ブロックスの26
魔法には『使い方』という学びがないということを聞いたあの日、そんな馬鹿な話があるものかと、リュージは真っ向から疑った。
だってそれがないのなら、どうやって似たような魔法を使うというのだ。
この世界の住人全てが、火を出すイメージを、迷うことなく行えるとは限らない。必ずベースとなる何かが存在しているはずで、出なければ魔法は廃れてないとおかしい。
「ああ、それはアロマの教え方が悪かったんだね」
手合わせの最中に、そんなことを言うと、あの優秀な騎士はリュージの疑問にたやすく答えた。
「魔法には『使い方』はないんだよ、例えば、物の持ち上げ方って習ったかい? 自分で動かしながら覚えたはずだ、僕たちにとってはそう言うものなんだよ……ただ、使い方はなくても代々伝わってきた共通の『イメージ』ってものはある」
騎士は、剣を腰の鞘におさめると、リュージの前で両手を広げた。
人差し指から、ライターくらいの火が噴き出す。
「たとえば『火が生まれるイメージ』『水が出るイメージ』『風を操るイメージ』『大地を隆起させるイメージ』あと私は苦手だが、『電気を発生させるイメージ』とかね」
右手の五指を使って、指一本につき、一つの現象を起こす、周りで見ていた見習いたちが口をあんぐり開けているのは、やはりこれが普通はできない芸当だからだろう。
「どういうイメージをしたら何が起こるのか、それは はるか昔から今の今までずっと繋がってきている、魔法の分類って言うのもここから生まれたんだ」
リュージは納得した。
つまり腕の動かし方自体は学ばなくても、腕を使って何をするかは学ぶ。
そんな次元の話だったのだ。満足しているリュージに、騎士は「でも」と続ける。
「それでも魔法はイメージの産物だからね、たまに、全く未知の魔法が生まれることがあるんだ――それは『オリジナル』って呼ばれる、オリジナルに必要なのはたった一つ、自分を信じることさ、『本来この世に起こるはずのない現象を、自分なら確実に起こすことができる』っていう絶対的な自信」
興味がでたリュージは、たとえばどんなものがあるのか教えてほしいと、食いついた。
それに対して相手は困ったように頬を掻きながら、
「例えることはできないな、本当に様々なものばかりだから、それに個人で所有してる人なんて滅多にいない、会えたら、相当に運がいいよ、見分けは簡単さ、想像を明確にするためにキーワードのようなものを設定してる人が多いからね――いわゆる、魔法の呪文ってやつさ」
リュージはその会話をいま思い出して、実感した。これが オリジナルなのかと、
「な、な、何なんだそれは!」
悪魔の動揺した声が聞こえてきた。が、顔は見えない。
何せリュージ達は今、半球型のドームのなかにいたのだ。混じりっけない真っ黒なそれは、一見不気味だったが、間違いなくリュージ達を守っていた。
あの大地すら焼く液体を受けても、一切の影響はなさそうだった。
役目を終えたドームはふっと、形を崩して、トランプのカードほどの長方形になると、それを生み出した少年ヴィートの手のひらに吸い込まれていった。
リュージは立ちあがって、一仕事終えた少年の隣に行った。
「よう、やるじゃねえか」
「……まだです、まだ終わってない、リュージさん、ここの人たちは僕が傷一つつけさせません、だから、お願いしていいですか?」
なにが、とは言わない、リュージも訊かない。
正直まだ方法は見つかってなかった。
今の状況はお互いに千日手だ。リュージ達も攻撃はできない、蝿悪魔もヴィートのオリジナルのせいで攻撃手段を封じられた。
が、空中に浮いている蠅悪魔は、明らかにリュージたちよりも動揺していた。
絶対無敵だと思っていた毒液が、ここにきて意味の分からない『オリジナル』の前には完全なる役立たずだ。
ありえないと悪魔は歯噛みする。
一晩いろんなことに試したのだ。あの毒液が通らないものなど、存在しなかったのだ。
現にあの黒いものが防いでなかった教会の入り口付近は、最初から何もなかったように――。
――運命のいたずらか、先に勝利の鍵を見つけたのは蝿悪魔だった。
蝿悪魔は、牽制にもならない程度の、毒液をリュージに向かって吐く。
