275

 ずっと床の上を這っていた照子の体がぴたっと動きを止めた。それから照子の顔が、上を向いえて、ふらふらと少し空中をさまよってから、遥を見つけた。

 遥は自分の顔に向けられた照子の顔をじっと見つめた。

 目は隠れていて見えない。(それは最初と同じだ)口元が少しだけ動いている。……なにかを言おうとしている? 言葉を話そうとしているんだ。遥の右手は照子に向けられている。さっきから震えが止まらない。……寒い。凍えるように、体が冷たい。夏。……夏。遥は夏の名前を呼ぶ。だけど夏からの返事は聞こえない。(夏からもらった炎は、熱は、一瞬で照子に消滅させられてしまった。……悔しい)

「」

 照子の言葉は小さくて聞き取ることができない。それから少しして、照子は口元を動かしながら、床の上を再び這うようにして動き始める。照子は遥の耳には聞こえない小さな声で言葉をしゃべりながらも、床の上を這うことをやめない。照子は今、部屋の中央にある二人の見えない境界線を強引に越えて、部屋の隅っこで壁に背中を押し付けて震えている遥の、……とても近い場所にまで移動している。ちょっとずつ遥に近づいてくる。

「」

「」

 なんだろう? なにをつぶやいてるんだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る