第三章①

「がはっ……!」

 肺から無理やり絞り出したような声が、拙者の口から漏れた。次の瞬間舌にじわりと広がったのは、鉄の味。冷たい実技演習棟のリングが、熱を持った拙者の頬を冷やしていく。

 エアロにいたころ訓練学校の授業中で幾度と無く味わった自分の血を無理矢理飲み込み、震える腕でどうにか拙者は顔を上げる。

 体を這いまわる鈍痛に顔をしかめながら、拙者は自分が何故こんなボロ雑巾のようにズタボロになったのかを思い出していた。


 それはビス殿との勝負から二週間経った、ある授業後でのことだった。

「あら? 今何と言ったのかしら野蛮人」

「聞こえなかったのでござるか? 魅力試験を待つまでもござらん。今すぐジルドとケリをつけると、そう言ったのでござるよっ!」

 不穏な空気が、教室中に充満していく。その空気の発信源は、拙者とアンジーだ。

 ジルドが拙者を好敵手と認定したあの日から、アンジーは拙者に対して執拗に嫌味を言うようになっていた。

 そして度重なる嫌味に、とうとう拙者の我慢は限界を超えたのだ。

「哀れですわね、野蛮人。とうとうお洒落だけでなく、言葉もうまく使うことが出来なくなるだなんて。あなたは、ジルド兄様に今すぐ『最も魅力的な者が勝つ』を申し込む、と言ったのですよ?」

「なんだ、ちゃんと聞こえているではござらんか。拙者の声がお主の絶壁に反射して、耳まで届いていないのかと思ったでござる」

「だ、誰が絶壁ですか! 突起ぐらいありますわっ!」

「その返しもどうなのでござるか……」

 頬を赤らめつつ唇を噛み締め、アンジーは両手で突起が付いていると思われる場所を隠しながら、拙者を恨めしそうに睨んでいた。そして彼女の後ろには、拙者を蔑んだ目で見ているロロ殿がいる。

 あの目をしたロロ殿は、まずいでござる。何がまずいって、最近拙者ロロ殿のあの視線に射抜かれると、ちょっとゾクゾクしているでござる。

「……もう、何なのですかあなたは。ジルド兄様に楯突いたと思えば、一部の女子からジルド兄様の相方として手作りの漫画に登場して! ずるいですわっ!」

「それが理由で拙者に絡んできたのでござるか! そもそも拙者、その漫画のことなんぞ知らんでござる。完全な八つ当たりでござろうっ!」

「ジルド兄様の相手を務めるのは、私でございましてよっ!」

「だったら拙者ではなく、その一部の女子に言えばいいではござらんかっ!」

「言いましたわ! そしたら、『あっ……。男同士じゃないと、ちょっと……』ってものすごく気まずそうに顔を背けられたのですっ!」

「それ、アンジーが嫌われているだけではござらんか?」

「そんな……! どうしてくれますのっ!」

「拙者にはどうにも出来ないでござるよっ!」

 いや、そんなことよりも、今すぐ止めないといけない何かが現在元気に進行中な気がするでござる。

 アンジーは仕切りなおすように咳払いをして、拙者を指さした。

「と、ともかく! ジルド兄様はいずれ『絶対魅力者』になられるお方。学園どころかダンヒルで最高の『魅力』をお持ちなのです。ジルド兄様がナンバーワン! 野蛮人のあなたがジルド兄様と対等になろうなんて、百年早いですわっ!」

「そのッ、通り、だッ!」

 アンジーに同調するように聞こえたのは、暑苦しい声。その声の主に、拙者は心当たりがあった。

「お主は、確かジルドの取り巻きの一人でござったな」

「そう、さッ! 俺の名前はッ、プレタ・ポルテッ! ジルド様の腰巾着とはッ、俺のッ、こと、だッ!」

 自分でジルドの腰巾着と名乗ったのは、目つきは悪い男子生徒。体系はどちらかと言うと痩せ気味で、背は高いが猫背になっている。くすんだ茶髪をスモーキーアッシュウルフにしており、雰囲気イケメンという言葉が彼にはぴったりあった。

「お前ごときッ、ジルド様が出るまでも、ないッ! この俺がッ、叩き潰して、やるッ!」

「……なんだか妙な話になってきたでござるが、確かに腰巾着のプレタ殿を倒すことが出来ぬのなら、ジルド撃破何ぞ夢のまた夢。いいでござろう。次の実技授業、いざ、尋常に勝負でござるよ、プレタ殿っ!」

「どうやら、話はまとまったようだね」

 拙者とプレタ殿が睨み合ったタイミングで、今まで静観を決め込んでいたジルドが会話に入ってきた。

「僕が直々にもう一度、ヒロキとの格の違いを見せつけてやろうとも思ったが、その必要はなくなったようだね」

「お主、拙者のこと好敵手として認めたとか言っておったのに、その言い方はどうなのでござるか?」

「黙れ。二、三度実技授業でいい成績を収めたぐらいで、調子に乗るな!」

 ピシャリと返すジルドに、拙者は余裕の笑みで答える。

「ジルドと最初にあった時よりは、格段に成長しているでござろう?」

「それでも僕の足元にも及ばないと言っているんだよ、ヒロキ。それに僕の代わりとして実技授業に出る以上、プレタには伝統あるゼニア家が全力で勝負のバックアップをさせてもらう」

 拙者は顎に右手を当てて、ジルドが今行った意味を考える。

「……つまりこれは、仮想ジルド戦、ということでござるか」

「そういうことだ」

「なるほど。余計に負けられなくなったでござるなっ!」

 拙者はプレタ殿越しに、ジルドと睨み合った。そのジルドの後ろに、全力でネームを切っている女子生徒がいる。あの御仁が漫画を描いているのでござろうか?