「させないって言ってる! 頑固一徹くろいろ!」
苦し紛れの行動だ。
再び現れた堅固な黒色が、今度は壁になってリュージの前に、そうリュージの視界を塞いでしまう。
だからリュージは気づいたのは悲鳴を聞いてからだった。
「なんじゃあ!? なにがおこっとるんじゃこれはぁー!?」
すっかり失念していた。
この場にはもう一人の人物がいたのだ。教会のなかで眠っていたヤコポが、教会の入り口が半壊するような激闘で目を覚まさないわけがなかった。
腰を抜かして、蝿悪魔を見上げるヤコポに、蝿悪魔は容赦なく毒液を、それも小さい分今までよりも遥かに剛速球を放つ。
「お爺ちゃん!」
確認が遅れてしまったリュージでは間に合わない、ラフィは動けない。
悲鳴を上げることしかできないヤコポは、正体不明の液体から視線を外すことさえできなかった。
全員が想像した、ひとつの命が終わる瞬間を――。
だがその瞬間は、いつまでたっても来なかった。
ヤコポが気づいたときには、目の前に広がる緑、それは緑色の服だ。
ヤコポにも見覚えがある。これはブロックスの騎士服だ。
ヤコポが恐る恐る顔を上げると、そこには村を出ていった孫と同じくらいの年齢の少年が立ったまま苦痛に呻いていた。
リュージはその光景に喉を震わせて叫ぶ。
「ヴィート!」
「おや、そっちでしたか、できればあなたに言ってほしかったんですけど、まあどっちでも変わりはしません、今度こそ終わりでしょう」
蝿悪魔は、今度は守る者がいなくなったけが人たちを狙った。
ヴィートは飛びそうになる意識を、口の内側を噛みちぎって耐えると、ヤコポを抱えて、思い切りリュージ達のほうへ転がりながら魔法を使った。
「
間一髪、三度現れた黒色は最初と同じドーム型になると、全員を覆った。
蝿悪魔は舌打ちをするが、同時に勝利を得たことを疑わない。
魔法はイメージが全て、オリジナルともなれば殊更に――。
あの皮膚がはがれ、肉が焼ける激痛の中、精密なイメージを維持し続けられる筈がない。
すぐに音を上げるだろう。蝿悪魔は
※ ※ ※ ※
「大丈夫か!?」
「なん、とか、それよりお爺さんは……?」
「わしは無事じゃ、それよりあんたは――」
「僕なら、平気です……から」
「平気なわけないでしょ馬鹿! さっさとこっち来なさい!」
急いで治療を始めようとするラフィ、彼女も顔色が悪い。
ただでさえ魔素消費の激しい治癒魔法を、十五人に、しかも複数使っているのだ。いくら亜人の彼女といえども、魔素が尽きそうだった。
だからといってヴィートを放置はできない。
あの毒は、皮膚と肉の接合部を腐らせるだけでなく、一部に当たるとそれを全身に広げようとする性質があった。
ただでさえヴィートは当たった範囲が背中全体、全身の皮膚がなくなるまで、そんなに時間があるとは思えない。
だが、ヴィートは傷をいやそうとするラフィを手で制して、リュージを見た。
「リュージ、さん、僕はあんなやつと戦うのはもうたくさんです、終わらせて、帰って、休みたいです……」
「そりゃ俺だって、でも空に居られちゃ手出しが――」
「僕に、作戦があります」
「あなたその体で何言ってんの!?」
「この体だからですよ、協力して……くれますか?」
いい目をするようになった。覚悟をきめた男の目だ。
だったらリュージの答えは、問われる前から決まっている。
※ ※ ※ ※
待ちに待ったその時がきた。
ドームが消えたのだ。蝿悪魔は嬉々として毒液を放とうとしたが、下の様子を見ていったん止まる。
そこには痛みにじたばたともがいているヴィートの姿があった。
「いたいー! 痛いよー! ラフィさん、何とかしてくださいよ!」
「何で!? ほかの人より進行が早い! 間に合わないわ!」
深刻な表情で言い切った後、目を逸らすラフィに、ヴィートは絶望を体現したような表情で、叫んだ。
「そ、そんな! 僕死ぬんですか!? ――い、いやだ、やだやだやだやだやだやだやだやだ、嫌だー!!」
「ヴィート! 落ち着け、暴れると傷が広がる!」
「落ち着けるわけないでしょ!? 僕は死にたくないんだ! 絶対に生き残るんだ! 僕は、僕だけはーっ!!」
