22「光差す」
22-1
今、ザックには、じっと見つめるものがある。
座る席の真ん前の、相席するラーソの姿…… ではなく、互いの間にある簡素な作りの木製テーブル。その卓上にチャット文字で描かれた、縦八、横八のマス目の図である。
凝視するその場所に、スッと伸びるラーソの白い細腕が。
ゆったりとした黒いローブの袖が、卓上を軽く磨いていく。
その腕の先の人差し指は、書かれていたマス目模様の左下のマス目に触れる。と、途端にその部分は黒く滲んでいった。
さらに、ラーソの指はそのまま斜め上のマス全てを黒く滲ませていく。
「お見事。ラーソさんには敵いませんね」
ザックは感嘆の声を上げた。
二人が今興じているものは、チャット文字だけで行う〝オセロチャット〟という遊戯である。
通常、それはオセロ盤が設置されていない列車の中で行うもの。
それを今しているということは……
「そろそろ着きますわね」
横の窓を流れる景色を見、ラーソが言った。
そう。当然ここは列車の中。
ルシーから聞いたミレマの異変。それが気になったザックは、数日掛けミレマに来たのだ。
車窓を流れる風景が、次第にゆっくりになっていく。
高いブレーキ音が、旅の終わりを短く告げた。
背伸びを長く、ラーソがする。つられてザックに、長いあくびの衝動が。押し止め、けだるさと一緒に歩き出す。
列車を降りる。
先刻のオセロの勝負を脳内で振り返りつつ、ミレマの地を踏んだ、その時だった。
(な、なんだ……)
けだるさが一気に消えた。代わりに、列車に引き返したくなるほどの不快な衝動がやって来る。
ラーソも同じ異質さを感じたらしい。身をすくませ、ミレマの異変を訴える。
村を覆うこの沈んだ空気。それは、ルシーの話が単なる噂話ではないと悟るには十分なほど不快なものだった。
「……まずは、チャットルームを目指しましょう」
額を伝う汗を拭い、ザックは勇んで歩き始めた。
チャットルームといっても、ここミレマは、それが一カ所しかない不毛の地。 駅から遠く、その上、ほとんどの道はろくに固められておらず、小さく尖った岩がむき出しになっていた。
ザック達は、その無骨な道を浮遊することなく歩き続け、ようやく目的のチャットルームに辿り着いた。
土を固めて建設されたミレマ独特の土屋は、一見するとチャットルームとは思えぬ簡素な外見をしていた。
中に入り、初めにするのは、疲れた体を癒すお茶の注文…… ではなく、村の異変についての情報収集。
「あんた達みたいに聞いてくる奴は、この間もいたな」
客はそこまで言うと、皆一様に口を閉ざした。
ザックは、客達の閉ざされた口を開けるべく、所持した硬貨を差し出し食い下がる。
誘惑は功をそうした。近くで見ていたらしい二人組の客が、馴れ馴れしい口ぶりで話しかけてくる。
「インフィナルって知ってるか。村一番の楽団だ。そいつらの歌が村の異変の原因かもしれないって噂だ」
「はじめは皆熱狂したもんさ…… 今は噂のせいで人気は全然だな。だが妙なことにいざあいつらが歌うってなれば自然に聞きに行っちまうんだ」
上機嫌な客は、インフィナルが普段よくいる場所を追加で教えてくる。
散財はしたが、なんともありがたい情報を聞き出せた。
ここまで来ればすることは一つ。
インフィナルがいるという、村唯一のチャットルーム。そこに向かうより他はない。
再び凸凹の道を踏む。
歩き始めて程なく後、件の建物が見えてくる。
真っ白い外見、他より大きいという点こそ異なるが、チャネリング施設は村の風習に習い、土屋仕立てになっていた。
(ん、)
近付いた時、ふと、風に乗った音色が耳に届いた。 調べを調べに、ザック達は建物と急ぐ。
歩み寄る度音色は鮮明になり、入り口に来た時にははっきりとリズムが理解出来た。
戸を開けて、見えた先には白一面。
そこには、インフィナルと思われる男女が二人、立っていた。
「突然すみません。インフィナルの方々ですよね?」
ザックは、不安げに見やる二人に声をかける。
自己紹介をついでに済ますと、男女も名を言い始めた。
「俺はムゲ。こっちはスズナ。俺達はインフィナルって楽団をしている」
