第6話 その新芽に名をつけるなら……
おれが夜蝶風月の不穏な動きを察知できたのは、ウィラと幾人かのギルド事務員のお陰だった。
ウィラにはもともと娼館から転職してきた女たちの様子をこっそり監視するよう命じてあったし、ギルド員は、最近娼婦ギルドの人間が機嫌よく話しかけてきてうちに好意的だ、というようなことをただの世間話としてもたらしてくれただけだったが、おれには両者からの情報が合致した時点で腹を決めるに充分だった。
イクティノーラ・ハノンはおれを探っている。
探り出される前に、こっちからも探りを入れて、必要なら潰さなければならない。
だから、ウィラに夜蝶風月への潜入を命じ、一週間もしないうちにあいつは特大の情報をもたらしてくれた。
「これ。少しだけもってきた」
そういって差し出したのは、おれが潰した悪徳商会の関係者の名簿や、個人の弱みを書き留めたメモの類。
そして、どうにもきな臭いにおいしかしないなんらかの計画書。
これだけあれば、イクティノーラがかつての支配者たちに怨みをもっていて復讐したがっていたことは理解できる。
ただ、だからといってなぜおれに狙いを定めたのかは、不明のままだ。
復讐を横取りしちまったことを怨んでいることは、まあ考えられる。商工会に替わって自分が町を支配する気でいる可能性も、普通にある。どちらにせよおれが邪魔であることには違いない。
しかし、おれにはわからなかった。
せっかく自由の身になったというのに、本来の狙いでないやつに的を変えてまでこの世界にいつづけようと思うものなのか?
「ウィラ、おまえはもしおれたちが先にラジェルを潰して自由の身になっていても、暗殺者を続けていたか?」
こいつもイクティノーラたちとは同種の犠牲者だから、意見を聞くには最適のはずだ。
「実際そうはならなかった」
「……そうだな」
口数の少ないこいつだが、いいたいことははっきり伝わる。
こいつは徹底的に叩き込まれた一流の暗殺者だから、もしもこうだったら、なんて仮定を前提とした想定をしない。現実に起こったことだけが真実であり、すべてだ。
「とにかくよくやった。クレアに褒美をやるよういっといてやる」
おれのもとにきてから口元以外は隠さないようになったからだいぶ表情がわかるようになった。だから褒美と聞いてこいつがマフラーの奥でにんまり唇を歪めたことも、おれにはわかっていた。
そういうわけで翌日の夜におれはウィラ入りの影を伴って夜蝶風月に乗り込んだわけなんだが……
「帰れる場所なんてないからよッ!」
なぜやめないのかと訊いたら、強烈な返事が返ってきた。
十五で売られた苦しみ、国も家族も奪われ娼婦に落ちて生き続ける苦しみ、十八年かけて練り上げた復讐作戦をぽっと出のおれたちに潰された苦しみが、おれにわかるのか、と……
もちろんわかるはずがない。
おれは国も家族も奪われたんじゃなく捨てた側だし、女でもない。
彼女の、いや、彼女たちの苦しみなどこれっぽっちもわかるはずがなかった。
ただ、ひとつだけわかったことがある。
イクティノーラは、貴族の出だ。
そうでなけりゃ、娼婦に落ちるというような表現はしない。
国にもよるが、このあたりの国じゃ娼婦という職業は社会的に認められているし、貴族社会でも通用するような教養を身につけることができる高級娼婦なんてのはある意味、出世街道ですらある。
それを、否定した。
ラジェルやホフトーズは貴族の女子供をさらって売り飛ばすこともあったそうだから、イクティノーラはまさにその一人だったんだろう。
その矜持があるから、娼婦としての人生は苦痛以外のなんでもなかったに違いない。
それに耐え、十八年も耐え続け、ようやく復讐を遂げて自由の身になろうかというときに、横からかっさらわれたら……?
