第41話 王妃の宴

 翌日の二日は、王妃が後宮の側室たちを呼んでささやかな酒宴が開かれることになっていた。鈴玉が王妃を送った後に準備していた宴とは、このことである。


 鴛鴦殿には側室の到着を告げる先触れが次々と響き渡り、思い思いに装いを凝らした側室たちが、王妃の宝座の前に現れる。林氏もまた、鈴玉が心を込めて用意した、小さな真珠を縫い取って吉祥紋様を刺繍した上着を身に着け、その優雅な挙措も相まって、王妃としての威厳を余すところなく見せている。

 事実上の側室筆頭である敬嬪呂氏けいひんりょし、それに次ぐ恭嬪李氏きょうひんりし趙昭容ちょうしょうよう……。


 鈴玉はあまり目立たぬよう部屋の隅に控えていたが、久方ぶりに呂氏を目にして警戒感を新たにした一方、やはり彼女の持つ匂やかさ、華やかさは後宮随一なものだと感心した。


 盛装した女性達がこれだけ集うと、それだけで王妃の御前はにぎにぎしくなる。拝跪して賀詞を奏上する側室たちを林氏はぐるりと見渡し、「礼を免ず」と声をかけて微笑を浮かべた。


「そなた達のおかげで、後宮も無事に新年を迎えることができた。公子も公主もみな健やかに育ち、王もお喜びである。何かと至らぬ私ではあるが、今後とも皆の支えを得て王にお仕えし、後宮を守っていくつもりなので、みなも引き続き協力をしてほしい、後宮の平穏はすなわち国の平穏に繋がるゆえに」

 そこまで言うと、王妃は立ち上がって次の間を指し示した。

「さあ、ささやかながら茶菓や酒を用意してある。いつものように、お互い王にお仕えする身として、無礼講にて語らいを……」


 側室たちが次の間へとぞろぞろと移動し、鈴玉も給仕のため後に続こうとしたが、そこで呼び止められた。

「鈴玉」

 ねっとりと艶を帯びたその声は、呂氏のものであった。

「久しぶりよの、息災であったか」

「ご無沙汰いたしております、御方さま」

 膝を折って挨拶する女官に、呂氏はその肩先を手にした扇の先でかるく叩いた。

「ほんに、遠くからでもそなたの身を案じておったぞ。冬近くに冷宮送りになって、気の毒なことだ」


――敬嬪さま!


 鈴玉は自分の顔がと火照るのを自覚せずにはいられなかった。二人のやり取りに気づいた側室の何人か、おつきの女官や宦官が好奇と嘲弄の目線をもって自分を見ているのがわかる。


――そう、敬嬪さまの意趣返しだわ。このような場で、私に恥をかかせるのね。

 だが反論もならず、鈴玉はただ唇を噛みしめて俯く。


「敬嬪、そなたが座らぬと宴が始まらぬ」

 王妃が声をかけたことで鈴玉は救われ、呂氏は嫣然と微笑むと王妃に最も近い卓についた。

 側室たちに鴛鴦殿の女官が酒をついで回る。だが呂氏は酒を断って乾杯の杯のみにとどめ、代わりに茶を所望したので鈴玉が茶を卓に置いた。


「これは珍しい、敬嬪は酒を好むと思うていたが……」

 林氏の問いに、呂氏は一礼して非礼をわびた。

「めでたい席でこのようなことを申すのもなんですが、このところ体調をいささか崩しておりますもので……」

「それは気の毒に、養生しなさい。あとで鴛鴦殿からも補薬ほやくなどを遣わすほどに」

「恐れ入りましてございます」


 呂氏は立ち上がり、杯を掲げた。彼女に続き側室たちも杯を手に座を立つ。

「王妃さまのご長寿とご繁栄を祈念申し上げます!」


 王妃は座したままそれを受け、呂氏を除く一同が飲みほす。

 このようにして全部で三度、王妃に酒が献ぜられ、あとは茶菓をつまんだら、一同は殿の回廊に座を移して百戯ひゃくぎを鑑賞する。

 側室たちにが配られ、皿や杯を取り換え、百戯の芸人に渡すおひねりの籠を運んで……側室たちの愛想笑いやざわめきをよそに、女官や宦官はてんてこ舞いである。


 座もたけなわの頃、呂氏が胸を押さえ、ふらりと立ち上がった。

「恐れ入りますが、気分が悪いのでこれで失礼を……」

「大丈夫か、敬嬪」

 気づかわしげな王妃に、呂氏はいささか弱々しく微笑み返すと拝礼し、入ってきた薛伯仁に付き添われて退出した。彼はまず、兄を見て複雑そうな表情をしている明月に、そして拳を握りしめて立つ鈴玉へと順番に眼をやり、にやりと一瞬笑い、すぐに澄ました顔になる。


――あの腐れ宦官!新年早々から、あいつと顔を合わせる羽目になるなんて。

 宴がお開きになった後、片付けをしながらも鈴玉は胸のが収まらなかった。


 

 数日後。


「今夜は冷え込むのにこんな時に限って宿直だなんて、嫌になっちゃうわ」

 香菱たち同室の女官がぶうぶう言いながら鴛鴦殿に行ってしまうと、鈴玉は寝台のなかから隠してあった艶本を取り出して、王の朱筆の部分を拾いながら読んだが、ようを繰っていくうちにある疑問が浮かんできた。


――そういえば、私、最初に読んだとき、何を考えながら読んでいたんだろう?

 感想を書き留めた帳面は謝朗朗に渡してしまっていたが、無性に読み返してみたくなり、翌日、時間を見つけて朗朗たちに会いに行った。


「え?君がくれた感想の?」

 朗朗は眼を丸くした。


「いや、実は昨日、鸚哥が来て話したんだけど、君と仲直りしたいと言ってたんだ。何でも、元日から二人で大喧嘩したんだってね。で、仲直りのきっかけになると思ってあの冊子を渡したんだよ。僕たちの代わりに返してあげてって。やっぱり艶本は僕たちの縁を繋いでくれたものだからね。本人も喜んでいたけど、来てないの?」

「……いいえ、今のは初耳だわ」


 鈴玉にとって思いもかけない話だった。秋烟も眉をひそめたが、鈴玉の視線を感じて励ますような声を出した。

「まあ、昨日の今日だし。そのうち会いに来るよ、きっと。ねえ、朗朗?」

 そうは言われたが、鈴玉はどこか引っかかりを感じ、首を捻りながら鴛鴦殿に戻った。

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