第9話・決意

 エーディは私を牢の寝台に横たえた。


「じゃあ……行くから」


 銀の瞳は私の姿を焼き付けようとでもしているかのように私を凝視する……ほんの数瞬。決意、焦り……色々な感情がないまぜになっている様子に私は、


「必ず帰って来てね。もしもセシリアさまの説得がうまくいかなくても、絶対、帰って来て」


 と声をかける。もっと言いたい事がいっぱいある筈なのに、うまく言葉が見つからない。


「ああ、約束する。必ずまた会おう」


 そう言うと、エーディはマントを翻して出て行ってしまった。




「すみません。ご不快でしょうが、これを身体に巻き付けて下さい。そしてお着替えを」


 ぼうっとしている私に、もう一人残された人物が声をかけてきた。グレン・バートン。朗らかそうな黒髪の青年。エーディの従者として子どもの頃から常にエーディといたので、私にとっても幼馴染と言えた。最近は殆ど接点もなかったけれども、エーディが『彼は信頼していい』と言っていたので、私の知っている昔通りの彼なのだろう。

 彼は、白い囚人服と、大きな赤い染みがついた白い布を手渡してきた。


「これを身体に巻いて、俯せでお休みになっていれば、傍目からは背に大怪我をされて気を失っているように見えるかと思います」

「……あなたは、何を知っているの。何故こんなものが用意されているの? エーディの計らいなの……よね?」


 エーディがここに私を連れて来て出て行くまで、二人の間には殆ど会話はなかった。ただ、『頼んだぞ』『お気をつけて』とだけ。なのに、何故グレンは何もかも承知している様子なのだろうか。

 解せない様子でいる私に、グレンは子どもの頃とあまり変わらない笑顔を見せ、


「まあまあ、とにかく着替えですよ。立って話しているところを誰かに見られちゃまずい」


 と言って部屋を出て戸を閉めた。納得できない気分のまま、とりあえず急いで破れたドレスを脱ぎ捨て、言われた通りにする。ぼろ布のようになってしまったお気に入りのドレス。アルベルトさまが贈って下さった……あの時の優しいお顔と、今日の鬼のようなお顔が同時に思い浮かんで、私はまた泣きたくなったけれど、我慢して、寝台にうつ伏せて粗末なかけ布を被った。囚人服はごわごわして感触が悪かった。


「もうよろしいですか、マーリアさま」

「いいわ」


 小さな呼びかけに答えると、そっと戸を開けて再びグレンが姿を現す。彼は慎重に戸をしっかりと閉めて、


「失礼します」


 と言って、寝台の側の丸椅子に腰を下ろす。


「一応、見張り役の名目なもので」

「解っているわ。それより、さっきの質問に答えて頂戴」

「ああ、その布ですか。そうですよ、エールディヒ殿下に用意しておくよう言われていたんですよ」

「……どういうこと?」

「つまり、最初から殿下は貴女さまを信じておられたんです」

「……わたくしの言葉で、無実を確信したと言ったわ」

「殿下も色々お悩みだったんですよ」


 地なのかわざとなのか、こんな切迫した状況なのに、彼は明るい口調でものを言う。


「勿論、貴女さまの無実を確信したいというお気持ちが一番だったでしょう。見てなかったけど、なかなか迫真だったんじゃないですか?」

「怖かったわ。わたくしを助けに来てくれたかと思ったのに、自分が拷問役を引き受けたいと言い出して……また絶望に追いやられた。でも、かれはそんな演技をせざるを得ない自分を無力と言って、わたくしを怯えさせた事をわざわざ詫びてくれた……」

「そりゃあそうでしょう。だって、長年好きだった方を……っと!」


 グレンは慌てて自分の口を塞ぐ。


「好き?」


 きょとんとする私に彼は、


「いやいやいや! 何でもないですほんとに、今のは忘れて下さい!」


 と挙動不審な様子で言ってくる。


「だってわたくしは、アルベルトさまの婚約者……だった、のよ」

「……いやいや、これ以上は私の口からは言えないです、ご容赦を。ただ、私はずっと殿下のお傍にいたんですから、殿下のお考えになる事なんて大抵判ります。この際だから申し上げておきますが、殿下は、神託の話をお聞きになってからずっと、国家と貴女さまとの間で板挟みになり、葛藤しておられたに違いありません」


 とグレンは断言した。


「そもそも、考えてみて下さい。リオンクールの民は皆、物心つくより先に、女神が、巫女姫が、そして巫女姫がもたらす神託が何より大事と教え込まれて育ったんですよ? 貴女さまだってそうでしょう? 巫女姫の神託を疑う事は女神に背く事と同義、異を唱えれば即邪神につけ込まれ、魂を奪われる、と。そして王家の方々は、率先してその規律を守る姿を民に見せねばならないと叩き込まれています。なのに、陛下が拷問を命じられた後、私に『拷問で無理に懺悔させるなど、なんの説得力もない。いくら巫女姫の提言でも……。あとでいくら叱責を受けようと身分を剥奪されようと構わん、兄上をお止めせねば』と仰って、汚れ役を引き受けられたのですよ。そして後のこの偽装の準備を私に申し付けられた、という経緯です」


 ……そうだ、そう言われてみれば。私は私の無実を知っているからこそ、神託が間違っている、と思う事が出来る。でも、これが他人の事だったら? どれだけ善人だと信じていた相手でも、女神が仰るならそうなんだ、なんて残念なこと……としか思わなかったかも。


「私だって本当は少し怖いんです。貴女さまをお助けする側につくこと。だけど、殿下が信じたなら私も信じますよ」


 グレンは言う。二人の絆は相当固いのだろう。その言葉は有難い……のだけど。私の意識は、彼の台詞の中の一言を拾い上げた。


『いくら巫女姫の提言でも』


 ユーリッカが私を拷問するように陛下に提言した。エーディが聞いてきた事なら、間違いはないのだろう。やはり話し合う余地もなく、ユーリッカは私の『敵』なのだ。

 今のユーリッカは、もう私の知っていたユーリッカではない……。巫女姫譲位の時、あの子の緑のひとみがいかに純粋に輝いていたか、私ははっきりと覚えている。だけど……最近の彼女にはそれがなくなっていたと、私は今更に気づいた。

 常識ではあり得ない事だけれど……ユーリッカは歪んでしまった、と思うしかない……。彼女と闘わなければ、私の生きる道はない……。

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