人称について、基本的考え方
こちらのエッセイ(といっていいのかどうか)を読んで思うところあっての追加記事です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886872419
『小説『IDOLIZE』の文章表現への批判と作者からの反駁』板野かも氏
氏の意見に全面的に賛同するわけじゃないんだけど、おおむね言いがかりレベルの批判を受けていらっしゃったようなんで、それに対して同情しつつ、ちょっと世間の認識に危機感を抱いてしまったんで、ここでも言及したいと思います。
(ちょっと反発を感じたという読者さんは、それは恐らく氏の判定がちょっと贔屓目あるかのように感じ取れる箇所が散見される、という部分からです。けど捕捉に当たる感想レスも読めば概ね公平なのは解かります、たぶん言及されてない下地部分でプラマイ発生してるせいかと。バックボーン知ってる内輪の人々と、正体も知れない某ちゃんねるの人々とじゃ、掛かるバイアスが変わるって話で。)
えー、小説というのは「散文」という定義です。これは、ようは水泳競技自由形という感じで、「なんでもアリ」という意味です。ざっくり言えば。これ基本ね。
つまり、小説というもんにはそもそもでカッチリとした定義はないの!!
定義がない、つまり、ルールもマニュアルも本来は存在しないのですよ。ココ、大事なんで、本当に大事なんで肝に銘じて覚えてください。大混乱するよ。
でも、世の中には書き方教本とか教室とか花盛りですよね、あれはどう捉えたらいいんだという疑問が沸くと思います。
ルールもマニュアルもないんですが、読み手というのは居ますわけで、いわばその読み手に対する配慮ということなんですな、なので
読者層への傾向と対策なんです、小説におけるセオリーだのルールだのは。
絵画にしたって派閥ってのあるでしょう? 前衛派だの浪漫派だの。アレです。平たく言っちゃうと。なので、ラノベだったらラノベ派というべきで、そのひと塊な嗜好グループがあるって話だと思ってください。これが書き手にも読み手にもあります。その派閥間においてのセオリーとか暫定ルールの話でしかないのです。
狩野派とか言ったら、絵画の目が肥えたヒトタチは「うん、これはまさしく狩野派の筆だねぇ、このタッチが特徴でうんたらかんたら、」とやりだすわけですわ。
で、狩野派びいきなクラスタってのが、この絵を、狩野派の特徴において優れているならば狩野派として高評価を与えるって話なんです。そんで気に入ったら買ってくれる、と。
まったく新しい斬新なモノが出てくるっていうのは、だから、どの派閥にも属していないとか、派閥色が特殊なカタチで出ているだとか、従来の派閥に属さないという意味になるわけです。本来ね。
マニュアルとか、正しい書き方とか、ないから!!!!!!!!
その中で、一人称というのは「私小説」という派閥でかなりキッチリしたセオリーが定まってたりするんですが、三人称はそういう派閥と言えるまで整理整頓されてはないし、だから表面上は「なんでもあり」に見えるんです。これを、一人称(私小説)と同じ感覚で考えてしまうと、かつての私のよーに頭から煙吐きます。
で、この私小説だの一人称にしたって、厳密に定まったルールなんてのはないんです。教室なんかで教わるのは「多数派に受け入れられる書き方の、平均的なトコ」というだけです。なんせ読み手がいる商売ですんで、相手に合わせなきゃいかん部分があって、ソレを言ってるに過ぎないんです。
正しい書き方とかじゃねーんだ、読者なてめーらがこう書かなきゃ読みづらいだのへったくれだの言いやがるから、多少は妥協しろや、書き手なてめーら、てな感じのことを教えてくれてるだけなのよ。
理解できる、読める、面白いと感じる、読者サイドのこんなモンは本来、作者にゃ関係ありませんからして、文句があるなら自分で書けやー!てのも乱暴ながら真理ですわ。そんで、読者サイドでいう、面白いが正義、てのもね。だけど、面白いってのは作者がそう思ってたら、読者なんざ知らん、てことで初めから平行線なのは解かっててクダサイ。(読者が出来るのは相対評価だけなのよ)
読者におもねる書き方をした作品が良い作品ってのは、作品にとっては完全に部外者、赤の他人、無関係にすぎない読者の立場からの評価なので、これほど無価値なモンはないです。ええ。そういう立場が明確なのが、純文ですけどもー。
