第26話 二人だけの勉強会
ユキとシロがフィーリアのことについて話し合った翌日、和樹は街にある図書館に足を運んでいた。外の喧騒から隔離された空間は、まるで深海の底のようである。
何故、和樹がこんなところに来ているかと言うと連休明けに行われる各教科の小テストの勉強をするためだ。学年トップ10を維持する秀才は、時間を無駄にする気はないみたいである。
GWだからといって混むわけもなくほどほどに空いている図書館を歩いているとちょうど誰もいない机を発見した。こういった落ち着いた雰囲気で勉強をするとはかどるから和樹は図書館が好きである。
和樹は誰もいない席を確保するため棚と棚の間を歩く。すると、棚の終わりに差し掛かったところで突然、小さな人影が出てきた。咄嗟のことに反応が遅れてしまいぶつかってしまう両者。
「きゃっ! ご、ごめんなさい……」
「いえ、こちらこそ……あれ、姫野さん?」
「え? あ、うわっ! かー……白井君」
和樹の顔を確認した桜香はつい声を大きくしてしまい、まわりからの視線を集めた。その恥ずかしさに彼女は顔を赤くして顔を俯かせてしまった。和樹はそんな桜香の代わりにまわりに謝罪する。周りにいた人たちはすぐに彼らから視線を外し、自分のことに集中し直した。
「えーっと、何か探し物?」
「…………いえ、特に」
「あ、そう……」
「……白井君は何しに来たんですか?」
「勉強、連休明けに数学と英語と古典の小テストがあるからね、その対策しにきたんだ」
「へ、へ~、真面目なんですね」
BGOではもうちょっとハキハキと喋っていた桜香であったが今は元のようにぼそぼそとしている。その違いに和樹は訝る。
そして、和樹は昨日のユキとの会話を思い出し、ある提案をしてみる。
「姫野さん、もしよかったら一緒に勉強しない?」
「え?」
「いや、一人でやるより二人のほうがはかどるだろうし。あ、でも忙しいならいいんだよ、無理にとは言わないけど……」
和樹は桜香の反応を恐る恐ると探る。突然の誘いに彼女は目を泳がせて迷っている様子だった。
「別に、忙しくはないですけど、その、私勉強道具持ってきてないですし……」
「参考書は貸すし、ペンは二本あるから大丈夫。ノートもルーズリーフあるから問題はないよ」
「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
和樹の押しに負けたのか桜香は申し出を受け入れた。狙い通り桜香と一緒に勉強することになった和樹は空いている机に行くと自分の正面の席を勧める。
緊張しているのか桜香はぎこちなく座ると落ち着かない様子でもじもじとさせていた。実際、突然のことで彼女の心はざわついていた。
「姫野さん、苦手な教科とかある?」
「えと、英語が苦手です」
「ん、分かった。はい、英語の参考書と俺のノート、良かったら見て。大したこと書いてないけど」
和樹はそう言って参考書とノートにルーズリーフを数枚それとシャーペンを前に渡す。桜香はそれを受け取るとおもむろに参考書を開いた。
「……すごい」
和樹の参考書を見た桜香は思わず声が漏れた。和樹の参考書はその辺で売っている参考書より分かりやすかったからだ。小テストに出てくるであろう範囲には付箋を貼り、大事なところにはマーカーを引いて、かといってマーカーを多用して見づらくなることもなく、所々にメモが書かれていた。
さらにノートを開けば、綺麗な文字で長文とその訳が書かれ、ノートの下半分にポイントがこと細かく記載されていた。
「分からないところがあったら聞いてね。ま、あんまり役に立てないと思うけど」
謙遜する和樹であるが彼の通う高校は県内でも上位に入る進学校である。そんな進学校の学年トップ10を維持している和樹のノートが役に立たないはずがない。
和樹はそれだけ言うと自分は数学の参考書とノートを開いて勉強を始めた。
「…………」
「…………」
ペンを走らせる音とページをめくる音だけが二人の間を通過する。
桜香は時折、和樹の方をチラッと見る。参考書を見てはノートに何か書き込む真面目な表情に思わず見惚れてしまっていた。
視線に気づいたのか和樹はふと、顔を上げると桜香と視線が重なった。
「何? 分からないところでもあった?」
「あ、え、その、こ、ここが分からなくて!」
慌てて桜香は適当なところを指差し、参考書を和樹に見せる。和樹は腰を浮かせて体を前のめりにさせた。
「あぁ、ここは参考書のこの部分を見ればわかりやすいよ」
「~~~っ!」
「姫野さん?」
「ふえっ!? あ、いあ、あぁ、なるほど分かりました」
「? 顔赤いけど、体調悪いの?」
「だ、だだ、大丈夫です!」
至近距離まで迫ってきた顔を見ていた桜香は慌てたせいか素っ頓狂な声が出たが何とか誤魔化す。和樹は桜香の言動に首を傾げるが再び腰を沈めると自分の勉強を進めた。
再び静寂な時間が二人を包みこむ。
しかし、その沈黙は気まずくなかった。どこかホッとしてしまう空間は桜香には居心地が良かった。
