第二章 後宮での生活1
目の前が真っ暗だ。
違う。きんきらきんだ。
目を覚ましたそこは、見たこともないような豪華な部屋だった。
朱塗りの柱に螺鈿細工の装飾が施されており、金をふんだんに使った壁には意匠を凝らした模様が細密なまでに描かれていた。飾られている壷も、美しい絵が描かれていて、相当に高価なものだと見て取れる。どれもこれも、相当な腕を持った職人が、時間と労力をかけて作ったものに違いない。
驚いたのは部屋のことばかりではない。自分の着ている衣装を見て、わたしはそれこそひっくり返りそうになった。
「わ、わわっ! なにこの豪華な衣装は!」
わたしは自分の体を見回し、その鮮やかさと豪華さに、めまいがした。
もったいない!
わたしなんかがなんでこんなものを……!
わたしは部屋にあった鏡台に気がつき、恐る恐るそこに近づいてみた。
そこには、見たこともない自分が映っていた。
美しく化粧を施され、髪は綺麗に結い上げられている。
美しい着物に身を包んだその姿は、まるで本物のお姫様のように見えた。
「嘘……。これ、わたしなの……?」
いつもはもちろん化粧などしたこともない、地味な顔で、髪も一応毎日梳いてはいるものの、高価な椿油など使える身分ではないため、あまり艶やかとは言えなかった。
それが今、この鏡の中にいる自分はどうだろう。
まるで別の人間になったみたいに、綺麗な自分がそこにいた。
そして、ゆっくりと自分の今置かれている状況というものを思い出していた。
あの謁見の間での出来事。
王の発した言葉。
それらが夢ではないことを、今の状況が物語っている。
そのあとの記憶が途切れてしまっていることから、どうやらわたしはあのあと、あまりのことに動転して気を失ってしまったらしかった。
きっとその気を失ってしまっていた間に、わたしはこのような状態にされてしまったのだろう。
それにしても……。
「王妃……? わたしが……?」
こうなってみても、とてもそれを現実のこととして受け止められなかった。
まだ自分は夢を見ていると思ったほうが、遙かに信じられる。
「ありえない。王妃って、もっと高貴な身分の人が選ばれるものじゃなかったの? ついさっきまで使用人の一人だったわたしみたいな人間がいったいなんだって……」
そうつぶやいたとき、誰かが外から戸を叩く音が聞こえてきた。
「メイリン様。お入りしてもよろしいでしょうか」
涼やかな女性の声だった。わたしは一瞬迷ったが、とりあえず返事をした。
「どうぞ。お入りください」
そう言うと、引き戸がするすると開き、そこに跪いている女性の姿が見えた。
そんなことを自分がされているということに、まったく思いもよらなかったわたしは目をぱちくりとして慌てた。
「え? あ、あの! 顔を上げてください! わたしはただの使用人で、そんなことをされるような身分のものでは……」
するとその女性は、ゆっくりと顔を上げてこちらに目を向けた。
まだ若い、年の頃はわたしよりも少し上くらいだろうか。顔にそばかすは浮いているものの、さわやかなすっきりとした顔立ちの女性だった。身なりは普通の女官と同じようである。
「とりあえず、中でお話しましょう」
彼女はそう言うと、すっと部屋に入って、戸を閉めた。そして再びわたしに向き直ると、また跪いてわたしに頭を下げてきた。
「まずは、このたびは王様とのご婚約、おめでとうございます。簡単ではございますが、これをもって祝辞とさせていただきます」
婚約という言葉に、わたしはずしんと重いなにかが胸にのしかかるのを感じた。
「大変失礼かとは存じましたが、メイリン様がお気を失われていた間に、身なりを整えさせていただきました。どうかご容赦ください」
「あ、あの。ここはいったい……? それに、あなたは……?」
わたしがそう問うと、彼女はすっと顔を上げて言った。
「はい。申し遅れました。ここは王宮の最奥にあたる、後宮でございます。その中の一室が、今いるこちらの部屋になります」
後宮。王やその妃たちの居住区とされる場所。そこは男子禁制の場所であり、王以外の男子では、去勢された宦官のみが立ち入ることを許されている場所だった。
「わたくしは、シェンインと申します。本日より、メイリン様の身の回りを担当させていただくことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
シェンインと名乗ったその女性は、再び頭を床につけて礼をした。
「あの、わかりましたから、どうかその、頭を下げるのやめませんか? わたし、本当にそんなふうにされるような人間ではありませんから」
わたしがそう言うと、シェンインはようやく普通に座ってくれた。
「ではそのようにいたしますが、先程のメイリン様の言葉には誤りがあります」
「誤り?」
「はい。あなた様はご自分のことを高貴な身分のものではないとおっしゃりましたが、そうではありません。本日、メイリン様は次期王妃となられる方だということを、王様直々に発表がなされたと聞き及んでおります。一国の王の妃となられる方を高貴と呼ばずして、なんと呼びましょう」
わたしは思わずめまいを覚えた。
わたしが一国の王の妃?
そんな馬鹿な。
「確認しておきますけど、本当に? 本当に王様がわたしを王妃に選んだんですか? なにかの間違いなんじゃないんですか?」
わたしはそう言ったが、シェンインは首を縦に振るようなことはしなかった。
「本当です。メイリン様。あなた様は、この国の王のお妃様となられるお方なのです」
ぐわんと世界が回った。再び気を失いそうになったわたしを、シェンインが慌てて支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん。ごめんなさい。ちょっとめまいがして……」
「どうやら今日はいろいろ目まぐるしすぎて、お体に触ったようですね。どうか寝台のほうでお休みしていてください。薬湯をお持ちしますので」
その気遣いには、わたしはすぐに従った。本当に、少し休んで心の整理をつけたい。
シェンインはわたしを寝台まで支えてくれた。そしてわたしがそこで横になるのを見届けると、彼女は部屋から出て行った。薬湯を取りにいったのだろう。
豪華な天蓋つきの寝台は、わたしにはとても大きなものだった。
支えきれない大きななにかに押しつぶされそうになりながら、わたしは目を瞑った。
夢だったらいい。
再び目が覚めたとき、もとの宮廷料理人として働いている自分に戻っていて欲しい。
しかし、その願いが通じることはないのだということを、わたしはもうわかっていた。
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