そりゃおれだって怒る。
ああ、ブチきれるに決まってる。
だから、おれを狙った理由は納得できた。
「どうしてよ……どうしてなのよ……!」
彼女が美しい顔をくしゃくしゃにしながら、おれを突き刺すように睨んだ。
「どうして、そんなに強いなら……!」
ああ、やめてくれ。
それはいわないでくれ。
「そんなに強いのなら、どうして……!」
頼むから、おれを怨んでいいからもうここで終わりにさせてくれ。
それをいったら、本当にあんたはすべてをなくしてしまうんだぞ。
十八年間戦い護り続けた誇りも、耐え続けた苦労も、すべてを否定してしまうんだぞ。
「どうして、もっと早くきてくれなかったの……!」
ああ……
いっちまった……
「どんな悪党でもいい、なにをしてもいいから、もっと早く、やつらを殺してほしかった……!」
他人に、すべてを委ねてしまった……
おれにはもう目の前の女が、誇り高く己のため祖国のために戦い続けた尊い女には見えない。
ただの、無力な少女だ。
奪われ傷つけられ、悲しいから怖いから、自分にはどうすることもできないから、強い誰かに助けてほしくて泣きじゃくっているただの少女にしか、見えない。
これがおれの罪だとは思わない。
結果的に彼女たちを傷つけてしまったとはいえ、おれたちにはおれたちの人生があり、ゆくべき道を定めて戦った結果にすぎないんだ。
でも……
おれは、女を泣かせてしまったんだ。
助けてくれと、悲鳴を上げさせてしまった。
無視する?
できるか、んなこと!
「教えてくれ。あんたはどこの誰なんだ?」
彼女は調子の乱れたひどい声で、机に突っ伏しながら答えてくれた。
「ファルネス王国、グローヴィネン大公の娘よ……」
ファルネス王国とは、また随分と遠いところから……ここよりむしろパラディオンからのほうが近いじゃないか。
確かあそこは、おれが生まれたあたりからずっと隣国のエランドル王国から狙われていて、十七年くらい前にとうとう滅ぼされたんだっけか……
そういえばエランドルには行ったことがあったな。
確かそのとき、ファルネスは国王が病で倒れ、代わって弟のグローヴィネン大公が指揮を執ったがとんだ無能で楽勝だったとか、自分が戦ったわけでもないのに偉そうなことをいうむかつく家臣がいて、実際の経緯を調べたんだよ……
……そのグローヴィネン大公の娘?
あっ!?
「エレオノーラか!?」
いって、しまったと思った。
知っていてはいけない名なのだ。いや、知っているはずがない名なんだ、どこの馬の骨ともつかぬおれのような輩が。
案の定、本人からもお付きの女からも、信じられないといった顔で見つめられてしまった。
「どうして……知っているの……?」
さあ、どうしてでしょう……
「あなた……誰なの……?」
まずい。
おれの素性を知られないために釘を刺しにきたってのに、自分からどでかいヒントを与えちまった!
……いいや。
もう、どうせその気になってたんだ。
それに黙らせておけばいい。
おれはただ、女を泣かせた責任を取る。それだけだ。
「知る必要はない。その代わり、おれがやってやる」
エレオ……イクティノーラはいまだ混乱が解けない様子でお付きの女と顔を見合わせた。
王家と大公家の最期はおれも知っている。それに隠していた書類もある程度見たからな、悪徳商会どもの他に復讐すべき怨敵が一人残っていることも、わかってる。
そいつがどれだけ手を出しにくい相手なのかも、それだけに時間を食ったことも、もちろんわかってる。
だがおれは、そいつのある行動パターンを知っている。イクティノーラたちも知ってるだろうが、そこを突く手段はもっていないはずだ。
それを、おれはもってるんだ。
「本当に……あなたが……?」
「ああ、やってやる。それでもう復讐は終わりだ。あとは好きに生きるといい」
「本当に、やってくれるのね……? 私たちの怨みを、晴らしてくれるのね……?」
「ああ」
イクティノーラは再び泣き出した。
それをとめるほどおれは野暮じゃない。
戦い続けた女が、ようやくただの女に戻れたんだ。
そうなることを望んでいたかはわからないが、そうさせたのはおれだ。
だから復讐を肩代わりして、その後のこともできる限り面倒を見てやるさ。
人一人の人生ってのはそんなに軽いもんじゃないが、おれは決めたんだ。
すべてを捨てたあの日に、決めたんだ。
大事なものはすべて手の届くところに置いておく。
だから手の届く範囲のものはすべて護ると。
おれからなにかを与えてやることはできないが、護ってやるさ。
これから手に入れるものは、もう二度と失わないように。
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