連作回文集「毛唐と砂糖と外道」

作者

偶発的に生まれるパワーワードからイメージの連鎖へ

  • ★★ Very Good!!

回文であるという縛りはときに予期せぬ単語の結びつきを生み出す。
偶発性を意図的に作り出すのが回文ということができるかもしれない。

スリーコードのジャムセッションではループする展開で使える音がある程度絞られるため、スケールをなぞり音を上下させるだけの単調さに陥ってしまったりする。
そうなると聞いているほうだけでなく演奏している側も飽いてきて、奏者の誰かが遊びを挟んで来るものだ。
ベースが刻んでいたビートに捻りを加えれば、ギターのリズムもそれに引っ張られる形になるし、ギターがコードに音を足せばベースラインもそれをなぞって変化する。
お互いが影響しあい化学反応を引き起こすのがジャムだ。
それは奏者によって完全にコントロールされているものではなく、偶発性を孕んでいる。

ジャムセッションにおいて、奏者の掛け合いが偶発性が生じるように回文においてはそのルールが偶発性を作り出す。
後ろから読んでも前から読んでも同じになる、そのルールに則ることで奇妙な単語の結びつきが出来上がるのだ。

偶然に生まれたものであるからそこに作者の意図や手は介在しない。
ならば、回文には作家性は現れないのかといえばそんなことはない。

たとえば、友人間の会話から言葉遊びを不意に思いつくのを想像して欲しい。
当然ながら、その語彙は作り手の内側から出たものだ。
どれほど偶発性を孕んでいようと作り手のなかにない言葉は引き出されないし、そこには偏りができる。
いうなればそれは、ジャムセッションにおける手癖のようなもの。
回文において、どこで区切るか、どんな単語を選択するかに作者の癖は出る。

というのが普通の回文だ。
しかし、この回文集は少し勝手が違う。
偶発性によって生まれた奇妙な単語の結びつきは、シリーズ化、あるいは解説によってシチュエーションを加味することで言葉の連なりとしての奇妙な味わいをイメージの連鎖へと置換しているのだ。

切れ切れの単語の連なりも、会話の断片や詩というシチュエーションによりさらに意味深となり、その奇妙さがより際立っている。
ときには、解読が困難なものとして断絶をもネタとしとしてみたりと作者は奔放に言葉と戯れている。

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