火事場の馬鹿力とでもいうか、死が避けられないと知ったヴィートは全速力で走りだした。
リュージとラフィの止める声も聞かず、脇目も振らず、一路ブロックスへ、自分の家へ帰ろうとする。
蝿悪魔は思った。盾を出す能力をもった小僧は逃げた。
逃げたと言ってもあの毒をくらったのだ、持って数十分の命、もう追うまでもない。
だから今はあの怪我人の山を狙うべきだ。合理的に考えればそれが正しい。
――だが、ヴィートにあまりにあまりな取り乱しっぷりに、蝿悪魔の嗜虐心がくすぐられた。
端的に言えば、先に殺したいという思いが抑えきれなくなっている。
「いやぁ、天下のブロックスも情けない騎士を揃えるようになったもんですねぇ」
これ以上ないほどシンプルな罵倒に、リュージは目を怒らせて蠅悪魔に怒鳴りつける。
「ふざけんな! あいつは立派に戦った!」
「でも最後には自分の命がかわいいと……いいじゃないですか人間らしくて、ついつい先に、狙いたくなりますねぇ!!」
「――っ! 止めろ!」
蝿悪魔とリュージは同時に動いた。
スピードは蝿悪魔がわずかに上、次第にリュージを引き離した蝿悪魔は、村の出口付近まで逃げていたヴィートにあっさりと追いつく。
「恨むんなら、ここに来てしまった運の悪さを恨むんですねぇー!」
腕も液体も使わない、蝿悪魔は、その身一つで持って、ヴィートへ突貫した。
ちょうど、グイドを倒した時のように――。
小さかった背中が次第に大きくなっていく。
――と、突然ヴィートが振り返った。
蝿悪魔はその顔を見て、覚悟に満ちた顔に、わずかに不安を覚えたが、もはや止まれない、それになにが来ても関係ないとさらにスピードを高める。
ヴィートは、刃のない剣を、見えない切っ先を蝿悪魔にむけると、小さく息を吸い込んで、叫んだ。
「
直後、蝿悪魔の眼前には円形の黄色い何かが現れた。
だが止まれない蠅悪魔にそんなことは関係ない。
壁に突っ込んだ蝿悪魔は、壁などないかのように、ヴィートに強烈な体当たりを喰らわせた。
ヴィートは数メートルは吹き飛ばされ、生えていた木に激突した。
圧倒的なダメージを受けても、ヴィートの意識はギリギリ保たれていた。ヴィートは口の端から血を流しながら、激しくせき込んでいる。
「そうくると、思ったんだ、グイドを倒したときに、貴方は、最後は自分の手で、直接敵を倒したくなるタイプだって――」
まだ意識のあるヴィートの言葉に蝿悪魔は返事をしなかった。
あまりの痛みに、感覚が麻痺して気分が高揚しているヴィートは構わず喋り続ける。
「相手が雑魚だっておもったら、とことん舐めきって、普段はやらないような攻撃をするって、頭から突っ込んでくるって――」
ヴィートは笑みさえ浮かべて見せた。
そんなヴィートを前にして、蝿悪魔は、追撃を仕掛けなかった。否、しかけることができなかった。
蝿悪魔は壁を突き破ってなどなかった。
蝿悪魔のぶつかった黄色の薄い膜は、その突進を食らっても敗れることなく、まるでゴムのように伸びて、蠅悪魔の体を包んでいた。
顔を押し付ける形になってる蝿悪魔はしゃべることさえできずに、それどころか、何が起きているのかすらわからずに、ただヴィートを恨めしそうに睨む。
「実戦で使うの、初めてだったから……余分に一発もらっちゃったけど」
ヴィートは蝿悪魔に向かって人差し指を突きつけて宣言した。
「僕の勝ちだ」
伸びたゴムは、戻る。
「ぐおおおおおおおおおおおおお!!」
蝿悪魔はパチンコの要領で、地面に水平に吹き飛ばされた。
自らが突進に使ったエネルギーが、自らに帰ってくる。
凄まじい速度に空中で体制を立て直すことさえできない。そのまま飛んで行った先にいる人物を、蝿悪魔は見てしまった。
「よう、やっと会えたな」
リュージは、ぱんと拳を掌と打ち合わせると、思い切り振りかぶった。
ねじり過ぎて背中が正面を向くほどに体を捻っている。そこにたどり着いたとき、悪魔を待っている結末は、想像に難くない。
一直線にそこへ向かわされている蝿悪魔は、なんとか逃れようと全身でばたばたしていたが……もはや悪あがきにもならなかった。
「最期くらい潔くしろ――『自業自得』なんだからな!」
