Track 02. 銀河のヒトミ

 冷たい床に膝をつき、結依ゆいは戦慄に身を震わせていた。

 身体の底から溢れ出る震えを本能で抑えようとするように、結依の両腕は無意識に自分の肩を抱き締める。凍り付いた意識の片隅で、彼女の目は、ステージの上空を舞う指宿いぶすきひとみの眩しい姿をかすみの向こうに捉えていた。


「夢と――現実うつつ――神様が導くように――」


 眼鏡グラスのレイヤーに流れるオリジナルの歌詞が、くさびを打つように結依の意識を侵掠しんりゃくしてくる。

 同じ出場者席にいたマリナが、怜音レオンが、あいりが、結依の周りを囲んで口々に心配や支えの言葉を掛けてくれている。本番前に皆を不安にさせては駄目だ、と心の中で何かが結依に呼びかけてくるが、結依にはもう、仲間の文字こえも、自分自身の心の声も、意識みみに入らなかった。


黄昏たそがれ狭間はざまから――姿を見せた――」


 指宿瞳の歌詞と重なって、スタッフの女性の心配そうな顔が視界に映る。スタッフと仲間達がしきりに言っている。大丈夫、無理をしないで、医務室で休みましょう、とか何とか――。


「わたしはいいから……を……とめて」


 自分の唇がかろうじてそんな言葉を捻り出すのを、結依は喉の震えで認識した。

 結依の目は皆の肩越しに指宿瞳の姿を追っていた。照明効果イルミネーションの翼を背に広げた瞳は、天女の羽衣はごろもが地上の岩を撫ぜるかのように、半円状の観客席の目前をぐるりと周遊し、ステージ中心の上空へと戻っていた。きらめくようなウインクとともに、歌唱がサビに入ったのがわかる。


「やっとキミに、キミに、キミに――この世界で巡り会えた――まだ見ぬその――瞳を探してた――」


 ドライブ感のある楽譜メロディ。アイドルポップスの王道を押さえた歌詞リリック。客席の熱狂が最高潮に達するのが、空気の流れで伝わってくる。

 結依はそらおそろしかった。戦慄に震える意識の奥底で、こんな時でも敵のアイドルパフォーマンスのレベルを静かに吟味しているもう一人の自分が。なぜ自分は壊れないのか。彼女の歌詞なんて冷静に読んでいる場合ではないのに。彼女の眼力に惹き付けられている場合ではないのに。自分のオリジナル曲で勝てるかどうかなんて、今、まともな頭で考えている場合ではないのに。


 指宿瞳を虚空に舞わせているは――

 三年前、自分から大切な人と未来を奪った、悪夢の絡繰からくりに他ならないのに――!


「もっとキミを、キミを、キミを――あの夢より知りたい――」


 どうして目が離せないのか。漆黒の輝きを宿した彼女の瞳から。


「微笑むキミは――女神以上の――僕にはVenusヴィーナス Plusプラス――!」


 一番ファースト・バースを歌い終え、ゆっくりと降下してステージに降り立った指宿瞳の姿は――

 結依の脳裏にふと、先日の父の言葉をフラッシュバックさせた。


 ――大人ってのは……結依が知ってる以上に、ものだからね――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「どうして……あの装置がここにあるんですか」


 一回戦の途中でスタッフに連れ出され、半ば強引に医師の診察を受けさせられた後、結依は、医務室に様子を見に来てくれた男性スタッフに反射的にその質問をぶつけていた。先日、出演打診のために学校を訪れた、あの男性だった。


「装置って、『ガルーダ』のことですか? あれは、実はこの番組が初お披露目というか、実用化前のプロモーションを兼ねてるんですよ。つい先月、実証実験を終えてウチに持ち込まれたばかりで……」

「……ダメです。あれは……危険なんです」


 結依は男性の目を見上げ、静かに訴えることしかできなかった。男性は困った顔で「しかし……」と唸っている。


「資料を見た限り、人体には影響がないようですし、落下事故が起きるようなことも原理上ありえないと聞いています。……火群ほむらさん、何か知ってるんですか、あの装置について」

