教育実習と心のケア
ワシントン州 ワシントン大学 二〇一二年五月一九日 午後三時一五分
ケビンは香澄が子供の時からの知り合いで、彼女の両親とは彼が来日している時に交流を深める。親日家でもある彼は、香澄のように“日本から留学してくる子供や生徒たちの力になりたい”と思い、積極的に支援を行っている。
また香澄がアメリカへ留学した際も、香澄の両親からケビンに世話を頼まれたことも関係している。そこで彼はいち早くアメリカに馴染んでもらおうと、教員時代から付き合いのある、ローズ家を紹介した。ちょうど同じ年頃のマーガレットという少女がいたので、ルームメイトとしてカスミと一緒に暮らすことを提案した人物こそ、何を隠そうこのケビン。
「それでケビン。私にお願いしたいことがあるって聞いたのですけど……」
「あぁ、つい前置きが長くなってしまったね。ごめんね」
軽く苦笑いを浮かべつつも、ケビンは話の本題に入る。
「実はカスミが受ける予定の、三年生の教育実習についての話があってね」
「でも成績表を見た限りでは、特に呼び出される理由はないと思いますが」
「いやいや。さっきも言ったけど、カスミの成績については学内でもトップクラスだから、そういった意味で声をかけたわけじゃないんだよ――僕からカスミへ、個人的にお願いしたいことがあるんだ」
一呼吸整えた後で、内容の本題に入るケビン。だが先ほどの陽気な表情とはうって変わり、どこかしら陰気で重苦しい雰囲気が感じられる。
「――今僕の家で、ある問題を抱えた知人の少年が居候していてね。ほら、フローラは臨床心理士として働いていることはカスミも知っているよね? だからカウンセリングもかねて、その子の面倒を見ているんだ」
“いきなり重い話題ね”と思いつつも、口を挟まずにケビンの話を聞くことにした。
「要点だけ先に伝えるね――来月から僕の家に泊まって、教育実習の一環としてその子の面倒を見てくれないかな? あぁ、もちろん出来る範囲内でいいからね」
「……えっ? その子の面倒を私が!?」
すでに香澄はワシントン大学の事務局へ教育実習届けを提出しており、思わず困惑してしまう。だが同時に重い空気が漂っていることから、何やら訳ありのようだ。
「最初は私とフローラの二人で、少年の面倒を見る予定だったんだけどね。でもちょうどそこへ“カスミの教育実習が近い”ってフローラから聞いたんだ――詳しいことはこれに書いてあるから、まずは目を通してくれるかい?」
ケビンは用意していた二枚目の資料を渡すと、香澄は言われるがまま内容に目を通す。
『今回依頼したい教育実習について』
一 依頼者の名前はトーマス・サンフィールド。九歳の男の子で、うつ病を患っている少年。発症理由は、今から半年ほど前に両親を亡くしたことが原因。そのためトーマスは心に深い傷を残してしまい、ある事情により今はハリソン夫妻の養子となっている。若干塞ぎこむこともあるが、平日はきちんと学校に通っている。
二 教育実習期間は最長で大学卒業まで。具体的な教育実習期間は特に決めていないが、最終的に少年が心身ともに元気になり、以前のように日常生活を楽しんでもらうことが目的。この一件を引き受ける場合には、ハリソン夫妻の家に宿泊先を移すことが条件。また教育実習の単位取得については、この一件を引き受けるだけで良いと判断する。
三 この案件を引き受けてくれる場合には、少額ながら毎月謝礼(お小遣い)を渡す予定。ただしケビン・フローラ両名の名誉にかかわることなので、教育実習内容について他言しない。なお教育実習以外の通常科目などは、これまで通り普通に受講出来る。
四 通常なら心のケアを行って知り得た情報については、第三者へ情報開示してはならないという守秘義務が発生する。だがトーマスの両親は他界・少年の保護者と依頼者がハリソン夫妻という事情がある。
よって今回はこの特別事項に当てはまると判断し、心のケアを行う中で得た情報はハリソン夫妻と共有する。
ケビンが作成された資料に一通り目を通し、依頼者の名前や症状をはじめ、教育実習期間などを確認する。たしかに学校の成績は優秀だが、香澄には兄弟や姉妹がいない。そのため子供の面倒を見るという経験がなく、顔つきにもどこかしら陰が残っている。
「学校の教育実習欄には、一切載っていなかったですけど……非公開の案件と認識してよいですか?」
「うん、そうだよ。もし引き受けてくれるなら、僕の方でカスミの教育実習について手続きを進めておくから」
「ちなみにフローラは今回の一件について、どう考えていますか?」
その問いかけに対する返答として、“この一件は僕と妻のフローラの一存で考えたことだよ”と説明する。これまでの香澄の成績や性格などを考慮して、彼女なら任せられると判断したようだ。
確かに授業の中でもフローラは、“百回の講義よりも、一回の実体験の方が役立つ”と話していた。『百聞は一見にしかず』ということわざの意味を、彼女なりに説明したかったのだろう。
「立て続けの質問ですが、今回の件ってメグは知っているんですか?」
「そう思うのは無理もないよね。……実は今回の一件はカスミだけでなく、メグにも協力して欲しいと僕らは思っているんだよ。ただメグは心理学科を専攻していないし、お芝居の練習やアルバイトで忙しいと思うから、納得してくれるかは正直なところ僕も分からないけどね」
幼いころからの知り合いでもあるケビンから依頼された、今回の教育実習。“自分に出来るかしら?”と両手を組み、一人頭を抱えている香澄。その姿を見たケビンは、香澄が飲み干した紅茶のおかわりを淹れる。
「さっき資料を見て思ったんですけど、ケビン。このトーマスという少年は――アメリカでも有数のお金持ちとして知られている弁護士、リース・サンフィールドのご子息ですか?」
香澄がそう指摘すると、“そうだよ、カスミ。良く知っているね”とケビンは頷く。
「ご両親が亡くなった後、トムの心は壊れかけてしまってね。……でも九歳の男の子が突然自分の両親を失ったのだから、無理もないけど」
その後もケビンは香澄へ、トーマスの詳しい症状やいきさつなどを話し続ける。
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