19―3
この日、マティスは荒れていた。
舌打ちがチャットルームの喧騒に消え、ざらついた舌触りが口内に残る。
まずいコーヒー…… 注文したのは失敗だったと、テーブルに肘を乗せ頭を抱えた。
「聞いたか、リリのあれ! ダークミラーっていったか、そろそろ正式に出回るらしいぞ」
先刻からひっきりなしに聞こえてくる周りの話し声も、下手に淹れたドリップコーヒー。雑味でしかなく。耳障りだった。
(丸一日か…… どこもかしこも、この話ばかりだ)
ため息をわざと付くが、やはり周囲の空気に掻き消される。
仕方なしに料金を払い、急ぎ足で場を抜ける。
行く場所はすでに決まっていた。肉体が戻るであろう明日駆たちの元だ。そろそろ戻る気配が、シンクロ・シティを通して感じる。
気まぐれの寄り道で気を害した分、進む足はいつになく速い。
視界が緑に飲まれていく。靴にも潰した緑が染み付いていく。
表情を整えつつも、その歩調は更に加速し、焦りにも似たリズムを生み出していく。
と、マティスは歩を止めた。
息を整え、佇む先には、ひときわ高い巨大な樹。
深く根を張るその雄大を、まっすぐ見上げ、歩み寄る。
「おっと、俺達はそっちじゃないぜ」
背後から、茶化すような声がした。
驚き、振り返った先には、見慣れた、けれども妙に懐かしい二人の姿があった。
「ふん、戻るのが遅いんじゃないか」
明日駆(あすく)、ネム…… 並び立つ二人を目にし、マティスは悪態付いてみせた。
と、明日駆の含み笑いが来る。そればかりかネムまでも、どこか笑いを噛み殺すような微妙な表情をしている。
「と、とりあえず…… 五体満足で戻ってこれた。アイテムロストはあったけど……」
平静を見せネムが言う。もっとも、その肩は少し震えていたが。
マティスはあえて無視し、話だけに集中することにした。
「アイテムロストか。何をなくした?」
アイテムロスト―― それは、肉体を失った魂が、肉体を作り上げ、再び活動を始める際の代償のことである。
魂が肉体を形付ける際、多大なフォトンエネルギーが必要になる。
そこで重要になるのが〝物質をフォトンエネルギーに変え魂に保存する〟ストレージタグ。
その性質上、あらかじめ魂に保存していた物質は肉体形成に多く使われるのだ。
だがもちろん、肉体を得た時、魂に保存していた物を数多く損失する事になる。
「明日駆は棍、わたしはパワーストーンを何個か無くした。いつぶりだろう、こういうの」
ネムは気まずそうに肩を落とす。そんな様子を見かね、無くした物の代わりだとマティスは〝復帰祝い〟を差し出した。
それはヤーニとの戦いの最中、明日駆とネムが落としていたマゼンタプレート。リリから貰っていた、使用回数付きのパワーグッズである。
「いざという時に使えるかもしれん。大事にしろ」
その時、頭上にそびえた巨木が、風に揺られ葉を落とす。
弧を描き、地に吸い寄せられる無数の葉。無意識に眺め、近寄る一枚をキャッチする。
「マティス。ありがとな。あの時お前が俺をやらなかったら、今頃あいつに……」
緑葉を見るマティスの耳に、明日駆の言葉が入り込む。
首を向けると、真剣な面様(おもよう)が。
マティスは、その様を鼻で笑った。そして、背を後ろに向け、歩き始める。
「背中で語るってやつか。まったく、今時だれもやらんぞ。そんな真似は。だいたいお前はいつも……」
今度は明日駆に笑われた。しかも減らず口も加わって。
止まらぬ騒々を止めてやろうと、マティスは足を止め、振り返る。
「でも、あの時と同じだな。そういえば、俺達の始まりはこの場所だった」
その時、懐古の風がふわりと吹いた。
「……下らん思い出話は止(よ)せ」
言っては見たが、心はすでにここにあらず。マティスは、古い記憶の光景へと吹き飛ばされていた――
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