海と夜(2)


 私は先生に見送られて、校舎を出た。グラウンドのほうからわいわいと部活動に励む声を聞きながら、一人寂しく校門へ向かって歩くとき、ふいに強い風が吹いて、制服のスカートを揺らした。そこでなんとなく、過去を思い返してしまった。そうすると、そのころの状況に今は驚くほど似ていることに気が付いた。


 中学一年生の頃、部活動を辞め、一人で帰るようになった。それまで私は中学の文芸部に所属していた。熱心な部活ではなかったが、平日は毎日活動していたので、帰りは同じ部のみんなと一緒だった。学校から帰るときに、周りに仲間がいる、というのは、とても心強いことだ。


 一人で帰り始めたとき、私はこう考えた。果たして私は、この学校に「居た」のだろうか。本当に自分が学校に所属しているのか、なんとなく分からなくなった。それは今にして思えば、悲しい仮定から生まれる寂寥だったのだ。『もし私が、学校にいなかったなら』という仮定。そこから導き出されたのは、『誰にもなにも影響しない』という結論だった。


 ぼろぼろの校舎を振り返った。この使い古された校舎で学ぶ生徒に、私はまだ加わっていないけれど、これからここに加わるのは確実だということ。その事実が、私の胃を締め付ける。編入試験の日の帰りよりもさらに痛みは強くなっている。


 東京や、そこの高校での関係から解き放たれたとしても、私がまた新たな関係の渦に飛び込んでいくことには変わりはなかった。高校生活について怜美先輩と話したとき、このことを深く考えなかったのは、なぜだろう。彼女にとっての当たり前の高校生活――それは、このS高校に通う生徒全員にとっての当たり前だが――は、私に必ず訪れるわけではないのに。


 魔がさしたとしか言いようがなかった。なりふり構っていられなくなるほど、私の心は早く、この高校の生徒に同化することを望んでいた。少しでも早く。


 それで、私はプールのほうに足を運んでいるのだ。そういうことに違いなかった。




 もう午後二時だったので、水泳部の練習は終わってしまったのだろうか。プールのそばには誰もいなくて、そこでまた独りを意識して辛くなった。立ち尽くしてしまったように、ぼんやり空を眺め、ぬるい風を感じた。時間が過ぎた。その男子生徒が視界に入るまで、どれだけ経ったかわからなかった。


「いたいた。松野さん?」


 私に声を掛けた彼は、メガネを掛けていて、真面目そうな顔つきだった。部活終わりらしく、ジャージ姿で、手にはスポーツバッグを提げている。私は必死に、来てくれたという嬉しさと、そんな彼をわざわざ待っていたことの照れを隠しながら、うなずきを返す。


「転校してくるんだってね! よろしく」

「えっと、私のことはどれくらい聞いてますか? 山本君から」


 彼は切れ長の目を細めて笑い、


「うん、結構聞いたよ。わざわざ今日僕と会ってくれてありがとう」

「いえ、こちらこそごめんなさい。山本君が、無理に誘ったみたいで」

「ううん、大丈夫だよ。どうせ部活終わって家に帰っても、暇なだけだからさ」


 本当に、面識のない新堂くんと私を無理やり会わせるように仕向けたのか。実際私は会いに来ているけれど、なんとも強引なことをするものだ。あとで文句を言おう。


「海がすごく好きって、聞いたよ」

「そう、です」

「一人は寂しかった? 一人きりでやることなく過ごす夏休みって、虚しくなるよね」


 新堂君は、微笑みながらそう言った。会ったばかりの彼に見透かされるほど、私は寂しがっている風に見えるのだろうか。


「その、寂しいんだと、思います」

「ま、それは怜美先輩から聞いた話だけどね。あと、敬語じゃなくていいよ! タメなんだし」


 彼はニコニコと笑っていて、細い目が空いているのか閉じているのか分からなかった。体つきが細いが、日焼けのせいで弱々しいという印象は受けなかった。


「先輩、たまに怖いぐらい気が利くからね。先輩にもいろいろ聞いてるよ。仲良くしてあげてって」

「そうなんだ……」

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