第50話:泥濘
戦は次第に激しいものとなっていた。
ブルグンド王国側からすればここは敵の方が良く知っている場所。当然、地の利が敵にある場所で小細工をさせればろくな事にならないと知っている。となれば、多少無理をしてでも小細工をさせない戦いをしていくのが一番だ。
「やはり力押しになるか」
南方解放戦線側が渋い表情になるのは当然だろう。
もっとも、総指揮官はそれを覚悟していた。
「怯むな!!この地形ならば一度の数も知れている!!」
後から後から押し寄せては来る。
だが、深い谷間、しかも若干ながら南方解放戦線が陣取っている側が坂の上側に当たる。
こうなれば相手は数の利を活かすには波状攻撃しかない。数で押し寄せて少数を押し潰す、という戦いは出来ない。もっとも……。
「やつらもそれは理解しているのが辛い所だ」
ブルグンド王国側もこうした戦いは経験している。
幾度も幾度も、少数が押し寄せては引くを繰り返す。夜もそれは続き、極少数ながら騒ぎ立てて、嫌がらせとして火矢を撃ち込んで帰っていく。こうなるとどうしても南方解放戦線側は疲労が溜まっていく。
「……時が来るまでこちらが持つかどうか」
この時期ならば、と思って仕掛けた事であったが、果たしてどうなるか。最後は運任せだった。
そして、その賭けに彼が勝利したと思えたのは三日目の朝だった。
「来たか!!」
ポツポツと。
最初は静かに。そしてすぐに激しい土砂降りとなった。
南方には特有のスコールと呼ばれる短くも激しい雨だ。そして、これこそが彼が待ち望んでいたものだった。
「準備は!!」
「出来ております!!」
よし、と頷き、総指揮官は指示を下す。
さすがにこの土砂降りの中ではブルグンド王国側も攻撃は控えていた。
だが、雨が収まるなり、即座に兵が動き出す。だが……。
「なんだ?攻撃が弱い」
「逃げたか?」
「雨に紛れて逃げ出したのか?」
そんな声が攻め寄せた兵士から洩れる程、攻撃は微弱なものとなっていた。僅かな兵士のみが残り、弓を撃って来るし、両側の崖からも撃って来るが……。明らかにその勢いは弱い。
「逃げたのならば仕方あるまい。制圧せよ!!」
そんな命令が下る。
勝利した、という事実があればブルグンド王国側は十分だ。思っていたより損害が少なくて済んだかと胸をなでおろす気持ちはすぐに霧散した。
「うん?」
一人の兵士がちょろちょろと流れる水に気が付いた。
と、同時に別の兵士が南方解放戦線の兵士達が次々と崖の上から垂らされている縄に掴まり、必死に登り出したのに気が付いた。
どうしたんだ?という疑念はすぐに次第に勢いを増す水の流れに「まさか」という恐怖へと変わった。
「まさかこの地形は……い、いかん!!逃げ」
そんな指揮官の声は直後に勢いと水量を一気に増した水に押し流された。
ブルグンド王国正規軍の兵士達はこの近辺には詳しくない。だから、知らなかった。
この地域に雨が降りだす時、この近くを流れる川の上流からたっぷり雨を降らせながらやってくる。そして、乾季には細い流れとなったその川は一気に膨れ上がる水量を呑み込めず、周辺へと溢れ出す。そうして、雨季にのみ分流というべきもう一つの流れが生み出され、それが大地を削り、この谷を生みだした。
南方解放戦線側は地元の知識から雨季が近づいている事を知り、この地と時期に賭けた。
分の悪い賭けだとは理解していたが、王国「軍」に勝ったと喧伝するには賭けざるをえなかったとも言える。
「逃げろーっ!!」
「駄目だ、まにあわな」
濁流となって押し寄せた水の流れに人が抵抗する余地はない。
水というのは存外重い。一立方メートルの水は一トンに及ぶ。それが濁流となれば数十トンの質量が多数の土砂や木材を含んだ状態で押し寄せる事になる。気づいた時には既に手遅れだった。
この戦いでブルグンド王国軍は千以上の死者行方不明者を出し、撤退に追い込まれた。ようやっと近くの街へと辿り着いたその姿は泥に塗れ、疲れ果てた人の群れであり、生き残った者達こそ未だ千以上の兵士がいたものの、到底その姿は勝利した者達の姿だとは思えないものだった。
必然、王国軍が南方解放戦線にも敗れたという話は噂となって広がっていく。
そして、誰も知る事はなかった。
雨雲を運んできた風が遥か上空で不自然な動きをしていた事など……。
本来ならば、まだこの地に雨雲が流れてくる事はもう数日は先の話であり、その雨雲も他の地で雨を落としてもっと降水量は少ないはずであった事を知る者は誰もいなかった。
フレースヴェルグ、それは神話において「全ての風を生む」とされるもの……。
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