それから、二人は三時間ほど勉強していたが時折桜香が分からないところを和樹に質問し、和樹がそれに答えるという風に時間は過ぎていった。特段雑談をすることはなかったが、その時間は桜香には充実したものであった。
☆☆☆☆☆☆
午後から雪も交えてBGOをすることになっている二人は頃合いを見て勉強を終了させた。図書館からの帰り道、二人は特に会話をすることなく並んで歩いていた。
まだ日が高く、日に日に強さを増す日差しを和樹は憂鬱な気分で浴びている。暑いのが苦手な和樹には今日の日差しは中々難敵であった。隣を歩く桜香も顔を伏せて、顔を見合わせようとしない。なんとも微妙な空気に耐えかねた和樹は口を開いた。
「姫野さん、今日はありがとうね」
「えっ、な、何がですか?」
「勉強に付き合ってくれて。おかげで集中出来たよ」
「そ、そんな! む、むしろお礼を言いたいのは私のほうで、そ、そのありがとうございました」
そう言って頭を下げる桜香。和樹はそんな彼女の様子を見て何だか照れくさくなってしまった。
「それはそうと、何で図書館にいたの?」
和樹が何気なく聞くと桜香の顔が急激に強張るのが分かった。まるで思い出したくないことを思い出したかのように。
これは、不味い質問をしてしまったみたいである。
「……いや、言いたくないならいいよ言わなくて」
「………ごめんなさい」
鋭い観察眼を用いて彼女の表情から察した和樹はすぐにフォローを入れる。
桜香も、彼の気遣いを遠慮なく使い黙秘を行使した。代わりに謝罪の言葉を投げるが、その声に力は籠ってなかった。
二人はそれからしばらく互いに無言のまま歩き続けた。気まずい空気が二人の間を漂わせながら時間だけが過ぎていく。そして、十字路に差し掛かったところで和樹がようやく口を開いた。
「じゃ、俺こっちだから」
と桜香に背を向けて、十字路の左を行こうとする和樹。彼女には悪いが、あの空気から解放されると思うと安堵してしまう。
するとその時、後ろからシャツが引っ張られる感覚が伝わった。おかしな感触の正体を探ろうと振り返ったら桜香が顔を伏せて、和樹のシャツをその小さな右手で握っていた。
「姫野さん……」
どうしたの? と言おうとした和樹は言葉を止めた。自分のシャツを引っ張っている女の子の肩が小刻みに震えているのを確認したからだ。
顔を伏せている桜香がどういう表情をしているのかは分からない。しかし、何故か和樹は桜香から目が離せなかった。
ふと、桜香は顔を上げ自分が和樹のシャツを引っ張っていることを見ると目を見開いて、パッ、とシャツを開放した。どうやら無意識の行動らしく、自分でも何故こんな行動をとったのか理解出来ていなかった。
「ご、ごめんなさい! わ、私……」
自身のやっていることをようやく把握してすぐに謝る。何か弁明しようと次の言葉を出そうとするが、言葉がつっかえて出てこない。その間にも肩は震え、息は少し荒くなっていた。まるで、何かに怯えているかのように。
その様子を見ていた和樹が桜香を遮るように声を発した。
「姫野さん、送って行こうか?」
「え? ……えぇ!」
突然の和樹の申し出に桜香は驚愕した。
「家どっち?」
「え、あ、いや、あの……」
「いいから、時間あるし、ちょっと最近運動不足だから歩いたほうがいいんだよ」
「えっと、その……」
状況についていけてない桜香はしどろもどろに何か言おうとするが和樹の強引さと迫力に負けて、大人しく家の道を示し、再び一緒に歩き出すのであった。
☆☆☆☆☆☆
閑静な住宅地を歩きながら和樹は桜香の様子を横目で確かめる。桜香は例のごとく顔を俯かせて、自分と顔を合わせようとしていなかった。無音な空間に並んでいる住宅から漏れる生活音とたまに通る車の音だけが響いた。
和樹は先ほど彼女が見せた行動を鑑みる。大人しそうな桜香のあの行動が一体どういう心意があるのかはたまたないのか、和樹には判断材料がないためよく分からなかった。
ただ、彼女をほっといてはいけない、そんな根拠のない考えだけが頭をよぎった。
「ここでいいです……」
10分くらい歩いただろうか、ある地点で桜香がそう言った。足を止めた桜香につられて和樹も歩みを止める。
「え、家の前まで送るけど」
「いえ、家すぐそこなので大丈夫です」
和樹の申し出を首を横に振って断る桜香。
「……そっか、じゃあここで一旦お別れだね」
「あ、ありがとうございました」
「いいえどういたしまして。じゃ、また後でね」
和樹はそう言うと来た道を戻る。
桜香を去りゆく背中を見えなくなるまで眺めた。
(彼だけは巻き込みたくない)
最初、転校してきた時に自分のことを気づいてくれなかったのにショックを受けたが結果としてそれが一番いいんだと桜香は結論付けた。まぁ、自分の事を教えて、それでも忘れていた時のことを考えて怖気づいたのだが。
結果として、それが良かったのだ。今自分が置かれている状況に彼を巻き込んむわけにはいかない。もしそれで彼の身に何かが起きたら自分が後悔することは目に見えていた。
「ごめんね、かー君」
ぼそり、と誰もいない道の上で呟くと桜香は家へと帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます