Guts! Go! Girls!!

犬井るい

第一章 hello

第1話 召喚魔法とは

 ピーシャは精神を研ぎ澄まし、思い切り息を吸い込んだ。

 十六歳の少女の大きな胸がさらに膨らみ、学園の制服を押し上げる。

「火の精霊サラマンダーよ、我が意に従い眼前を薙ぎ払え! ファイアーボール!」

 叫ぶと同時、握っていた石を放り投げた。魔法の触媒であるドゥロンゴ火山の火打ち石が激しく光を放つ。

 渦巻く火球が、大気を焼き焦がしながら飛翔していく――ということはまったくなく、ネコのあくびのような煙がひょろひょろと出て、それきりだった。魔力を使い果たした触媒が細かな光の粒子になって、風に乗り去っていく。


「うぅ~」

 ピーシャが肩を落とすと、ショートカットにしたピンク色の髪がつられて揺れた。

 しゃがみ込み、そばに置いていたバッグからノートとペンを取り出す。ノートの表紙には、『夏季休暇自由研究 触媒と基礎魔法の関係について』と記されてある。

 ノートのページは、火、水、風、地の四つに区切られ、それぞれ実験日時、使用触媒、実験結果が詳しく書き込まれていた。ドゥロンゴ火山の火打ち石の結果欄に、失敗と書き、詳細を付け加えて行く。

 ピーシャはごくりと息を呑んだ。少女の大きな目が結果欄をさかのぼっていく。失敗、失敗、失敗しかない。

「ヤバい……」

 ピーシャの所属している、フリンナシリム魔法学園では初等科前期のあいだに火水風地の四属性を学ぶことで、魔法の感覚を身につけるカリキュラムを組んでいる。

 魔法使いは火水風地の基礎属性いずれか、あるいは複数に適正を持ち、魔法の感覚を身につけるのは難しいものではないはずだった。


 だが、ピーシャは基礎属性魔法がまったくと言っていいほど使えなかった。教師は困惑し、クラスメイトにはからかわれる……そんな状況を打破するための、特訓を兼ねた自由研究は空振りに終わりそうだった。

「このままだと、落第!? 留年!? そんなのヤだよぉ~」

 山の中腹に位置する学園は、裏の森を拓いてグラウンドとしている。多くの学生が魔法の練習や身体を動かすために利用するが、夏季休暇中のいまはピーシャの他に誰もいない。頭を抱えて嘆くピーシャに答えるものと言えば、木の上の鳥くらいのものだった。

 ちゅんちゅん。

 なんだか鳥にまでからかわれた気がする。

「ぐぬぬぅ……こんなの自由研究として受け付けてもらえないよ。なにか他のを考えないと」

 こんなところで頭をひねっても、うまく思いついたりしないだろう。バッグを引っ掛けて、とりあえず図書室へ。


 学園は全寮制だが、夏季休暇中はほとんどの学生が実家に帰っている。人気の絶えた敷地内は、課題に対するアレコレと、考えごとに集中しながらでも図書室まで問題なくたどり着ける、はずだった。

 曲がり角から出て来た人影と衝突。その人物はよろめき、運んでいたらしい大量の本が空中に投げ出された。

 瞬間、ピーシャは体内の魔力を練り上げる。

 魔力により強化された身体能力が、ピーシャに雷のごとき速度を与えた。さらに認識拡大、反射及び神経伝達速度向上、ピーシャが生来持つ身体の柔軟さが加わり、一瞬ののち、少女の左手には本の山が積まれ、右手には倒れかけた人の手が握られていた。


「ごめんなさいっ、大丈夫ですか!」

「いや。こちらこそ申し訳ない」

 温和に答えたのは五十前半ぐらいの男性だ。白髪交じりの髪の下で、照れたように苦笑いしていた。

「アルケイン先生」

 ピーシャは、初老男性の水分の失われた手の感触にちょっと驚きながら、担任教師を立たせた。

「ユインフェルト君、怪我はないかね」

「ぜーんぜん!」

 本の山を持ったまま、ピーシャはくるりと器用に回って見せる。

「大したものだ。魔力保有量や集中力は目を見張るほどなのだが……」

 期末考査で、クラスメイトとの模擬戦があった。飛んで来る炎や氷塊を反射と先読みでさばき、ぶん殴って沈めた。合格はもらったけれど、クラスメイトのウケは悪く、教師たちは唖然としていた。

