。俺も驚いたが、問題はなぜ、加藤さんがこんなところで倒れているか、だ。


「加藤さん。俺は津島の神砲衆頭目、山田弥五郎です」


「わしは織田家の木下藤吉郎じゃ。……加藤どの、わしらは先ほどまで信濃におったのじゃが、この惨状はいかがしたもんかの? 濃尾になにがあったのじゃ?」


 藤吉郎さんが尋ねると、加藤さんは苦々しげに言った。


「斎藤家、内紛」


「「……!!」


 俺と藤吉郎さんは、顔を見合わせた。

 斎藤家の内紛……。そうか、そういうことか!

 ちょうどいまは、その時期だったか!!

 俺には思い当たるフシがある。……ぎゅっと、くちびるを噛みしめた。




 美濃の梟雄、斎藤道三。

 いうまでもなく、織田信長の義父であり、マムシの道三と呼ばれた戦国大名だ。

 だが彼は、息子の斎藤義龍と仲がたいへん悪かった。そしてその仲は、いよいよ戦になるほどに悪化。

 そして1556(弘治2)年の4月、道三と義龍はいよいよ激突した。

 いわゆる『長良川の戦い』である。


 道三は、戦上手だ。

 しかし、梟雄としてのイメージの悪さや、さらに年老いているという不安もあって、思うように兵は集まらず、その軍勢の数は義龍と比べるとあまりにも少なかった。


 衆寡敵せず。

 斎藤道三は義龍に敗北。戦死する。

 父親と自分と、親子二代に渡って美濃国を乗っ取ったとされる『国盗り物語』の持ち主も、最後はこのようにして人生の終焉を迎えた。




「拙者は大殿(道三)について戦ったが、ご覧のあり様じゃ。戦って、逃げて、戦って、逃げて。……気が付いたときはこうじゃ。……これは美濃は、いよいよ若殿(義龍)の時代になるわいのう」


「「…………」」


 俺と藤吉郎さんは、加藤さんを前にして、再び顔を見合わせた。

 しくじった。まさか信濃で傷を癒している間に、ここまで事態が進もうとは。


「三郎さまは――」


 藤吉郎さんが、口を開く。


「我が主、三郎さま(信長)はどうされておられる。なにかご存知ではにゃあか?」


「おう、織田三郎どのか。それじゃがな。――三郎どのは、やはり大殿様の娘婿。尾張から、大殿様を助けるために出陣されたのじゃ」


 ――そう。

 織田信長は義父を助けるために尾張から出陣する。

 しかし道三討ち死にの報を聞いて、尾張に撤退するのだ。……そのはずだ。




 そのはずだった。




「そしてのう、織田三郎どのは、若殿の軍勢と何度も戦って――その結果、いまやどこにいったのやら、どうも行方が知れなくなったと聞くぞ」


「な……」


「なんじゃとおおっ!?」


 俺と藤吉郎さんは、揃って目を見開いたが……俺たちふたりの驚きの意味は、まったく異なる。

 藤吉郎さんは、純粋に、信長が行方知れずになったことへの驚き。

 だが俺は、信長が行方不明になったというあまりに意外な展開への驚きだ。

 なぜなら。……織田信長が行方不明になったなんて史実を、俺は知らない。

 信長は尾張に撤退する。そして尾張国内の敵対勢力(織田信勝など)と今後は戦っていく、はずだ。それなのに。


「いや、拙者も詳しくは知らんぞ。戦場で流れてきた噂を聞いただけじゃ。慌てず、真偽を確かめられよ」


 加藤さんがそう言うと、藤吉郎さんは、少し落ち着いたのか「うむ、そうじゃの……」とうなずいた。


「弥五郎、とにかく津島に戻ろう。加藤どのの手当ても、三郎さまの行方も、すべては津島に戻ってからだ」


 伊与が言った。それは正論だと俺は思い、大きくうなずく。

 こうして、加藤五郎助さんを加えた俺たちは、落ち武者狩りに気を付けながら、津島に向かって歩みを進めたのだ。




「弥五郎、無事であったか!」


 津島・神砲衆の屋敷に戻ると、大橋さんがやってきた。

 そして俺たちはあいさつもそこそこに、情勢を確認しあう。


「三郎さまが行方知れずになったというのは、本当ですか?」


「もう耳にしておったか。……まことじゃ」


 大橋さんはうなずいた。


「三郎さまは、斎藤の大殿さま(道三)を救うために出陣された。その後、大殿さまの討ち死にが分かったゆえ、退却を開始……。殿軍しんがりは三郎様がみずから務められたという」


「…………」


「三郎さま自ら銃刀槍を用い、斎藤家の騎馬武者たちを次々と撃ち殺す大活躍であったらしいが……。しかしそこに、斎藤家の伏兵がわっと襲いかかって――あとは行方知れずということじゃ」


「なんということじゃ……」


 藤吉郎さんは、渋面を作って首を振る。

 俺も同じ思いだった。織田信長が、こんなところでいなくなる?