「……わたしは……」


 全てを打ち明けたくなる気持ちをギリギリの理性で抑えて、結依は唇を噛んだ。

 ここでこの男性に事情を話したところで、何が変わるわけでもない。彼が装置の開発サイドにノータッチなのは明らかだった。それどころか、テレビ局の誰一人として、三年前の事故のことは知らないのかもしれない。

 それに、現に指宿瞳は、あの装置を使って危なげなく宙を舞っていたのだ。

 結依達の事故から三年。一度は凍結されたはずの磁気浮遊フィールドシステムの開発が再開されていたのは青天の霹靂へきれきだったが、あの惨劇を経て、開発陣が装置の安全面に全く改良を加えてこなかったとは考えづらい。美鈴みれいの命と結依の聴覚を奪ったあの「イカロス」と違って、今、スタジオに持ち込まれている「ガルーダ」とやらは、本当に安全の保障された舞台装置として完成を見ているのかもしれない。

 いや、間違いなくそうだろう。恐れ多くも大臣の娘に使わせようというのだ。安全性に不安が残る状態で表に出してくるはずがない。

 ……結依だって、そのくらいのことは理屈でわかっている。だが、それでも……。


「……なんでも……ないです」


 医務室を出て、男性にから元気で告げてからも、結依は心の動悸を抑えられなかった。


「無理をしないで下さいね、火群さん」


 男性は最後まで結依の身を案じつつ、持ち場に戻るからと断って足早に廊下を去っていった。

 彼の気遣いが結依の胸を静かに締め付けていた。きっと自分は今、相当に青白い顔をしているのだろう。心を制御できない自分が情けない。この業界は何が起きてもおかしくない魔窟であると、身に沁みて知っていたはずなのに……。


「ユイちゃん」


 眼鏡グラスのレイヤーにスミレ色の文字が映るのを見て、結依は咄嗟に振り返った。廊下の向こうから、制服姿の華子と、ステージ衣装を身に纏ったあいりが、心配そうな顔で歩み寄ってきていた。


「ユイちゃん、大丈夫?」

「華子さん、あいりちゃん……」


 二人に見せる顔をどう作ったらいいのかわからなかった。先日の大会に続いて、自分はまた仲間を心配させ、動揺させてしまっている……。こんな自分をもう皆に見せたくないと、その時誓ったばかりなのに。


「一回戦、マリナさんも、レオンちゃんも勝ったよ。……あいりちゃんは……」


 華子の言葉と、隣で無理に笑顔を作っているようなあいりの表情を見れば、言わんとすることはわかった。

 組み合わせトーナメント表の名前の並びを結依は瞬時に思い出す。トーナメント一回戦は、マリナが第二試合、怜音レオンが第三試合、あいりが第四試合と連続していたはずだ。結依の名前があるのはラストの第八試合。あいりは、華子と一緒に自分の様子を見に来てくれたのだ。

 自分のせいだろうか。戦いの前に、自分が動揺させるようなことをしたせいで、彼女は――。


「あいりちゃん――」


 ごめんね、と結依が謝ろうとしたところで、あいりはふるふると首を振った。


「ユイちゃんのせいじゃないですよ! わたくし、ユイちゃんや先輩がお稽古を付けてくれたダンスで、精一杯パフォーマンスできました。……自分で言うのは恥ずかしいですけど……今までで一番、楽しく踊れました」


 涙交じりのその目を見れば、あいりが単に結依への気遣いでそんなことを言っているのではないことは察せられた。あいりは華子の渡した真っ白なハンカチで涙を拭くと、まっすぐ結依の目を見てくる。


