亡き両親への愛情

  ワシントン州 ハリソン教授の自宅 二〇一四年六月一日 午後一一時一〇分

 ハリソン夫妻からの話が終わり一段落着いたかに見えたが、ここで香澄が二人に話を持ちかける。彼らは話を進めたが、香澄たちには今一つ話の内容がつかめなかった模様。

 そこで“詳細を知るためにも、もう少し詳しく事情を説明してください“とお願いする。ハリソン夫妻は“話が少し長くなるかもしれないけど、それでも良いかな?”と香澄たちへ確認した。香澄たちも今夜は眠れそうになかったので、“はい、問題ありません”とだけ伝える。するとハリソン夫妻も彼女たちの提案を快く承諾し、以下の内容について詳細を説明してくれた。


一 トーマスのご両親(リースとソフィー)について

二 トーマスが過去の記憶を思い出そうとしたきっかけとは?

三 トーマスとラッコのキーホルダーの関係とは一体何なのか?


「……分かったよ。少し長くなるかもしれないけど、出来るだけ手短に話すから」

 そう言ってハリソン夫妻は、手元に用意されているミネラルウォーターを口に含む。そして意を決した二人は、乾いた喉からゆっくりと真実の言葉を発していく……

「まず一つめの問いかけに関する答えよ。トムが過去の記憶を思い出そうとしたことについてだけど……私たちが思っている以上に、あの子のが強かったのだと思うわ」

「あの子の両親というと――のことですね?」

香澄は反復するかのように質問に返し、フローラは彼女の言葉を返しながら話を進める。

「えぇ。トムの母ソフィーは私の自慢の後輩で、とても優しい女性だったわ。ソフィーはシアトルの一流企業に勤めていて、そこで通訳をしていたの。彼女はでもあり、自分の仕事に誇りを持っていたわ。私も大学時代よくお世話になった後輩だから……今回のことは本当に残念だわ」

 まるで数日前のことのように鮮明に覚えていると話したフローラだが、マーガレットは香澄に“ねぇ、香澄。マルチリンガルって一体何?”と耳元でそっと質問する。

のことを、世間一般に『マルチリンガル』と呼ぶのよ。……お願いだから、メグ。今は話の腰を折らないで」

 だがフローラからソフィーがマルチリンガルだったことを知り、“自分たちが出会った時に当時九歳だったアメリカ育ちのトーマスが、なぜ日本語をはじめ日本文化に詳しいのか”という疑問がここで解決した。

 

 そして香澄たちが気になっているリースの過去については、ケビンがゆっくりと語りはじめる。

「トムの父リースについては、僕から話すよ。リースはシアトル……いや、アメリカ全土でも有数の弁護士でね。以前僕の大学で今話題の現役弁護士という形で、特別講師として講義に招いたことがあるんだよ。そのことがきっかけで彼と交流が始まり、そこでトムとも知り合った。……リースが亡くなる一年くらい前の話だから、約四年くらい前かな?」


 ワシントン大学の特別講師として、以前有名な弁護士を招いたことがあると聞いたジェニファーは自分が知っていることを話す。

「私もそのお話なら聞いたことがあります。確か有名な弁護士が特別講師になるってことで、ワシントン州の新聞やニュースでも特集していました」

「うん、そうだよ。よく覚えているね、ジェニー。……今思えば、あの頃がリースとソフィーにとって、まさにだったな。仕事も順調でトムという一人息子がいる、まさに理想の夫婦・家族という感じだったよ」

そう語るケビンの声もどこか暗く、表情のようにどこか覇気がない。

 

 あの時がまさに幸せの絶頂だったと話すと同時に、フローラは“ある不幸な事故によって、彼らの幸せな日常がすべて壊れてしまった”ことを語る。

「だけど四年前、いえ……正確には三年くらい前の冬かしら? 彼らは冬休みを利用して、国内を旅行していたの。だけど二人は不慮の交通事故で帰らぬ人になってしまった。しかもソフィーたちが事故を起こしてしまったのが、だったの。……それによってトムの生活はすべて変わってしまい、その時のことは今でもはっきりと覚えているわ。そこで病院の先生に事情を説明されて、私と主人は“どん底にいるトムの力になりたい”と思ったの。表向きは養子として向かい入れたのだけど、子宝に恵まれなかった私たちにとって……あの子を実の息子のように可愛がったわ」

 時折涙を浮かべながら話すフローラを見て、香澄たちは“これ以上話さなくて良いです”と二人の悲痛な体験に心を痛めてしまう。


 テーブルに置いてあるミネラルウォーターを少し飲んで、彼らは少し休憩を挟む。そしてハリソン夫妻は香澄たちが気になっている“トムが何故三年前の記憶を、突然思い出そうとしているの?”という質問について、こう語り始める……

