hiru

 順也じゅんやは本当に気持ちが悪いのか下を向いたまま、ぼそぼそと喋り出した。

恭平きょうへいさん、あそこに猫いますよね? 多分あいつ俺たちに用があって来てると思うんすよ」

 猫が俺たちに用ってどう言うことだよと思いながらも、気持ちが悪そうな順也がわざわざ意味の分からない事は言わないだろうと考えて、俺は意味の分からない話を返す。

「呼ぶか?」

「呼びましょ」

 こっちに来いと俺と順也は手招てまねきする。猫に。しかしその猫は、なかなかこっちにやって来ない。

「なかなか来ないな」

 俺はそう言って手招きを続けるが、順也は猫のペースに合わせるのが面倒になったのか自ら猫の近くに向かった。


 猫は嫌がる事もせず、順也に抱かれるとベンチの方に連れてこられた。

「なんすかね、これ」

 順也が言うのは、この猫の首にぶら下がっているスピーカーの事だろう。

 俺が答えるよりも早くスピーカーから声がした。

「森川さんって言う方はどちらでしょうか?」

 女性の可愛らしい声が、公園に軽やかに響いた。

「俺ですけど、なんですか?」

 返事をしてから考えても遅いとは思うが、ちゃんとスピーカーは付いているんだよな? もし付いてなかったらただの独り言だぞこれ、なんて思っていたが、俺の声はちゃんと相手に伝わっていた様でスピーカーからの声は俺をしっかりと認識していた。

「彼女から伝言があります」

 それを聞いた途端、順也が横から少し威圧する様に言った。

「おい。早く来いって伝えろ、女に」

「とと、と、とりあえず、先に伝言を……」

 スピーカーの向こうの女が強張こわばるのを、声の様子から感じた。

「落ち着けって順也」俺は順也に言うと、なるべく優しい声でスピーカーの向こうの女に言う。

「君はただの伝達係なんだろ?」

 スピーカーの向こうの女は答える。

「ええ」

「彼女に会った事があるかい?」

「ええ」

「君も彼女に連れてこられたのか?」

「ええ」

「君、もしかして俺と会った事があるんじゃないか?」

「私、分かりません」

「俺の事を知らないか?」

「ええ」

「ここの公園の事は知っているか?」

「ええ」

「来た事はあるか?」

「いいえ」

 スピーカーの向こうにいる女に何度も質問を繰り返す俺を見て、順也が不思議そうな顔をしている。

 そんな順也と、スピーカーの向こうで息を飲む女には構わずに、俺は少し考える。

 しかし考えても答えは出ない。


「まあいい。とりあえず伝言を聞かせてもらえるかな」

 待ってましたと言わんばかり、一気にスピーカーの向こうの女は言う言う。

「彼女は今日は来れないけど、明日は必ず行くとそう言ってたわ」

「それだけだったかい?」

 俺は言う。

「ええ」

 スピーカーの向こうの女は答えた。

 これでもう終わりなんだと感じ取れとでも言う様に、彼女はスピーカーから向こうで気配を殺して音を立てまいとしているそんな気がした。

 しかし俺はどうしても聞きたい事があったので、もう一度口を開いた。

「君は今、不幸かい?」

 スピーカーの向こうの女は質問の真意をはかりかねているのか、口ごもりながら俺の質問に答えた。

「まあ、いや、どど、どうなんでしょう?」

「自分が不幸かどうかも分からないのかい?」

「ええ、まあ、はい」

「俺と一緒だな」

 俺は意味深な言葉を最後に、口を閉ざした。

 順也は俺とスピーカーを交互に見ているが、結局何も言わなかった。それはスピーカーの向こうの女も同様である。

 しばらくの間、この空間で音を発しているのは、スピーカーを首からぶら下げた猫だけだった。

 俺は猫に言った。

「行って構わないよ」

 スピーカーの向こうの女はあわてた様に質問してきた。

「彼女に何か、でで、伝言はありませんか?」

「俺たちに会った事だけ伝えてくれればいいさ。君は確かに俺たちに会っただろ?」

 そう言った俺に、スピーカーの向こうからではあるが確かな力強い返事が届く。

「ええ」

 猫は人間の会話を理解出来ているかの様に、ちょうどいいタイミングで俺たちの前から立ち去っていった。

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