15「導明(どうめい)」

15―1

 クルトは勇んでカニールガーデンを訪れた。

 身に纏う燕尾服の、高価な香りを振り撒いて、迷うことなく廊下を進む。

 誰にも見つかることなくリリの部屋に行き着くと、小さく、それでも力を込めて扉を叩いた。

 それに反応し、閉じた扉が口を開ける。

 出迎えた光景は、一面真っ白な不可思議な世界だった。


「あら、クルトじゃない」


 白の中から、リリの声が聞こえた。

 途端、空虚な風景が徐々に色を持ち始め、物が生まれていき、見知ったリリの部屋へと変わっていく。

 外部の侵入が無いよう、この部屋は特殊なリンクタグにより隔離されていた。入る許可が無い者に、この部屋は何もない白い空間だと思わせる、一種の防衛システムだった。

 部屋にはシオンも居た。同じく燕尾服を着ているが、独特の芳香、なにより、服が妙に輝いている。ブリザードフラワーをウールの生地に練り込んだ、特別な、なによりも大切な日に用意する高品質な品である。

 だが、クルトはれに見向きもせず、リリに向かい一礼した。

 今日のリリは、やはり高品質な純白のドレスに身を包んでいた。クルトでさえも思わず目を奪われるほど美しい。


「あ、そうだ。これ、もう確認したから返します」


 そう言い、胸元から取り出された物は、ヒビの入ったレッドオキニス。ザックを倒した戦利品として先日クルトが渡していた物である。


「貴様、そろそろ時間だと言うのに、今までどこへ行っていた?」


 睨みを利かせ、シオンが話す。睨みには凄みを、とクルトも負けずに威を返す。


「これを探すのに手間取ってね」


 言いながら、人差し指でペーストタグを書く。身体から現れる、分厚い一冊の本厚い本。

 シオンの表情がこの時硬直したのを、クルトはニヤリと覗き見た。


「これには、じいさんの曲を利用した実験の経緯が書いてある。書いたのはシオンだ」


 リリに本を渡そうとした時、止めさせようとシオンが迫る。だが、リリの「静かに」といわんばかりの眼光が、その勢いを静止させた。


「……これは確かにやりすぎね」


 リリは資料を机に置くと、押し黙っていたシオンの頭を小さく叩く。


 過激だと言われる進化派にもルールはある。 インディゴ(荒らし)確保の件では、生きた者をインディゴに変化させるような方法はリリが好まなかった。

 そしてなにより、リリはシオンが行っていた拷問めいた行為に、なによりも嫌悪を示していた。


「この曲は元々インディゴを引き込むためだけのものだった。だが、シオンはそれを改良して人の魂をインディゴにする曲へと変えたんだ」


 シオンは完全に沈黙していた。怒りよりも、焦りを多く含んだ表情に、たしかな手応えをクルト

は感じる。


『貴様、家族がどうなってもいいのか?』


 目を開いたまま、シオンがテレパシーで接触してきた。いまだに威勢のないシオンに、一層強くクルトは返す。


『そんなことをしたら、お前の立場がもっと悪くなることくらい解るだろう?』


 テレパシーによる接触は、プツリと消えた。


「これじゃ計画は破綻かな? あ、〝ママンさん〟に引き継いで貰う事にしましょう。彼女なら正しいやり方でうまくやるでしょう」


 悩む素振りから一転、陽気に一度手を叩き、リリは悩み明け。元気に案を口にする。

 クルトは黙ってうなずいた。計画を完全に止めることは出来なかったが、それでも及第点だと胸を撫で下ろす。


「あ、シオン。今日はとりあえずここで反省しててね。でも大丈夫。おみやげは持ってきますから」


 リリはそう告げると、ジョウントタグ(町のチャットルームに瞬時に移動出来るタグ)で部屋から消えた。


 静寂が来る。強い敵意が騒がしく肌を刺す。

 拳を握り立ち尽くす、シオン。薄暗い闇を宿したその瞳を見た後、クルトはリリと同じく部屋を後にした――








 今日は、リリがワンダラーとしてこの世界に降りた日。

 その祝いがこれから始まる訳だが、クルトが参加するのは今日が初めてだった。

 ジョウントタグで移動した先は、ヴァースの外れにある小さなチャットルーム。だが、ここは宴の場所ではない。歩いて一〇分程度の先にある一軒家。そこが宴の場所だった。


「お、なんだこの美人さんは」

「その格好といい、あんた達これから結婚式かい?」


 チャットルームの者達は、皆リリの容姿に見惚れているようだった。

 店を出る時、クルトは苦笑いで流したが、リリはにこやかに対応し、握手さえも始め出す。

 外に出た後も、ハイヒールにも関わらず器用にスキップし、明るい様を見せていた。

 だが、普段外出を嫌がるリリが、祝いとはいえ躊躇い無く街を歩くことに、クルトは強い疑問を覚える。


「外に出るのも辛いですが、引きこもるのも辛いのです。だから、会場はあえて遠くにして貰いました。」


 心を見透かしたか、リリは急に振り返り話しだした。無邪気に、少女のようにはつらつと。

 胸を脈打たせ、しばらく歩く。

 青い屋根が遠くに見えた。やがて、その小さな一軒家に到着する。こここそが祝いの場所だった。

 真新しい檜の薫りは、この家が最近建てられたものだと物語る。

 中に入り、香りを満喫。だがそれとは違う、食欲をそそる匂いが鼻に広がった。

 狭いと思われた室内も、思いの外広かった。おしゃれに飾られた小道具や、果物を絞った飲み物、甘い紅茶といった飲み物の他、少量を基本とする今の世界では珍しい、食べきれないほどの料理がテーブルに並べられていた。

 だが、それよりも、建物が木造であることが重要だった。ビルといった人工物が多いヴァースに居ながらも、どこか自然の中に身を置くような感覚が来るのである。

 と、クルトはここに来て気づく。肝心の招待客が見られない事を。

 リリも気にしてか、ずいぶんおとなしくなり、不安げに眉尻を下げる。


「おめでとう、リリ!」


 突然の一声だった。

 テーブルクロスで隠された机の下から、脅かすように勢い良くヤーニが現れたのだ。さらにそこから、音吏(おんり)とクレロワも姿を現し、途端に拍手喝采が鳴り響く。


「偉大なワンダラー、リリ。今日はあなたの記念すべき日。私が誠心誠意お祝いさせて頂きます」


 クレロワの祝辞がやって来た。胸に手をかざし、一礼するクレロワに、リリは拍手を返した。

 三人が隠れていたテーブルには〝味噌汁〟〝豆腐〟〝ケーキ〟といった見慣れぬものが置かれていた。

 それら料理は、今は廃れたものだったが、今日特別にクレロワが再現したらしい。

 リリは一人一人の手を握り、礼をして回る。その後、用意された席にゆっくりと着座。

 クルトは隣に座り、動向を伺う。

 懐かしそうに料理を食し始めたリリに、再び胸を動かす事になるのであった――

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