16―3

『皆さん大変です、これを見て下さい!』


 クルトは今、口に含んだブルーローズティーを吹き出した。

 突然のテレパシー、緊迫したリリの声である。


『とりあえずこれを見てください』


 なにやらチャンネル思念で映像を作ったという。

 クルトは意識をシンクロ・シティに通わせ、映像と接触した。

 無造作に散らばった複数枚の思念写真の光景が広がる。

 ただの思念写真として見るならば、それら一枚一枚はバリエーション豊かな空を収めた美しいものと感じただろう。

 だがリリが示した写真達は、一目見て異常だと理解出来る代物だった。

 全ての写真の縁側が、球体状の光に覆わており、雅やかな風景を不気味なものに変えていたのである。


『じじの調べでは一〇〇〇枚中一〇枚ほどこのような写真になったそうです。これは、ディセンションが進んでいる証拠です』


 早い口調が、リリの焦りを物語る。

 アセンションの計画は、これまでワンダラーのアンチ、インディゴの確保、ディセンションの抑止で進行していたが、今回の流れで転換。ディセンションの抑止を第一にという旨に変わった。


『今からディセンションの影響を受けている人を探し当てます。そこでみなさんは直接そこへ行って対処をお願いします』


 リリのチャンネル思念、およびテレパシーはこれで終わった。

 ディセンションにより、魂が揺らいでいる者を世界中から探し当てる…… さすがのリリもこれには疲労と時間を必要とするらしい。次の指示は一時間後という事になった。


 目を開け、クルトは途方に暮れる。 

 ディセンションの影響を受けた者の対処。それはつまり、対象を〝殺める〟という事。

 経験がないわけではない。何度かそういう対象を消してきた。

 ディセンションの影響を受けているものは、消えても問題のない素行の者ばかり。一度も罪悪感を抱いたことはない。しかし、それは昔の事。レリクと出会い、家族が出来て、思想は変わった。拒否したい思いが、今は強い。

 強いのだが…… 今指令に背くわけには行かない。リリの謀殺、それを果たすためには、進化派に居なければならなかった。

 解ってはいるが、ままならない。右手に持ったカップがカタカタ揺れた。

 冷徹さが欲しい。

 考えた時、脳裏に普段嫌悪するシオンの姿が浮かび上がった。


(違う…… 俺はあいつとは、違う)


 何度も、自分に言い聞かせる。

 時計は、何度も分針を動かす。


『という事で。お願いしますね』


 時間が来た。

 リリから進化派各々に指示が来る。

 クルトが指定されたのは、ジランドに居る煽り師の排除。

 重い腰を、ゆっくり椅子から引き離す。

 タグ帳に掛かれたジョウントタグを宙になぞり、目的地へといざなう。

 飲みかけのブルーローズティーが、移動するクルトの姿を、冷たくなって見送った――







 ここはジランド髄一のチャットルーム。

 賑やかな声、軽やかな声、注文を交わす客の声。

 終わったら豪華な調理を注文しよう…… 自身の状況を室内の陽気に紛らわせ、決意を固める。


『あ、クルト、少し待ってくれますか?』


 意気込んだ矢先、リリからテレパシーが来た。

 なんでも、ジランドに対象がいるのは確かなのだが、どこにいるのか見失ったらしい。

 いまから再び絞り込みをするというが、やはり時間を費やすようだ。

 やり場のない焦燥感が来る。クルトは、気を紛らわせるべく立ち上がり、動き出す。


 入り口の戸が、ベルの音と共に開く。閉じた直後、また開く。

 再び閉じた時、クルトは自分の番だと扉に向かう。

 ドアノブを握り、ゆっくりと……


「うお!」


 ダン、と、ドアベルの音より強く扉が開かれた。

 反動でドアノブを握った手が勢いよく剥がされ、「肩が外れた」と本気で驚く。

 

「お、お嬢ちゃん、いきなり入って来ちゃ危ないぞ!」


 目の前には息咳切って涙を浮かべる少女の姿。

 怒りはしたが、そのただならぬ雰囲気に、クルトは何かあったのかと事情を聞いた。


「……あたしが見える? あなたも、あたしの声が聞こえるの?」


 少女は〝沙流〟と自分の名を名乗った後、ハッとしたように聞いてきた。

 質問の意味が解せぬまま、クルトは「当たり前だ」と笑い飛ばす。

 だが、ついに泣き出した沙流を前に、クルトはいよいよ親身になる事を決める。


 チャットルームを出、入り口の脇で話を聞いていく。


「なるほど。それは大変だね」


 沙流の境遇、インビジブルコラージュの事、それを直すために今父親が別のチャットルームでリロードをしている事。その最中、オーラが低下し危険な状況に立たされている事……

 全てを聞き、クルトは困惑した。


「それで、誰か助けになる人がいればと思って。知り合いがいるんだけど、どのチャットルームにいるか解らなくて…… だから人が一番多そうなこの店に……」


 助けになりたいが、方法が思い付かない。

 いや…… あった。一つ案が浮かび、クルトはポケットをまさぐった。

 取り出した物は、赤く輝く神秘の石〝レッドオニキス〟


「これには俺のオーラを込めてある。これを使えば君のオーラは増加する。増加分はきっとリロード中の両親にも伝わるはずだ」


 沙流の涙が、引いていくのが見える。代わりに満ちる、綻ぶえくぼ。

 赤い〝意思〟が今握られた。

 眩く輝く沙流を前に、クルトは「がんばれ」と叫ぶ。

 自分にも向けるように、何回も――







「ま、もう大丈夫だろう」 


 一人の男が大きく息を吐き言った。 

 チャットルームの隅の長椅子。そこには、横になり寝息をたてる沙流がいた。

 ここは、〝ホスピタル〟という、チャットルームには必ず用意されている思念空間へリンク出来る、特別な場所だった。

 ここからホスピタルにリンクタグで入れば、近くに待機している看護師がすぐに来るため、急患、肉体の弱いバイオレットが特に多く利用する。


 クルトは、疲労のためか倒れこんだ沙流をここまで運び、ホスピタル空間に入れていた。

 沙流が倒れたのは一時間前、そして、看護師から大丈夫だと言われたのは、ここに運んでから三〇分の事だった。


「この子、クリスタルなんだよな。それなのにこう眠るって、よほどのことがあったんだろうな」

 

 看護師も驚いていたが、ともあれ様態の安定に、ホッと胸を撫で下ろす。

 だが一番の安堵は、無事に沙流のリロードが完了した事に他ならない。

 沙流を心配そうに見守る周りの人々を見、そう思う。


 その後、クルトは引き続き看護師に沙流を任せ、チャットルームを抜けた。


『リリ、今から向かうけど、対象がどこに居るかもう一度言ってくれないか?』


 そして、決意する。

 対象を殺めず、説得する。リリにもそう言い聞かせ、とりあえずの許可も得た。

 足は向かう。この先どうなるか、まるで見えない闇の道を。

 だが、今の気分は清々しい。それは上に広がる青空のせいだけではなかった――

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