ブロックスの10
たどり着いたところは街の中心部だった。目の前に建てられている銅像がこの都市の中心だそうだ。それを囲むように作られたロータリーと、並ぶ店が場に活気を与えている。このあたり一帯がこの都市の台所と言ったところか。
買い物を楽しむ民衆とは正反対に、リュージの顔は明るくなかった。理由はここについた瞬間から感じている違和感だ。
――俺なにかしたかな
周囲からこっそりと視線が送られてくるのを感じた。リュージの服装は見慣れないものだからか、人の多い所に来るといやでも注目される。だがそれとは違う気がした。何というか、好奇心からくるものではなく、もっと悪どいなにか――。
疑いすぎだろうか。
それにしても視線も気になることながら、リュージの目を引いたのは真ん中に堂々と建っている像、両手剣を地面に突き刺し、強い意志を持った目で、ただまっすぐ前を見据える男の像だ。逞しい体と堀の深い顔は、周囲に力強い印象を与えただろう――その全身を穢す落書きやゴミがなければの話だ。
「……治安は良い都市じゃなかったのか」
「あれはここの名物みたいなものですから」
呟かずにはいられなかったリュージに、ヴィートは銅像を見上げた。
こんな場所にあるからにはあれはこの都市のシンボルと言っても過言ではないと思う。それがあの調子で、名物で片付けていい話なのか、リュージは首をひねらざるを得ない。
「そもそもあれは誰の像だ、見たことねえが」
「あれは……この都市の英雄になるはずだった人です」
「はずだった?」
意味深な言葉に、ヴィートのほうを見たリュージは今になって気づいた。
ヴィートは像のほうを見ようとしていなかった。頑なに目を合わせようとしなかった。リュージの側からは彼の表情は窺い知れなかった。
「そんなこと話してる場合じゃないわよ、何しに来たか忘れたの?」
ヴィートの態度は気になったが、確固たる目的を持ってここに来たラフィはそれに気づかなかった。リュージも話を中断して改めて辺りに目をやった。
それにしても商業に中心にしては店のラインナップに偏りを感じずには居られない、ラフィも同じ感想を持っていたようだ。
「いつもは入り口近くの店しか寄らないから気付かなかったけど、喫茶店か武器屋しかないわね」
「まあ、アイスよりは需要がありそうだな」
「い、一応騎士の都市ですから、武器屋は、いくらあっても困りませんから」
「でもそんな頻繁に武器が壊れるほど戦いになるもんか?」
「起こってからじゃ遅いじゃないですか、前もって最高のものを見つけておくんです。騎士はいつでも万全の状態で戦いに臨まないといけないから……そんなの、いらない方が嬉しいですけど」
「ん? 何か言ったか」
「い、いえ、何も言ってないです! それより行きましょう! あんまり長くここにいると良くないし!」
俯きがちにぼそぼそとしゃべったおかげで、最後の呟きは誰にも聞こえていなかった。
ヴィートは誤魔化すように酒屋へ向かった。通い慣れているのかその足取りに迷いはなかった。
酒屋は銅像の視線の先にあった。このロータリーでは随分良い立地だ。ヴィートは控えめに扉を開けた。
「あの、すいません」
店内は思っていたよりも広く、壁一面に酒瓶がずらりと並んでいる。
新聞を読んでいた店主は入ってきたリュージ達に一瞥くれたまま、何もリアクションを返さずに新聞で顔を隠した。ずいぶん無愛想な店主だ。
だがラフィにはそんなことは関係ない、瞳を輝かせながらあたりを見渡すと、入ってものの数秒で店の奥へと姿を消した。
そのスピードに呆れていると、店主が視線を合わせないまま話しかけてくる。
「……お使いか、ヴィート」
「あ、いや、この、人たちが……今晩泊まる、から――」
