南場花月 ⑥

 昼休み。俺は食堂を出て中庭を歩いていると、「こんにちは、阪城さん」と、末治から声をかけられた。この男にとって毎日が誕生日なのか。今日も爽やかな微笑みを浮かべていた。


 末治の服装は出会った日と同じ、紺色のジャッケトの中に白いシャツを着て、グレーのパンツを穿いていた。


 俺に発信機を付けているのではないかと疑うくらい、末治との遭遇率が高い。


「呪いの方はいかがですか?」


「もう大丈夫だと思います。今朝、恩を受けた人にちゃんと返しましたから」


 俺は自信を持って言った。怨返しの呪いから一時期的に解放されて、少し浮かれていたのだ。


 しかし、末治から意外な答えが返ってきた。


「何を言っているのですか、阪城さん。呪いはまだ継続中ですよ」


 末治の言ったことが信じられなかった。あの女には、もらったルーズリーフの倍以上、返したのだ。この手でちゃんと。それに今朝からアクシデントにも見舞われていない。


「そんなことはないですよ。恩なら返しました。不幸な目にも遭ってないし」


「えー、それは残念ですね」


 やっぱりこいつ、俺のことが嫌いなのか?


「阪城さんは具体的に何をされたのですか?」


「この前、ルーズリーフもらったんです。だから今日、ルーズリーフを何枚か足して返しました」


 俺の話を聞いた末治は、双眸そうぼうを閉じて首を横に振った。


「厳しいことを言いますが、それは阪城さんの思い込みではないでしょうか? その方は阪城さんの恩返しを受けて喜ばれましたか? 感謝をされましたか?」


「それは……」


 末治にそう聞かれ、答えられなかった。あの女がどんな反応をしていたか、解り切っていたのに。


 彼女は俺の言動に困っていた。火を見るよりも明らかに。


 思い返せば、相手に感謝されるどころか、逆にこっちが感謝したいくらいだった。俺の傍若無人ぼうじゃくぶじんな押し付けに合わせてもらって。突然よく知らない相手から、白紙のルーズリーフを十枚もらって嬉しいと感じるわけがない。怨返しのペナルティーばかりに気を取られて、他人の気持ちをないがしろにしていた。結果的に、俺は恩を迷惑で返したのだ。


「恩を返すということは、もらった物をそのまま返すことではありません。相手が望むことを実現する。感謝に繋がることこそが、恩返しですよ」


 わかっていただけましたか? と、末治はにっこりと笑顔を作って言った。


 俺は静かに頷いた。どうやら俺にかけられた呪いは、自己満足の見返りだけで終わるほど甘くないらしい。


「一番手っ取り早いのは、恩を受けた相手の望みを叶える。そうですよね?」


「人から感謝されるには、それが最善策かと」


 あの女に悩みなんてあるのか。あったとしても、男からの誘いが多くてうっとうしいとか、そんな贅沢な悩みじゃないか。容姿端麗、品行方正、人間関係も良好。キャンパスライフが楽しくて仕方ないだろう。


 雲をつかむような話だが、やるしかない。理不尽な目に遭うのはもっと御免ごめんだから。


「では阪城さん、引き続き頑張ってください」


 本心からか、うわべだけなのか。素直に受け取っていいかわからない、激励の言葉を末治に送られた。


 俺の隣を通り過ぎた末治は、何かを思い出したように振り返って言ってきた。


「あぁ、でも、あんまり頑張りしすぎないでください。阪城さんの呪いが終わると、僕の楽しみが減りますから」


 この男にいつか天罰が下りますように。

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