やはりか、二人は目下の楽団だった。
ひとまず握手を交わし、互いの緊張をほぐす。
ラーソの丁寧なあいさつと優しげな笑みもあってか、二人のこわばっていた表情が和らいでいく。
が……
「二人とも、すごい人気でしたよ」
ザックの挨拶。これがいけなかった。
突如ムゲが血相を変えたのだ。
ザックは胸元を強く掴まれ。なぜか鋭く睨まれる。 人気者という意味で言ったつもりの話題を、どうやら件の噂話と結びつけ嫌みに捉えてしまったらしい。
これはしたり…… 思う最中、どんどん胸ぐらの締め付けが強くなる。
ラーソとスズナ、二人の制止の声も、まるで効果はない。この神経質な反応は、はっきり言って異常といえた。
「お前ら、さてはあいつらの仲間か! だから異変を知ってるんだな!?」
言われ、ザックは息を呑む。
(あいつら、か)
思うと同時、動き出す。
下方に下げていた両腕を勢いよく振り上げ、胸ぐらを掴むムゲの両手を弾くように振り払う。そして、バランスを崩しよろめくムゲの肩を掴み、勢い良く投げ飛ばした。
「俺は村の異変を解決したいんです。だから、あなた達が知っていることは全て話して下さい」
突然の出来事に、ラーソとスズナは揃って口の閉め方を忘れていた。
投げ飛ばされたムゲは、口はおろか目も見開き白黒させている。
その間に、ザックは手を差しのべる。
すっかり大人しくなったムゲが、すまんと一言告げてくる。
「……俺達は、元々売れない楽団だったんだ」
協力的になったムゲは、一連の出来事を語り始めた。
クルトという者が突然現れ、ある楽曲を提供した事。
その楽曲を演奏した後、瞬く間に人気を博し、名を馳せるようになった事。
その後、村に異変が起き、自殺者が増え始めた事……
(クルト…… まさか協力を、いや)
クルトの名前に一瞬動揺するが、
「俺達も薄々気付いていたんだ。持ち込まれたあの曲が原因じゃないかってな。そんな時だ。シオンって奴がやって来たのは。それ以来、クルトの代わりに奴だけが来るようになった。しかもあの曲を毎日演奏しろって脅迫してきたんだよ」
話に出た〝シオン〟の名を聞き、冷静さを取り戻す。
「シオン…… やはりですか」
クルトは渋々従った、いや、従うざるを得なかったのだろう…… ザックは理解し呟いた。
壁に寄り掛かり、息をつく。と、その直後、ムゲが疑念の眼差しを向けているのに気がついた。
シオンを知っている風な口振りが、疑心暗鬼を誘ったようだ。
ザックは、「昔いがみ合った仲」とだけ告げ、口を閉ざした。
疑いを晴らすには、全て話した方が得策と言える。だが、ここはあえてムゲ達の決断に委ねる事にした。
「……わたしは信じる。この人達からはシオンのような歪んだオーラは感じないもの」
答えを始めに出したのはスズナだった。
伸びた右手が、同じく伸びるラーソの右手と重なる。
その腕は微かに震えていたが、表情は確かに笑んでいた。
「わかったよ。俺も信じるよ。でも、だめだ…… あいつは言ったんだ。逆らうようなことがあれば村の者の命はないって」
握手を求めて伸びるムゲの手が、途中で止まる。
脅迫されているのは明白…… しかし、ザックは怒りではなく〝安堵〟を覚える。
賊害は、古くから進化派が定めている違反行為。
それは今でも変わっていない事は、最近の進化派の動きで鑑みれた。
シオンには村中を蹂躙する事が出来ない。いや、出来てもただでは済まない。
今のミレマでの蛮行も、そうとう無理に隠しながら行っているとザックは踏んでいた。これ以上の蛮行は重ねられないだろう。
「シオンは本気じゃないですよ。脅迫はハッタリです。もし違っていたら、その時は、俺が責任を取ります」
ザックは出来る限り余裕な表情で言い切った。
それが見事、功を奏する。
明らかに渋々といった具合だったが、シオンが改めて握手を求めて来た。
震える手をしっかり掴む。
事件の概要も確実に掴んだ。
ザックはいよいよ物事の深淵に踏み入れ始める――
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