「も~、わかってますよー。私だってちゃんとした魔法使いになりたいんですから。だからこうやって夏休みも自主特訓してるし、自由研究も……図書室で資料を探そうと思ってたところなんです」

「君が努力家なのは認めるし、可能性を信じているさ。教師としてできることがあれば、遠慮なく言いなさい」

 アルケインは微笑み、安心させるようにうなずく。

「えへへ~。あっ、これ! この本見てもいいですか?」

 ピーシャは、アルケインが運んでいた本を胸に抱え直す。だが先生は、少し困った顔だ。

「これは教師用書架のものでユインフェルト君には難しいだろう。私が自室で研究のために持ち出したものだからな」


 ピーシャは、本のタイトルを見ようと視線を落としたが乗っかった自分の胸が完全に隠していた。首を傾け背表紙を読む。『魔力の外部貯蔵の可能性』『複数精霊の同時行使について』『魔法と符術』などなど。

「全然わかんないですね」

「いずれ魔法の高みに届く日も来るだろう」

「がんばります! これ、先生の研究室に運んでおきますね」

「いや、そんなつもりは……」

 ピーシャの目がアルケインの左脚に向けられ、初老の紳士は断りそこねた。

 アルケインは初老とはいえ、十代の少女にぶつかった程度でよろめくような体格ではない。しかし、男は普段から左脚を引きずるようにして歩き、実際、力があまり入らないようだ。

 ランボルト・アルケインと言えばかつては有名な魔法使いで、強力な魔獣、キマイラを倒したことあるらしい。だがある日魔法の実験に失敗し、重症を負ったアルケインは一線を退き教職に就いた。左脚の不具合はその実験の後遺症だ――とクラスメイトからウワサとして聞いていた。

 生徒からの思いやりに、アルケインは照れくさそうな微笑みを返す。

「ありがとう。頼むよ」

「任せてください!」

「もし気になった本があれば、持っていって構わない。理解は難しくても、自由研究のためならヒントくらいにはなるだろう」

「ヒント……うん! やってみます。それじゃ早速、失礼しまーす」

 ピーシャの足取りは軽かった。行き詰っていた課題に光明が差した気分だ。普段は閲覧することも叶わない教師用書架の書物なのだ。難しくても、きっとすごい情報が記されているに違いない!


 アルケインの研究室に入り、机の上にどさりと本の山を置く。早速一番上の本を手に取り、パラパラとめくっていく。二冊、三冊と流し見するが。

「レベルが違いすぎてヒントにすらならない……」

 複雑な理論や高度な概念の説明、証明がひたすら続くものばかりだ。ピーシャの知識量では、その片鱗を掴むこともできそうにない。結局、本は借りずに山積みにしておく。

「やっぱり先生って凄いんだ。こんなこと考えてるなんて」

 ピーシャは本をアルケインの研究室を見回す。本棚には分厚い書籍が詰まり、細かく仕切られた引き出しには、ひとつひとつに触媒名のラベルが貼られている。机の上には小さな肖像画があった。かなり若い頃のアルケインと、隣の女性は奥さんだろうか。黒髪がきれいな女性だ。

 興味を惹かれたピーシャが、よく見ようと屈んた時、大きな胸が本の山を押し倒してしまった。


「あちゃー……ん?」

 雪崩れた本と本の間に、薄い書物が見えた。本というより冊子だ。手にとってみると、タイトルには『召喚魔法の実践』とだけあった。

「実践! こーいうのでいいんだよ! でも召喚魔法ってなんだろ」

 はやる思いで冊子を開く。

「えーっと、ここでの召喚魔法とは、異世界より生物を呼び出す魔法のことを指す。また、被召喚対象を魔法行使者の眷属とする効果も兼ねている……凄い。魔法ってこんなことできるんだ……しかも結構簡単っぽい。これ上手くいったら課題合格間違い無しだよ。しかもペット付き! やるしかない!」