純文でよく論争に挙がるのが、この問題なのも奇遇といえば奇遇ですな。
読者という存在は、作品の完成度を上げるという観点から見れば、純粋に邪魔者です。件のエッセイで対立している両陣営、どっちが正しいっていうのはないんです、平行宇宙の別の世界が一つの作者を介してたまたま重なってるだけです。
一人ひとりが別の宇宙の別の法則や価値観で物事判断してますんで、それが完全に一致するわけがねぇんだよ、そもそもで!て、ことです。
小説は散文でありルールもセオリーもない、読者など関係ない、ならば一体誰がこれを客観的に評価できるのか?という疑問が生まれることでしょう。
厳密には、芸術全般について言えますが、評価というのは流動性の人気バロメーターでしかないです。評論ってのがありますが、あれだって厳密にいえば、二次創作物です。評論という名の学術論文、一つの研究成果物、研究者の主観による創作物です。原版を引用して書かれている一つの独立した作品です。
学校じゃ、おそらく大学なんかであっても、専門性にとことん突っ込んだトコでもない限りはこういうループした概念的な存在に、カッチリと切りこんで説明などしないと思います。風が吹けば桶屋が理論の典型ですんで。(世の中には、説明するほど矛盾していき、理解度が100%に近付かないと”矛盾してなどいない”と解からないという、実は全部が見事に嵌まり込んでいるパズルのような事象っての、沢山あるんです。そのうちの一つです。)
そして、賞だとかコンテストとか、こういうのは「縛り」ということになります。ゲームでいう「武器縛り」とか「裸祭り」とかです、本来は基準などないようなところに持ってきて、その賞限り、コンテスト限定での、暫定ルールが設けられているってことで、誤解されてますけども、これってお題だのジャンルだけの話じゃないんですよ。
書き方、人称、はては本来ナンデモアリのはずの人称の細かい縛りに関してまで、主催側の注文に応えて書けって話なんです。(だから私がメフィスト送った作品では、あーでもないこーでもない、て悩んでたんだよ! 編集部は何が欲しいんだ、て!)
出来不出来っていうよりも、相手の求める注文にいかに近付けられているか、て話であって、そもそもでココ、編集者さんたち、ほんとに解かってんの!?て言いたい!(売れるモンが欲しいんなら、青田買い以外の戦略も練ってくれ、注文出す側なんだから!)
作品のジャンルや傾向など、細かく、自分らが求めるモンをちゃんと書いてくれるようになったのつい最近のことじゃないかと思うのです。募集要項の肝心なトコですよ。読者層によってルールは変わるんですから、当然のはずです!
余談ですがメフィスト賞は、ほんとうの、ほんとうに、「完全フリースタイル」で、何を送っても大丈夫だということが証明されました。最近はラノベやミステリに偏ってんのかと思ってたけど、誤解でしたねー。面白けりゃOK、ての事実みたいスよ。(読者層が望んでるかどーかは別として。)
ま、面白いには落とし穴あって、選考者の面白いが世間の面白いに一致するかどうか、てのがあるんで、商売ってのは賭けの面があるわけですけどね。
レーベルごとに(それが名の通ったのになるにつれ)読者が期待するモンも固定するわけですしおすし。
なので、セオリーとかルールというのは、賞やコンテスト、あるいはカクヨムなどのSNSで人気狙いとかでの、暫定的なものがあるという点は確かだけども、それを小説全般に低通するもんだと誤解しないようにね。(人気どーでもいいとかの人にはほんとに無関係だし)ジャンルによっちゃ平気で逆向きになるよ。
それぞれの趣味趣向ごとの集団ってのがあって、外部ではまた違う価値観だ、てのも踏まえてね。(セオリーやルールが暫定でしかない、ての、何年か前に芥川賞取った『abさんご』なんかを考えればいいっス。)
専門的な『レトリック』という事柄に関しては、同じ著者のこちらが詳しいようですので、同時に紹介しておきます。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883758297
『文章表現の幅を広げる「レトリック講座」』板野かも氏
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