「ふぅん、まあ何でもいいが終わったらさっさと帰れよ、お前にいられると他の奴が寄り付かんからな」
本当に興味がなさそうに店主はさらりと毒を吐いた。
リュージの眉がぴくりと動いた。どれだけ親しいのか知らないが仮にも客商売をしている人間が、物を買いにきた人に向かってその言い草はないだろう。少し物申すべきだと一歩踏み出したリュージを止めたのはヴィートだった。
「だ、大丈夫です」
「そういう問題じゃない、俺は店としてどうなんだってことを――」
「本当に良いんです! いつものことだし、ここは、だいぶ、マシですから……」
「マシ?どういう意味だ」
「えっと、その、気にしないでください、ね?」
彼はただ悲しそうに微笑むだけだった。
それでもやはりと口を開こうとしたが、絶妙のタイミングで店を回り終えたラフィが返ってきた。その両手に抱えられている酒瓶の山を見てリュージはぎょっとする。
「おじちゃん!これ全部ね」
「バカ! どんだけ飲むつもりだ! 減らせ!」
「ええ、これでも一部よ、まだ向こうにおいてきてるのがあるから、あとこれの三倍くらい――」
「それだけでも十分多いだろうが、さっさと減らしてこい、それ全部買うなら金出さないからな」
「何でよ!? 酷いじゃない、鬼! 悪魔! 人でなし!」
聞く耳持たんとそっぽを向くリュージに、必死にかみつくラフィ、とっさの出来事で店員への怒りは薄れてしまった。
その言い争いを見て、ヴィートが胸をなでおろして安心していたのには、リュージは気づいていなかった。
結局買おうとしていた三分の一も買うことができなかったラフィは不満に頬を膨らませて店を出た。
それでも大きな紙袋を四つも抱えているリュージがいるのだから元々買おうとしていた量がどれほどだったかはお察しだ。
リュージは軽くなった財布をポケットに詰め、続いて店を出た。良い酒は高い。財布とは対照的なずっしりとした重みに悲しみが深まる。
しかしそこまでやっても、ラフィは不満げに頬を膨らませていた。
「けち」
「……お前な」
「ほ、ほら、二人とも、もう用事も済んだし、帰りましょう? 僕の家ここから遠いから、これ以上遅くなると晩御飯遅くなっちゃいますよ」
ヴィートはなんとか場の雰囲気を変えようと手を打って提案した。
強引すぎる話の転換だったが、日が暮れかけているのは本当だ。そしてさっさと帰りたいのも彼の本心だった。
静かに繰り広げられていた二人の睨みあいは、双方のため息という形で締めくくられた。
「はぁ、まあいいわ、今回は引いたげる」
「なんで被害者面してんだよ、言っとくけどお前に対して悪いことは何もしてないからな?」
「まぁまぁ、早く行きましょうって」
歩き出すヴィートに、着いていく二人、どちらが年上なのかわかったもんじゃなかった。
リュージは心なしか足早にこの場を離れようとしているヴィートの背中を追って、広場を後にした――するつもりだった。
阻むものが現れなければ――。
「お、随分珍しいとこにいるなぁ」
突然聞こえてきた声に、前を歩いていたヴィートが固まった。
リュージも聞き覚えのある声だ。正面に視線を上げると、果たしてそこに居たのは昼間も見た顔、ブロックスで二番目に見た青年、グイドだった。
相変わらず意地の悪そうな笑みを顔に張り付けたまま、グイドはこっちを見ていた。
昼間と違うのはその背後には、まだ数人の騎士たちがいたことだ。
彼らに共通しているのは、全員が若者であることと、浮かべている笑みの種類が同じだということ――その笑みが、ヴィートに向けられているということ。
ヴィートは観念したようにグイドへと向いた。
「ここに来れるなんて、随分『勇敢』になったんだな、ヴィートぉ?」
「……ぼ、僕はお客さんのために買い物してただけですよ、グイドさん」