 冊子をバッグに詰め研究室を飛び出そうとしたピーシャは、たたっと戻って、本の山をちゃんと積み直してから退室した。

 寮の自室に戻り、冊子を見ながら触媒の手持ちを確認していく。

「全部揃ってる。これって運命かも……!」

 時間や月齢の指定はなく、いつ実行してもいいようだ。あえて難点を言うなら、魔法陣がかなり複雑で大きいことぐらいだ。

 窓の外では、日が落ち始めていた。今から魔法陣の製図にかかると夜になってしまうだろう。明日は朝から出かけないといけないため、夜更かしはすべきではないが、

「にゅふふ、やる気になったピーシャちゃんは誰にも止められないっ」


 床に大判の紙を広げ、這うような姿勢でペンと製図機を構えた。図像の乱れは、思わぬミスに繋がる。ピーシャは細心の注意を持ち前の集中力で維持しつつ、正確に魔法陣を描写していく。

「できた……」

 すっかり日は暮れており、ピーシャは思い出したようにランプに明かりをともす。作業中は魔力で目を強化していたため、暗くても気にならなかった。

 ランプの明かりのもとで、改めて魔法陣を見る。狂いはない。

 よし――と小さくつぶやいて、冊子の指示通り、東西南北それぞれに対応した属性の触媒を置き、魔法陣の両脇には、門に見立てられるものならなんでもいいそうなので、本来は土の触媒であるスムスム森林の木材を二本、立てた。

 いつの間にか吹き出していた汗が、ピーシャのなだらかな頬を伝い落ちていく。一気に魔法の発動までやってしまいたい気持ちだったけど異世界からお客さんを迎えるのに汗臭いのは嫌だったので、ひとまず寮の浴場へ行く。


 湯浴みを終えて、髪と身体を拭いた。学園生は、校内、寮内、及び魔法に関わる場合はいずれも制服を着用するよう、校則で定められている。すでに夜も遅く、私服でいても誰かに見咎められることはないけど、ピーシャは制服を着ると心の中の魔法スイッチが入る気がしていた。

 制服のブラウスは、ボタンが胸のところで閉まらないので上二つ開けたままだ。スカートのベルトはきつく締める。クラスメイトからはスタイルが良いとうらやましがられるけど、身体のことは他人と比べても仕方ない。

 浴場から部屋に戻る途中で、食堂に寄って水で喉を潤した。カップを置くと、窓の外では月が柔らかな光を振りまいていた。なんだか祝福されているような気分だ。

 親元と農村での生活を離れ、不安で始まった寮に暮らす学園での日々は、すぐ驚きと楽しさに変わった。けれど、ここに来たのは一人前の魔法使いになるためだ。これまでは上手くいってなかった。でも運命は今日、今晩、変わる気がする。


 月光差し込む廊下をピーシャは走って戻り、部屋につくなり冊子をひったくった。

「我はここに命ずる! 火の精霊サラマンダー、水の精霊ウンディーネ、風の精霊シルフ、地の精霊ノーム、門の精霊タウィル・アト=ウムルよ! 我が意に従い門を開け、境界を超え現界せよ我が眷属! サモンサーヴァント!」

 詠唱終了と同時、四属性の触媒が爆発的に光が噴き出す。光は天井すれすれの宙空で集い、門に見立てた木材の間の空間を刺し穿つように落下すると、そこに暗黒色の穴が生まれた。

 穴は、脈打つようなリズムであっという間に人一人飲み込めるほどの大きさに成長する。穴の向こうはよく見れば、暗黒一色ではなく色の混沌とも言うべき様相だった。

「うまくいったの……?」

 ピーシャは呆然とつぶやく。

 初めて魔法が成功した喜びよりも、眼前の事態への戸惑いのほうが強かった。こんなものは当然授業で習っていないし、先生たちが使ったのを見たこともない。予測不能、制御不能の状況が始まってしまった印象が胸をざわつかせる。

 突如大穴がぐにゃりと歪むと、ピーシャは凄まじい力で引き寄せられ出した。

「召喚って、こっちに喚び出すものじゃないのー!? これっ、私がっ、向こうへ!?」

 冊子を投げ捨て、四つん這いになって踏ん張るが、じりじりと引きずり込まれていく。不思議なのは、これだけの吸引力なのに部屋の物体にはまったく影響が見えないことだ。

 指が滑り――

「わあああ、ダメだああああ、ごめんなさい、おかあさあああああああん!」

 穴に接触すると、引っ張られると同時に突き飛ばされたような矛盾した感覚に襲われ、ピーシャの意識は暗転した。

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