右手に集まっていく銀の輝き、リュージは漲る力を解放して、飛んできた蝿悪魔の顔面にぶつけた。
勢いはそのまま止まらず、リュージは拳を振りぬいて悪魔を地面に叩きつける。
円形に罅が広がっていくなか、蝿悪魔の体は急激に崩れ始め――強欲な商人、詐欺師が顔を出した。
気を失ったマルチャーノを見ていると、左手首から『ジャンクスピリット』が飛び出して地面を転がった。
徐々に輝きを増すそれを、リュージは乱暴に踏みつぶした。
『ジャンクスピリット』は真っ二つに折れると、粉になって風に消える。
「二度も同じことさせるか、……こいつにはいろいろ聞かせてもらうからな」
姿の見えない相手に向かって、リュージは心の中で中指を立てた。
ざまあみろというやつだ。
同時に聞こえたうめき声に、リュージは思い出したように、仰向けに転がったまま動けなくなったヴィートのもとへ向かう。
最大の功労者を労わないといけない。
「成功だな」
「はは、何とかなりましたね」
「なに他人事みたいに言ってんだ、お前のおかげだろうが」
「そんな、僕はなにも、リュージさんが頑張ってくれたから」
「あのな、俺は騎士でも戦士でもねえが、自分のもんじゃねえ手柄貰っても嫌な気持ちになるだけなのは同じだ、俺を嫌な気持ちにさせんなよ、今回はお前ががんばったんだ」
「……は、はい、ううっ」
「どうした!痛むのか」
突然、突然でもない、もとから傷だらけなのだから、泣きだしたヴィートにリュージは焦った。そうだ、こんな話をしてる場合じゃなかった、早くラフィのところへ連れて行ってやらなくては――。
だが、それは苦痛の涙ではなかった。ヴィートは、全てを見ていてくれた男に問うた。
「リュージさん、僕、騎士になれますかね?」
「……」
「なにも変わってないけど、今でも人のこと傷つけるの恐いままだけど、僕でも皆を守れるでしょうか?」
何をいまさら、リュージは苦笑した。
そういうのは人に聞くことではないとリュージは思うし、わざわざ答える必要性を感じない質問だ。
――だが、命がけで頑張った少年の、ご褒美くらいにはちょうどいい。
「ああ、なれるさ、お前はきっと誰よりも誇り高くて、勇敢で、偉大な騎士になれる」
ヴィートはその答えに、浮かんできた涙を誤魔化そうと腕で顔を覆った。
ぐしゃぐしゃの泣き顔で、それでもヴィートは幸せで、今このときやっと、今度こそ、自分は『ヴィート・マッシ』になれたのだと、家族に、世界に、胸を張って伝えられそうだった。
見上げた空は、青かった。
と、ここで終わっていればきれいな話だったのだが、残念ながらそうはいかない。
――事態に先に気づいたのはリュージだった。
なにかの音がしたのだ。ゴゴゴと――、
ヴィートも遅れて気づく。
地面が揺れ始めたからだ。振動は徐々に大きくなっていく、リュージは直観的にここを離れるべきだと判断すると、急いでヴィートを肩に担ぎ、マルチャーノの足を持って走った。
「なななな、なんですか!? まだ何か来るんですか!?」
「そんなはずは……とにかく行くぞ!」
村の中心くらいまで戻ってきて、ラフィの姿が見えた時、それは、起こった。
超巨大な水柱が、リュージ達が砕いた地面から次々とあふれだしてきたのだ。
そのしぶきがリュージの頬にかかると同時に、リュージは悲鳴を上げる。
「あっちい!」
お湯だ、これは、温泉だ。天然ものが湧くところなど初めて見た。
リュージが密かに感動していたせいだろう、警戒がおろそかになってしまった。
結果として、そこそこの量の熱湯が、ヴィートの背中の傷口にもろにかかった。
「ほわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
激痛に次ぐ激痛、疲労とストレスが限界をとっくに超えていたこともあって、ヴィートは気を失った。
それはもう見事に――。
「うお!? ヴィートすまん!」
「何やってんのよ馬鹿! 早くこっち連れてきなさい」
この日最大の功労者の最後の姿は、白眼を向いて涎と洟を垂らしまくりな、細かく描写するにはあまりに気の毒な姿だった。
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