「客? お、あんたら昼間の――つかなんだ、こいつの家泊まるって? 止めとけ止めとけ、何もいいことねえぞ、狭いし、汚いし、ろくな思いしねえぞ」
言い終わると同時にグイドの高笑いが響いた。つられるように周囲の騎士たちも笑いだす。ヴィートは顔を真っ赤にして俯くばかりで言い返そうとはしなかった。
会っていきなりの挨拶にしては随分だ。聞いているだけのリュージも、いい気分にはならない。
口を挟もうとしたリュージは、隣で足に力を溜めているラフィを見てとっさにその肩を押さえた。
「……離してよ」
「先に何しようとしてるか言ってみろ」
「次顔見たらただじゃおかないと言ったはずよ?」
「本人には言ってないだろうが……お前が行っても話ややこしくなるだけだから止めとけって」
「大丈夫よ、言葉で語らう気はないわ、何よりもシンプルに終わらせてあげるから」
「離す気はなくなったな、何一つ安心できないから」
周囲に聞こえないように小声で言い争う二人、グイドは不審げにその様子を見て、ふいに口角を上げた。
そしてヴィートの顔を見て、嫌味たらしく指を突きつけて、
「随分おかしな客を連れてきたもんだな、もしかして変人同士で気があったからおまえんちってことか?面白すぎるだろ!」
ヴィートは侮辱の矛先が自分ではなく、リュージたちに向いたことに驚いて――逸らしていた眼をグイドに向けると、小刻みに体を震わせながらも、反論する。
「グ、グイドさん! この二人は正式なお客さんです! あまり失礼なことを言うと団長に報告しますよ!?」
「先生に言いつけてやるってか? お前は何も変わらねえな、良いぜ好きにしろよ、どうせあの爺さんに俺を処罰することなんてできないんだからな!」
言っていることの意味は分からないが、ヴィートが悔しそうに歯を食いしばっているところを見るに、グイドの自信には何らかの根拠があるのかもしれない。
調子づいたグイドは油でも塗ったかのようにべらべらと口を動かした。
「だいたいあの像があるのに、よくここに来れるな、俺なら恥ずかしくて死を選ぶぜ、自分の父親があんな恥を晒してたらな」
ヴィートの顔色が変わった。恥辱に赤くなっていた顔は、今度は怒りで同じ色に染まった。
体中の震えが止まり、代わりに唇を思い切り震わせてヴィートは叫んだ。
「父さんの悪口は止めてください!」
「何だよ、俺は本当のことしか言ってないだろ、それとも何か、立派な像ですねとでも言えばいいか、ブロックスの英雄であらせられるライモンド・マッシの偉大なお姿とでも言おうか!? なあお前ら?」
「はっは! そりゃないぜグイド!」
「そいつが英雄なら俺たちは今頃神話になってる!」
げらげらと腹を抱えて笑うグイドたちをヴィートは睨みつけた。
後にいるリュージ達には顔は見えなかったが、今まで見てきたどんな彼よりも力強く、笑っている騎士たちから少しも目をそらしていないのだけは確かだった。
「止めろって、言ってるだろ!」
大音声が広場の空気を揺らす、遠目から見ていた人々もとっさに身を竦ませるほどの音量を、間近で聞かされた騎士たちは、不愉快そうに顔を歪めた。
グイドが一歩前に出てヴィートの目の前まで近付いてきた。他の面々もヴィートに寄ってきた。
「おい、調子乗りすぎじゃねえか、腰ぬけ」
「僕のことは何言ったって良い、全部ホントのことだ、でも父さんを馬鹿にするな、父さんは強い人だったんだ!」
「その強い人が何で何も言わずに消えたりするんだよ!」
「そ、それは――」
「認めちまえよ、お前だって分かってんだろ、逃げたんだよお前の父親は、戦いが怖くて逃げたんだ、そりゃそうだろ、腰ぬけの父親だ、腰ぬけに決まってるもんな!!」
「……う、うう」