 そこに、申し訳無さそうな顔をしたチャールズ先生がやって来た。

「……盛り上がっている所悪いんだけど、実技授業の対戦相手は自分が決めることになってるんだけどなぁ」

「……」

「……」

 結局、ゼニア家が寄付金を増やすということで、拙者とプレタ殿の勝負は実現することとなった。


 そしてその結果が今の拙者の状態につながる、というわけでござる。

「おぉほっほっほっほ! おぉほっほっほっほっ!」

 観客席から聞こえてくるアンジーの笑い声が、頭に響く。

 くっ! 『お前ごときジルド様の出るまでもない』とか、プレタ殿負けフラグビンビンに立ててござったのにっ!

 プレタ殿、普通に強いではござらんかっ!

「やはり、ジルド兄様が出るまでもありませんでしたわね! 見事にボロッボロではありませんか。しかも判定ではなく、KO負けっ!」

「しかし、まさか五連敗しても諦めないとは。僕は君の根性だけは認めるよ、ヒロキ」

 そう。何を隠そう拙者、今回の負けでプレタ殿に五連敗目。それほどまでに、プレタ殿は強かった。

「……まだ、でござる。拙者、勝つまで、ジルドに手が届くまで、諦めるわけには――」

「まだッ、諦めないッ、つもり、なのかッ!」

 そう言って拙者の前で仁王立ちしたのは、他でもない拙者の対戦相手、プレタ殿だった。

 プレタ殿の服装はインナーもアウターもボトムスもピッタリのサイズで、配色にも隙がない。だが、一番の脅威は、着ている服そのものだった。

「いやぁッ、素晴らしいッ! やはりッ、高級ブランド品は、最高だッ!」

 そう、プレタ殿が身に付けているものは全て高級ブランド品。上質な生地を使っているのはもちろん、デザインだけでなく細かなディテールまで丁寧に作られている。ボタンまで凝っているとか、反則でござろう。そんなの、カッコいいに決まっているでござる!

 お洒落の国らしく、ゼニア家がバックアップするのは服の着こなし方や配色についてだと思っていたが、まさかここで金に物を言わせてくるとは思わなかった。

 無論着こなしなどのアドバイスをした上で、高級ブランド品をセレクトしているのでござろうが。

 プレタ殿は万歳三唱で、ジルドのことを称える。

「流石ッ、ジルド様ッ! ジルド様ッ、バンザイッ!」

「そうですわ! ジルド兄様バンザイ!」

「ジルド様のッ、元にいれば、高い服をッ、着ることが、出来るッ!」

「ジルド兄様が、ナンバーワン! この学園最強は、ジルド兄様ですわっ!」

「高い服こそ、至高だッ! 高い服こそ、最強だッ!」

「ジルド兄様こそ至高! ジルド兄様こそ最強っ!」

 リング上にいるプレタ殿と、観客席のアンジーがうるさい。だがプレタ殿の発言を聞いていると、どうやら高級ブランド品を選んでいるのはプレタ殿自身のようだ。

 しかし、アンジーのジルドへの想いは兄妹どうこうではなく、もはや崇拝レベルに達している。ジルドのためなら、平気で犯罪にも手を染めてしまいそうだ。

 プレタ殿とアンジーを眺めることしか出来ない拙者の前に、チャールズ先生が近づいてきた。

「では、来週もヒロキくんとプレタくんが対戦ということで。テーマは『テーラードジャケット』でお願いします」

「わかりッ、ました、先生ッ! 来週もッ、高い服、着れるぞッ!」

 チャールズ先生に力強く返事をするプレタ殿とは対照的に、拙者は黙って頷くことしか出来ない。

 笑いながら去っていくプレタ殿と入れ替わりに、ロロ殿が拙者のもとに駆け寄ってくる。

「……やっぱり、ロロ殿はいい衛生兵になれるでござるよ」

「いいから。ほら、立てる?」

「……かたじけない」

 ロロ殿に肩を貸してもらい、拙者は観客席へと戻っていく。去っていく拙者の背中を、どことなく寂しそうなフランクリンが見つめている気がした。

 ちなみに今日のフランクリンの服装はいつものマスクに、ヒョウ柄のタキシード姿。すまぬフランクリン。今の拙者には、お主をツッコむだけの気力が残っていないでござる……。

 満身創痍の拙者に、ロロ殿は心配そうに問いかけた。

「それでヒロキさん、まだやるの?」

「当然でござる」

 ロロ殿の問に、拙者は間髪入れずに答える。ここで諦めてしまえば、きっと拙者はジルドに勝つことが出来ない。それは同時に、ロロ殿の名誉を挽回する機会の喪失でもある。

 だから絶対、ここでは引けないのでござる。

「ロロ殿。拙者、来週の実技授業に向けて城なしキートンに通いたいのでござるが――」

「うん。大丈夫。今日の放課後からでいいよね?」

 嫌な顔ひとつせず拙者に付き合ってくれるロロ殿に、思わず目頭が熱くなった。

「……ありがとうでござる」

 本当に、死んでも負けれないのでござる!

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