「ユイちゃんは……負けないですよね」


 この自分を励まそうとしているのではない。発破をかけているのでもない。純粋に結依の力を信じて希望を託してくる、その目……。


「……わたし……」


 すぐに肯定の頷きを返せない自分が、無性に悔しかった。

 戦えるだろうか、自分は。こんな心の状態で。己を律し、気持ちを奮い立たせ、満足に力を出し切ることができるだろうか。

 華子が、あいりが、温かい眼差しで自分を見つめている。一回戦を勝ち抜き、出場者席で二回戦を待っているはずのマリナと怜音も、自分の勝利を望んでくれているはずだ。

 だが、わたしは……。


 結依が焦燥に奥歯を噛み締めた、そのとき。

 弾丸のようにVRレイヤーに割り込んできたのは、新しい誰かの文字こえだった。


「あ、ったった。火群結依ちゃん」


 廊下の反対側からやって来たのは、青いステージ衣装に身を包んだ一人の少女。自分の一回戦の対戦相手に決まった彼女の顔を、結依はもちろん覚えていた。大阪・橋姫はしひめ女学院高校の一年生。確か名前は、長居ながい聖麗奈せれなといったはず……。


「アンタ、一回戦、出るの? ぇへんの?」


 彼女は片手を腰に当てて結依の前に立ち、遠慮の欠片もない調子で文字こえをぶつけてきた。


「棄権するんやったら、はよぉ決めてや。ウチは二回戦の相手の対策に集中するから。ゆーて、その相手も、春日かすが瑠璃るりのドタキャンで不戦勝になる子やねんけどな。なんやねん、この巡り合わせ」


 はぁっと大仰に溜息をき、長居聖麗奈は続ける。


本当ホンマ、つまらんわぁ。どうせなら中学女王の春日瑠璃とりたかったのに、その本命はドタキャンやし、一回戦の相手はしょうもない目立ちたがりやし、わざわざ東京に一泊した甲斐がないやん。ウチも先輩らと一緒に昨日帰れば良かったわ」


 よくあるマウンティングだ、相手にすることはない、と結依の理性が告げている。だが、どうしても無視しきれない言葉があった。わたしが、「しょうもない目立ちたがり」?


「ユイちゃんの何が目立ちたがりなんですか……?」


 後ろからあいりが声を上げてくれた。結依はあいりと華子に振り向き、小さく首を振ったが、相手の長居聖麗奈はお構いなしでその言葉を掘り下げてきた。


「明らかに目立ちたがりやろ。何やねん、さっきのスタンドプレー。ダメー、ダメー、うて、他人ひとのパフォーマンスに被さるように声上げて、みっともないわぁ。そんなんしても、審査員に悪い印象与えて逆効果やん。ま、助かったわ、戦う前から墓穴掘ってくれて。いや、演技やのうて本当ホンマに棄権してくれるんなら、ウチはもっと助かるんやけどな」

「棄権しませんよ、わたし」


 特に何を考えたわけでもなかった。ただ、結依の声帯は勝手に震え、唇は勝手にその言葉を紡いでいた。


「そうなん。残念やわ。ま、アンタみたいな子にウチは負けへんけどな」


 結依ら三人をまとめて見下すように、腕を組んでふふんと笑い、はぺらぺらとみみ障りな言葉を並べ続ける。


「東京モンは知らんかもしれんけど、ウチ、大阪で小学生の頃からテレビ出てんねんで。アンタ、元子役アイドルゆうて、ちょろっとやって数年で引退しただけやろ。それから今まで何しとったんか知らんけど、一日レッスンを休んだら一週間遅れるってアンタの先生は教えてくれんかったん?」


 敵の言葉を意識の表層で読み取りながら、結依は自分の中ですうっと何かが変容トランスしていくのを感じていた。何者かの手が点火装置イグニッションを回してくれたかのように――冷え切っていたエンジンに、静かに火が灯る。凍っていた燃料が燃焼を始め、全身に熱が回っていく。


「自慢やないけどな、ウチは子供の頃から一度いっぺん経歴キャリアを切らしてへんで。今かて、テレビのレギュラーやりながら、マドカ姉さん率いる橋女ハシジョの『Ambitiousアンビシャス』でスタメン張ってんねん。三年も遊んどった子にウチは負けへんよ」

「……言いたいことは、それだけ?」


 結依はぽつりと言って相手の目を見た。瞬間、びくっと相手の気勢が後退するのが見えた気がした。


「……何や、その目……」

「それ以上何も言わないほうがいいよ。……わたし、あなたの心を折っちゃうかもしれないから……」


 臆する相手の目をじっと見据えたまま、結依は意識のどこかで思う。

 ……本当は、仲間の声だけで立ち上がれた方が、ずっとよかったのかもしれないが。

 まあ、これはこれで悪くない。シンプルすぎるくらいの方が、未熟なわたしにはちょうどいい――。


「……な、何や、気味悪い子やな。……何やねん、本当ホンマ


 捨て台詞にもなっていない何かを吐き捨てて廊下を駆け戻っていく敵の背中を見て、結依は先程までの自分自身の情けない姿を笑うように、ふっと頬を緩めた。

 自分は何のためにここに来た?