「周りの目ぇ見てみろよ、皆お前らのこと蔑んでるぜ!よくもまあこの都市にいられるもんだ、マッシ家の鈍感さだけは認めてやるよ!!」
ヴィートはもう我慢の限界だった。
もともと彼は気が弱い、恫喝してくる人間に対して気丈にふるまえる人柄ではない。それでも譲れないもののために声を荒げたが、それすらも簡単に押しつぶされてしまう。
情けなさと恥ずかしさが、父を信じられないことに対する感情が、許容量を超えた。
目にたまりかけていた涙が一粒の雫になり、頬を流れおちる寸前、
――もっと我慢強さのない大人たちが先に限界を迎えた。
二つの影が素早くヴィートを追い越した。
そのうち一つは正面から突っ込むと固く握った拳を振りかぶり、もう一つは左に回り込んでスリットのせいで際どいところまで見えそうなのも気にせず足を振り上げた。
拳は左頬に、足は股間に容赦なく突き刺さった。でたらめな方向に力を加えられたグイドは錐もみ状に回転しながら空に舞い上がり、数メートル先に落ちた。
そこは奇しくも彼が馬鹿にしていた像の目の前だった。馬鹿にしていた像に見降ろされながらのびているグイドを、満足げに眺めて、蹴りあげたほうの女は両手を天高く掲げた。
「ああー、すっっきりしたぁ!」
「お前を見てると、この先女神教徒に会うのが不安になってくるな」
「なによ、自分だって殴ったくせに、私より容赦ないじゃない」
「……自分の成長のなさにはちゃんと呆れてるよ」
「でも後悔はしてないでしょう?」
無言を返事に帰るリュージに、ラフィが満足げに頷いた。
場にいた者全てが呆気にとられている中、沈黙を作り出した本人たちは何食わぬ顔でヴィートのもとへ歩み寄った。ぽかんと口を開けたその間抜けな顔を、ラフィが軽く叩いた。
「ボケっとしてんじゃないわよ」
「え?いや、あの、え?」
「そうだな、ヴィート、走るぞ」
「ちょ、ちょっとま――。ほわああああああああ!!」
次の瞬間には三人は走りだした。厳密にいえば走り出したのはリュージとラフィで、哀れヴィートは悲鳴をあげて引きずられているだけだ。
遅れること数秒、広場からは悲鳴と怒号の嵐が巻き起こり、騎士たちはピクピクと痙攣しているグイドを助け起こし、残りはリュージ達を追いかけてきた。
「うわー! 怒ってるわねぇ!」
ラフィが愉快そうに後ろを見た。足は止まってないのだから器用なものだ。
引きずられているせいで追いかけてきている騎士たちと目が合いっぱなしなヴィートは今にも心臓が止まりそうだった。
「そりゃそうですよ! 何やってるんですか!? いやもうホントに、何やってるんですか!?」
「だってあいつ腹たつじゃない?」
「だからって殴って良いわけないでしょう!?リュージさんまで何してるんですか!」
「確かにお前の言うことはもっともだ。だけどな――」
「だけど?」
「俺も腹がたった、悪いな」
比較的まともだと思っていたリュージから、まさかの言葉が飛び出してヴィートは言葉に詰まった。それでも込みあがってきた文句が喉から飛び出してくる。
「もう! 二人とも子供じゃないんだから!」
「人間なんて生きてる限り子どもみたいなものよ! いちいち気にしない! ほらきびきび案内して! 捕まるでしょ!」
「流石に今捕まると団長に合わせる顔がないな」
豪快に笑い飛ばすラフィ、殴ったことは後悔しながら、殴ろうと思ったことは後悔していないリュージ。
めちゃくちゃだ、ヴィートは呆れた、呆れかえった。
だが彼自身気づいていなかったが、大粒の涙はいつの間にか引いていた。
――それどころじゃなかっただけかもしれないけど。
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