 そんな馬鹿な。そんなことが起こってしまえば、のちの歴史は大幅に狂ってしまう。天下の統一だってなしえるかどうか。


「三郎さまの腹心である丹羽五郎左や前田又左が、三郎さまが行方知れずということはひた隠しにしておるが……。しかしうわさは確実に広まっておる。現に、岩倉の尾張守護代、織田信安は三郎さまの所領に火を放って挑発行為を繰り返しておるし、織田勘十郎信勝もなにかよからぬ動きを見せようとしておる」


「…………」


「三郎さまは……織田弾正忠家は、四面楚歌じゃ。……三郎さまは、本当に討ち死にされてしまったのかどうか……。……されてしまったのであれば、もはや津島衆も、今後の身の振りようを考えねばならぬ……」


 大橋さんは、何歳も老け込んだみたいにがっくりとうなだれた。

 藤吉郎さんも、ショックを受けたように頭を垂らす。

 しいん、と嫌な静寂が場を支配した。


 いなくなった信長。

 死亡した斎藤道三。

 勢力を伸ばす守護代織田家に、織田信勝。

 すべてにおいて、織田弾正忠家は不利だった。

 むしろ。信長が本当に死んだのであれば、もはや次を考えねばならない。

 織田信勝の家来になるのか。それとも別の勢力につくか。そう、大橋さんの言う通り、今後の身の振りようを――


 だが。

 俺はそこで、首を振り、告げた。


「まだ、分かりません」


 俺の言葉に、誰もがはっと顔を上げる。


「三郎さまがお亡くなりになったかどうか。まだ分からない。尾張のどこかに身を潜めている可能性もある。……絶望するのは、三郎さまの死が確実になってからでも遅くはない!」


「……弥五郎」


「三郎さまを探しましょう。必ず濃尾平野のどこにおられるはずです。生きていることを信じて、探し出し――合流し、そして再び戦うのです。斎藤義龍と。織田信安と。……織田勘十郎と……!」


 俺の脳裏には、あるひとつの――というよりいつもの考えがあった。

 この世界は、俺が動けばおおむね史実通りとなり、動かなければ史実が崩壊する。その大原則。

 うぬぼれかもしれないが、ここで俺が信長捜索に動かなければ、あのひとは死ぬ。そんな予感があったのだ。


 ――信長が死ねば、天下はきっと統一されない。

 それは困る。だから、俺は動く。きっと生きているであろう信長を、俺が助ける!


 俺がそう言った、そのときだ。


「よく言ったぜ、山田。……絶望にはまだ早えよな!」


 屋敷の奥から、男が登場した。

 そのひとを、俺はよく知っている。……滝川さん!

 甲賀にいるはずの滝川さんが、神砲衆の屋敷にいたのだ!


「滝川さん!」


「滝川さま! どうしてここに!?」


 俺に続いて、あかりちゃんが、心底嬉しそうに叫んだ。

 滝川さんはニヤリと笑ってから、あかりちゃんの頭をポンポンと叩くと、


「甲賀のことがひと段落したからな。久しぶりに顔を見せてやろうと津島にやってきたら、この始末よ。……こいつはきっとオレの力がいる。そう思って、この屋敷にやってきたってわけさ。――それより」


 滝川さんは、きっと真面目な顔を作って、言った。


「オレのことより、織田家のうつけ大将のことだ。三郎信長……。やつがどこにいるのか知らんが、探すというのであれば、ひとつ方法がある」


 滝川さんは、自信満々に言った。

 ひとつ方法がある? どういう方法だ?


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長らく更新をお休みしていて申し訳ありません。

ひとまずご報告……。5月19日に開催された「戦国商人立志伝」のゲームイベントは、おおいに盛り上がって終了しました。

細かいことはブログのほうに記しましたが、あれだけの人が来てくださって、イラストまでプレゼントしてくださって、須崎正太郎と本作品は幸せものです! 本当にありがとうございました!


第2部もいよいよ佳境です。

2部は60話まではいかないと思います。

そして2部が終わったら3部もやります!

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!!

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