 過去の栄光に浸るためか。トラウマを思い出して震えるためか。仲間の敗北に動揺するためか。

 違う。

 戦うために、ここに来たのだ。


「ユイちゃん――」

「心配しないで。蹴散らします」


 華子達だけではない。あの長居聖麗奈にも感謝しなければならない。彼女のおかげで思い出すことができた。わたしが何者だったか。

 あとは彼女にも教えてやるだけだ。わたしが何者なのか……!


「あっ、火群さん。あと少しで出番が――」


 自分を呼びに来てくれた女性スタッフに会釈を返し、結依は華子達に笑いかけて戦士の回廊を行く。

 スタジオのライトの下に出ると、ちょうど、春日瑠璃の欠場のため、第七試合が神奈川の子の不戦勝に終わった旨がアナウンスされているところだった。

 このトーナメントで再び相見えるかもしれなかった瑠璃が、この場に来ていない……。だが、それも今はどうでもいい。二回戦でぶつかる神奈川の子のことも。指宿瞳のことも。浮遊フィールドのことも。出場者席から自分に無言のエールを送ってくれるマリナと怜音の姿も、客席から注がれる無数の視線も、今の自分の目には入らない。

 今はただ、目の前の相手を全力で蹴散らすだけだ。


東方ひがしかた、橋姫女学院高校「Ambitiousアンビシャス」一年生、長居聖麗奈! 西方にしかた双柱ふたばしら学園高校「ELEMENTSエレメンツ」一年生、火群結依!』


 呼び出しアナウンスに沿ってステージの下手しもてに控え、結依は眼鏡グラス越しに長居聖麗奈のパフォーマンスを観察する。

 BPMテンポ160のオリジナル曲。軽快にステージを踏み鳴らすステップ。腕を大きく振り、ダンスの得意さを見せつけるような振り付け。レイヤーに流れる勝気な雰囲気の歌詞。この海岸ビーチで一番可愛いのは自分だとか何とか。――何だ、難波なんばエイトミリオンの昔の歌の焼き直しオマージュか――。

 己の中に燃え上がる戦いの炎を、髪と一緒に撫でつけ、結依は壇上の敵を見て笑った。

 ――聖麗奈あなたの全力は見せてもらった。今度は、わたしの三年間を見せてやる!


『続いて、後攻――』


 邪魔な眼鏡グラスを取り払い、溢れ出す爆音の振動に身を委ねて、結依はステージへと躍り出た。

 和希かずきが作ってくれたオリジナル曲は決勝戦の隠し玉だ。結依が一回戦の武器に選択したのは、子役アイドル時代の一番の看板曲。スクールアイドルの公式戦では版権の関係で使えないが、今日この場で歌う分には問題ない。

 観客の驚きが、高まる期待が、スタジオの空気を震わせて結依の肌を刺す。

 ポップな火花に弾むイントロは、在りし日の「灼熱のユイ」の代名詞。満員の客席で、全国のお茶の間で、ネットの中継で、今、誰もが昔の自分の姿を思い出してくれているだろう。

 さあ、今こそ皆に見せつけるのだ。姿


「みんなの心に、火をつけます!」


 灼熱の血を全身にたぎらせ、結依はマイクに歌声を吹き込んだ。

 ターンと同時にスタジオ全周を見渡し、撮影機器の動きを確かめる。メインカメラの位置は、そこと、そこと、そこ。真ん中の一つが主に表情のアップを抜いてくる用だろう。上からはAI制御のクレーンが2基とドローンが3台。笑顔を向けるべき角度は目を閉じていてもわかる。

 カメラが自分を追いかけてくるのと同じように、結依の視線も吸い寄せられるようにカメラを追っていた。

 特別でも何でもない、当たり前の動き。この身体に刻み込まれた戦場ステージルール。天狗になりたいわけではないが、ブランクを経ても自然にカメラを追える自分が少しだけ誇らしい。

 幾百万、幾千万の視線に己を晒す電波の世界。今夜限りでも何でもいい。わたしは今、この場所に帰ってきた!