「実は僕たちも、はっきりとした理由は分からないんだ。だからあくまでも仮説として聞いて欲しんだけど……さっきも少し話したけど、トムのリースとソフィーへの想いが強かったことが一番の原因だと僕は考えているんだ」

「確かに子供が亡くなった親を懐かしむのは、当然だと思いますが……でもそんなトムの力になるために、ケビンとフローラはあの子を養子にしたのでは?」

 若干責めるような言い方をするマーガレットだが、ケビンは“自分たちの育て方とリースたちのトムへの愛情の注ぎ方が、どこか異なっていたかもしれない……”と、時折顔を両手でおおいながら語るだけだった。

「今になって思い出したことだけど……僕らとリースたちのトムへの愛情の注ぎ方や育て方が、どこか違ったかもしれないんだ。リースの妻ソフィーは土日休みで、休日はトムと一緒に過ごすことが多かった。だけど僕らは大学が休みの土日や祝日も仕事が多かったから、それが原因でトムに寂しい想いをさせてしまったのかもしれないな」

「で、でもそれは……あなたたちのお仕事が忙しいという正式な理由なので、お二人は何も悪くないと思います」

「……ありがとう、ジェニー。でも私たちは“仕事だから仕方がない”と思っていても、それがトムにとって納得出来なかったのではないかしら? 私たちと過ごす日々とソフィーたちと過ごした日常を天秤にかけて、それが少しずつ両親の面影を追うようになっていく……。そしてそれがきっかけとなり、あの子の記憶を呼び覚まそうとしているのかもしれないわ」

 お礼を言いつつも、“自分たちの子どもへの愛情の注ぎ方が、どこか間違っていたのでは?”と軽い自暴自棄じぼうじきになってしまうフローラだった。

 

 今回のいきさつについて説明した後、“そんなトムの寂しい気持ちを少しでも緩和させるために、カスミたちに今回の一件を依頼したんだよ”とケビンは語る。自分たちと同じように暗い表情を見せる香澄たちを見て、ハリソン夫妻は“君たちは何も気にすることはないよ”と優しくフォローした。


 本当は“これ以上二人に話をさせたくない”と思いつつも、香澄は力を振り絞って最後の質問をする。だがハリソン夫妻自身も、“その疑問については、僕らも真相は分からない”と語るだけ。よってこの一件についても、自分たちの仮説であることを進言した上で話を進めていく……

「その点についても僕らも断定は出来ないけれど……多分トムがソフィーたちと家族旅行へ行った際に、記念品やおみやげとして購入したのよ。多分行き先は……だと思うわ」

行き先はシアトル水族館であろうと仮説をして、さらに話を進めていく。

「他にも色々と旅行に行ったのだと思うけど、トムはシアトル水族館での思い出が特に強かった。だからトムがラッコのキーホルダーを手にした時、それが何かのきっかけとなり、心の奥に押し込めていた記憶が突然掘り起こされたのではないかしら?」

 臨床心理士らしく的確にトーマスの心理状態を説明していく。香澄はハリソン夫妻の説明を聞く一方で、自分の知識を踏まえて彼らの説明に解釈を加える。


 ハリソン夫妻からトーマスの具体的な悲しすぎる過去を知り、口をつぐんでしまうマーガレットとジェニファー。その気持ちは香澄も同じだが、話の突破口をつかもうとフローラなりに話の切り口を探す。

「二人の話を少し整理すると……トムは《ぎゃっこうけんぼう》の可能性がありますね。フローラ、ケビン。トムが入院していた時の記憶も、さだかではないんですか?」

「えぇ。あの子から聞いた話では、自分が何故病院にいたのかはっきりと覚えていないと思うわ。それと病院の先生から聞いた話によると……入院時のトムは“軽度の味覚障害を発症していた”と言っていたわ」

「なるほど、逆行健忘からの味覚障害……可能性は十分にありますね」

「ただ病院の先生では、“このまま記憶を取り戻すと、トムの心や精神が崩壊する可能性がある”と私たちに教えてくれた。だからリースたちと交流があった僕らが率先して、トムを養子として向かい入れる。そしてトムがもう少し大きくなってから、事の真相について伝えるつもりだったんだけど……ね」

「そうだったんですね。……お二人のお気持ち、お察しします」

ハリソン夫妻と香澄は時折医学用語を踏まえながら、トーマスの健康状態について議論を始める。


 一方横で聞いていたマーガレットは三人が専門用語で話を進めているため、話の内容がまったく理解出来ない。そこで再度香澄へ、“三人は一体何のことを話しているの? 私にも分かるように説明して”と伝えようとするが、

「……今は三人に議論させておきましょう。後で私や香澄がマギーに分かりやすく説明するから……ねっ?」

「う、うん……分かったわ」

ジェニファーに呼び止められてしまう。

 その後も三人はしばらく議論を続けており、トーマスの心理や健康状態についてお互いの意見を交換する。

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