南場花月 ⑦


 俺は三限目の講義を終え、大学の最寄り駅のプラットホームで電車を待っていた。下校ラッシュの時間を外していたから、駅にいる学生は指で数えられるほど少なかった。


 電車が到着するまで小説を紐解ひもといていると、プラットホームに女性の機械的なアナウンスが流れた。電車がまもなく来る知らせだ。俺は切りのいいところでしおりを挟み、軽く身体を伸ばした。これといった理由はないが、挙動不審と思われない程度に辺りを見渡す。


 そこで偶然、ある二人の女を見かけて驚いた。


 一人は、赤いメガネをかけた小柄な女だった。ライトブラウンの短い髪にパーマをかけ、ゆったりしたベージュのワンピースを着ていた。どこにでもいるかわいい女子大生という感じだ。


 俺が目を丸くさせたのは、その女の隣にいた淡いチョコレート色の髪の女を見てだ。グレーのカーディガンに紺色のスキニーパンツ。綺麗な容姿といい服装といい、間違いない。俺の恩返しの相手だ。


 電車が列車風を静かに吹かせて到着した。


 俺は電車を待っていた位置から移動して、二人の女が乗車した車両に乗り合わせた。今度はもう、おざなりな恩返しはしない。そのためには、まず相手のことを知るべきだ。


 二人の女は、閉まったドア近くの席に並んで座っていた。会話に夢中なのか、俺の存在感が希薄なのか、俺に見向きもせず談笑している。


 閉まったドアに身体を預け、小説を開いた。読書をするフリをして、女たちの会話を傾聴した。


 二人の女の声量は小さかった。周りの人の迷惑にならないようにしているのだろう。だが、耳を傾ければ聞こえなくもない声だった。


 赤いメガネをかけた女が、幼い声色で言った。


「だからさぁ、花月かづきは別に気にしなくてもいいことを気にしすぎだって」


 花月と呼ばれたチョコレート色の髪の女が、曖昧な返事をする。


「そうかな。別に普通だと思うけど」


「花月の普通は、一般人で言うところの聖人君子。今日のお昼だって、そう。大学のゴミ箱に、ゴミが山積みなってたでしょ。それを見たアンタが、入り切ってないゴミを拾い集めて、別のゴミ箱に捨てに行った。普通そんな面倒くさいことしないって」


 俺は内心、メガネの女が言ったことに強く同意していた。あの女は見て見ぬふりをしていいことを、見逃さない。俺にルーズリーフを譲ってくれた時もそうだったから。


「何で、花月ってそんなことするの?」


「そんなことって?」


「だから、困ってそうな人がいたら、後先考えないで助けるところ。直接的ではないにしても、ゴミ拾いも人助けに繋がるでしょ。私から見たら少し恐いって」


「私、そんな恐がられるような見た目してる?」


「見た目の話じゃない。いや、まぁ、アンタはある意味、恐いくらい美人だけど。外見じゃなくて、生き方の話。前から思っていたけど、親からどんな教育受けたの?」


 花月と呼ばれている女の返事に、少し間ができた。おそらく、返答を思案しているのだろう。


「親からの影響はあまりないかな。今の私があるのは、小さい頃、ある人に憧れてその人を目指しきたから」


「その人と出会ったのが運のつきね」


「運のつきとか言わないでよ。私はその人に助けられたんだから」


 花月は笑顔をつくりながらそう言い、話題を変えた。


「私の話がしたくて、先輩を呼んだわけじゃないの。私の友達のことで相談があるから」


「どうせ、その友達が困ってるんでしょ」


「どうしてそれを」


 赤いメガネをかけた女が、ため息を吐いた音が聞こえた。俺も小さくため息をこぼした。


 俺の隣で座る二人の女の会話内容を盗み聞きしていて、一つ確信したことがある。


 俺の恩返しの相手は、超が付くほどのお人好しということだ。それも、私欲が欠如した善人である。人に尽くされるより、人に尽くすことで幸福を感じるタイプの人間だ。たぶん、ルーズリーフ以外の物を贈っていたとしても、彼女が心から喜色満面を浮かべることはないだろう。


 どうすれば花月に感謝されるのかを考えつつ、女たちの会話に集中した。


「先輩は話しが早くて助かる」


「アンタの思考パターンが単純なだけ。で、その友達に何があったの?」


「実は、その子、私と同じボランティア部に入ってるの。でもこの前、急に部活を辞めるって他の子らか聞いて」


 俺の通っている大学に、社会貢献のできる部活があったなんて知らなかった。花月の献身的けんしんてきな性格に、とてもマッチした部活だな。


「その子に部活を辞めてもらいたくないからいろいろ手を打ったんけど、あんまり効果がなくて。先輩、どうすればいい?」


「まず、退部の理由を聞いた?」


 そうだな。まずそこがわからないと話にならない。


「部活の活動内容に飽きたからって」


「それはもう、仕方ないでしょ。潔く諦めなさい」


「えぇーそんな。先輩の人でなし」


 赤いメガネの女は花月とは対照的に、淡泊な性格をしていた。薄情という捉え方もあるが、俺は現実的な人だと感じだ。


「じゃあ訊くけど、その子は前から部活に熱心だった?」


「ううん、そこまで」


「じゃあ、花月が無理に引き止められないでしょ。本人がやりたくないこと強制させることはできないし。それにもしかしたら、その子は何か新しいことを始めたかったかもしれないでしょ」


「うーん、でも……。私はその子に残ってもらいたいから。その子といるとおもしろいし。その子にとっても、四年間部活を続けていたことは将来的に悪い話じゃないし」


 それに、と花月は言葉を付け足す。


「突然、部活を辞めるっておかしいでしょ?」


「……」


 メガネの女は黙った。その沈黙は、花月の疑問に共感していたのか、それとも、どうのように反論をするか考えていたのか。メガネの女は言うべき言葉を数秒探し、疲れたように返事をした。


「ホントに、アンタは気にしなくてもいいことを気にする」


 ターミナル駅に着くまで、二人の会話から情報を収集した。だが、花月が部活を辞めた友人を引き止めたいという情報以外、得られるものはなかった。


 一度、ここまでの話を整理した。今日、収穫があったのは二つだ。


 一つは、俺の恩返し相手の名前が、『花月』という女であること。


 二つ目は、花月は今、部活の友人関係で悩んでいること。


 花月の悩みは、友達がボランティア部を辞めてしまうことだ。その友達は部活動にやる気がないみたいだが、花月としては続けてもらいたいという。花月が辞めて欲しくないと引き止めるくらいなのだから、その友達はきっと人望が厚いのだろう。


 難しい問題だ。他人が下手に口出しできない悩みだから。


 メガネの女が言った通り、花月に諦めさせればそれで問題がなくなる。だが、優しさの権化ごんげとも言える花月の性格上、簡単に折れてはくれないだろう。有名な菓子パンヒーローに、奉仕活動を辞めてくれと説得するくらい難しい。だからといって、部活動に熱意のない友達に残留してもらうこともできないだろう。


 こんな俺にでも、花月のために何か手助けできることはあるのだろうか。


 今日の盗み聞きが、呪いを終わらせる足掛あしがかりになればいいが……。果たしてどうなることやら。

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