「みんな、ただいま! ユイちゃん改め、『ELEMENTS』の火群結依です!」


 間奏で一気に会場の視線を引きつけ、二番セカンド・バースへ突入する。灼熱の嵐を噴き上げるように、結依はパフォーマンスのギアを更に上げる。

 慣れ親しんだこの曲だが、今の自分は子役時代とは違う。子供の頃は踏めなかったステップが今は踏める。2周しか回れなかったターンが今はもっと回れる。鍛えた歌声が、磨いた笑顔が、今ならもっと多くの人にまで届く!

 カメラの向こうの「みんな」を全身全霊の炎に巻き込み、結依はステージの中心でパフォーマンスを終えた。上気する頬に汗が伝う、その感触がどこか心地良い。

 ステージの下手しもてに戻り、眼鏡グラスを掛け直して見上げた大画面には、目まぐるしくカウントアップされる票数の表示。


『審査員票、会場票、データリンク票、出揃いました! 軍配は――「ELEMENTS」火群結依! 圧倒的票数で二回戦進出決定!』


 上手かみてに立ち尽くす敵に一瞥いちべつもくれず、結依は出場者席へ凱旋した。マリナと怜音が笑顔と拍手で結依を迎えてくれる。


「アナタはやってくれると信じてたわ、ユイちゃん」


 チアリーダーの意匠を取り入れたステージ衣装を纏い、マリナがその目に熱い炎をほとばしらせて言ってきた。


「でも、残念だけど――指宿瞳は、あたしが倒すからね」


 マリナの熱い台詞が結依の眼前に踊る。一回戦を突破したことによる自信か、元々の気性か、彼女の表情には、このスタジオに足を踏み入れたときの緊張の色はもう微塵もない。

 二回戦はすぐに始まる。第一試合はマリナと指宿瞳の対決だ。


「楽しみにしてます、マリナさん」


 結依がマリナに笑みを返すと、マリナの横で怜音も白い歯を見せた。


「先輩、気負わずどうぞ。玉砕したら骨は拾って差し上げます」

「誰が玉砕するって? 見てなさい、春の大会でのあたしとは違うんだからね」


 マリナが胸の前で拳を握ってみせたところで、新たなアナウンスが場内に響くのを結依の眼鏡グラスは捉えた。


『さあ、白熱のアイドルトーナメント、これより二回戦です! 第一試合、東方ひがしかた、双柱学園高校「ELEMENTS」三年生、みなとマリナ! 西方にしかた清學館せいがくかん高校「Venus+ヴィーナスプラス」一年生、指宿瞳!』


 結依と怜音に見送られ、マリナが確かな足取りでステージへと向かう。

 大画面の表示と連動したカウントダウン、眩しく明滅するスポットライトの演出。両手に黄色い玉房ポンポンを携え、マリナは激しいステップでステージに飛び出した。

 大きく足を振り上げ、マリナはインカムで歌い始める。結依のレイヤーに流れる楽譜メロディは、秋葉原エイトミリオンの2011年のシングル、「高飛車マリコ」。だが、歌詞はそうではない。新鋭作家、桐山和希が彼女のために書き下ろした、彼女だけの新曲なのだ。


「マリナさん……がんばって」


 アイドルダンスにチアのアクションを取り入れたオリジナルの振り付けは、まさしくマリナの全力全開。思った以上に、と言うと失礼かもしれないが、ステージの上の彼女は、結依の予想を遥かに上回って善戦していた。

 学園の女王クイーンとして肩で風を切っていた頃の彼女とは違う。アイドルとして皆を沸かせるパフォーマンスを、マリナはこの短期間で着実にモノにしつつある。これなら本当に指宿瞳と渡り合えるのではないかと、思わず結依が信じたくなるほどに――。


 ――だが。

 そんな結依の期待は、次の瞬間、完膚なきまでに打ち砕かれることになる。


『続いて後攻、「Venus+ヴィーナスプラス」指宿瞳――』


 一瞬の暗闇の後、スタジオの天地を貫いて、ステージの中心に一条の光が降りた。

 その光の中を、一人の少女が――指宿瞳が、ゆっくりと。仰向けの姿勢で目を閉じて、艷やかな黒髪にふわりと風を含ませて。

 レイヤーに映る音符の並びが、会場に溢れる幻想的なメロディを結依に教えてくれた。

 自然の重力に逆らってゆっくりと空を落ちながら、指宿瞳は微かに顔を客席に傾け、まぶたを上げて流し目を引いた。その一瞬で、ステージを囲む幾千人の観客が、一人残らずはっと息を呑むのがわかった。

 くるりと身を翻してステージに降り立ち、神のとしが歌い始めるのは、星の海を揺蕩たゆたうようなスローバラード。

 歌に合わせて滑らかに腕を振りながら、客席の全周を見渡していく瞳の姿が、大画面にも映し出される。


「……!」


 息をするのも忘れ、結依は座席から身を乗り出して、画面に映る瞳の眼力に惹き付けられていた。

 衝撃と混乱の中で観察した一回戦のときとは、まるで違う。あのときは、浮遊フィールドの存在がくらましとなって、自分も会場も、彼女のパフォーマンスそのものの魅力を純粋に測れていなかったのかもしれない。

 ひとたびその眼に魅入みいられれば、もう逃れられない。

 星雲の輝きを宿す漆黒の瞳が、会場全てを真空の渦に飲み込んでいる。


「次元が……違う……!」


 春日瑠璃の炎熱に膝をついた時とも。ひょっとしたら、幼き日に秋葉原の劇場でアイドルの輝きと出会った時とも。

 同じなのはくらいだ。見る者全てを引き寄せて飲み込む、その眼の引力は――

 アイドル史上最強の女王、指宿いぶすきリノのあの眼と同じ――!


「ありがとうございました。


 ふわりと会場にお辞儀をして、指宿瞳はステージを去る。対戦の勝敗は今さら見るまでもなかった。


「マリナさん……」

「……よく戦いました、先輩」


 悔しさに拳を震わせるマリナに、怜音と一緒に励ましの声を掛けながら、結依は思う。


 ――放送ウチの業界は、ですから――。

 ――大人ってのは、ものだからね――。


 大人達の言葉の意味を、自分はまだ、心のどこかで甘く見ていたのかもしれない。

 戦う意味を見失わせるほどの力量差。あれほどの素人アマチュアの女の子と同じ舞台に立たせようという発想。

 本当に怖いのは、浮遊フィールドのような小道具ではない。

 こんなトーナメントを考えたこと自体が、大人の怖さなのだ。


『指宿瞳、二回戦も圧勝でしたね。審査員の先生方、いかがでしょう』

『圧巻と言うほかありませんね。眼の引力が違いますよ』

『この子が出てきたことで、スクールアイドル界は今後ますます盛り上がるでしょうね』


 司会者と審査員達のやりとりを流し読みしながら、結依は、堂々たる歩みで出場者席に戻る指宿瞳の姿を目で追っていた。


『いわゆる七光ななひかりと言われる子達は、波濤はとうのツムギ、あかつきのルリ、桜花おうかのヨシノ、雷鳴らいめいのマドカ――と、色々な二つ名で呼ばれていますが。瞳ちゃんの場合はどんな呼び名になるでしょうか』

『そんな、考えて付けるようなものじゃないんですけどね。しかし、仮に名付けるなら、そう――』


 彼女を形容するには、この言葉しか見当たらない。

 会場を埋め尽くす観客達も、テレビの向こうの視聴者達も。誰に煽られるでもなく、誰もがその二つ名を思い描いたのに違いなかった。


『――銀河ぎんがのヒトミ、でしょうか』


 結依の視界に走る、無機質なその文字の向こうから――

 指宿瞳は着席の間際、ブラックホールの如きその眼力で、はっきり結依の目を見て微笑んできた。

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