Track 04. 切り札の一曲

 勝てない。このままでは勝てない――!


 胸中を侵掠しんりゃくする絶望の波を必死に押しとどめるように、結依ゆいは胸の前で組んだ両手を強く強く握り、下手しもてから無人のステージを睨み付けていた。

 汗の残るこめかみに、眼鏡グラスのツルが滑る不快な感触。止まらない心臓の動悸。自分の後ろを取り囲む華子はなこ達の四者四様の息遣い。


 このままでは勝てない――。


 華子とマリナは一曲目の熱演で疲弊していた。それでも自分を気遣って、「最後まで頑張ろう」とか「あなたはこんなもんじゃないでしょ」などと声を掛けてくれる二人。怜音レオンの文字は「キミが導いた『ELEMENTSエレメンツ』の力を信じろ」と告げている。あいりさえも健気に自分を応援してくれている。

 彼女らを心配させてしまっているのは全て自分のせいだ。自分が勝てないから――。

 ステージに再び照明ライトが差し、「Marbleマーブル」の二曲目が始まる。今度も容赦なしの五人全員フルメンバーだった。結依のVRレイヤーに音符の波が溢れるのと同時に、ステージ上では「Marble」のメンバーが二人ずつ順に左右に散開し、中心センターの一人――春日かすが瑠璃るりにスポットライトが当たる。

 センターの一人だけに観衆の目を集中させるその振り付け。眼鏡グラスのAIがで名を告げてくる、この曲は――。


「道のその先に――立つ影は――憧れの君と知って――」


 またも名古屋エイトミリオンではなく秋葉原エイトミリオン本店の曲だった。「プラタナスの道で微笑む君を夢に見た朝」――本当の曲名はもっと冗談のように長いと聞いたことがあるが、この際、曲名などどうでもいい。この曲に関して知っておくべきことは一つ。全盛期の春日ジュリナが、並み居る全国の強豪達を抑え、本店シングルのセンターの座を射止めた一曲であるということ。


「舞い上がる――気持ち――」

「でもすぐに――気付く――」

「現実のワケがない――」


 春日瑠璃を筆頭に、大宮おおみや冴子さえこ小平こだいら鈴奈すずなら全国級の実力者が魅せる激しいパフォーマンスの連続に、観衆の熱狂は最大限に高まっていた。

 スタジアムの全域をくまなく照らす瑠璃の微笑みは、まさしくかげりを知らない太陽の威光。最早この会場に「Marble」の勝利を疑う者は誰一人として居ないかに思われた。誰もが望んでいるのだ。春日瑠璃この子のパフォーマンスをもっと見たいと。準決勝でも、決勝でも、全国でも彼女を見たいと――。

 頭サビからAメロ、Bメロへ。客席の期待に応えるように、瑠璃の輝きが一層の勢いを増す。太陽の眩しさから目を背けられないのは、その引力に視線を引かれたからか、それとも付け入る隙がまだあると信じているからか。


 どの曲なら。どの曲なら彼女に勝てる――!?


 今にも張り裂けそうな心を必死に両手で押さえつけて、結依は無意識に脳内でレパートリーをっていた。心を砕かれかけたこんな状況の中でも、彼女の本能はまだ死んでいなかった。その身に刻まれた悔しさの連鎖が、これまでに歩んできた臥薪がしん嘗胆しょうたんの歳月が、崩れ落ちそうな心をギリギリのところで繋ぎ止めていた。

 理性が諦めても、本能が探し続ける。最後の最後まで、しぶとく逆転の道を。

 どの曲なら瑠璃に勝てる? どの曲ならあの太陽を上回れる?

 桃色の恋に弾む「口づけDream」か。突然の恋に振り回される「巻き込まれ事故」か。ダメだ。そんな通り一遍のラブソングでは、瑠璃の全力の笑顔は破れない。

 ならば、少女の二面性をあらわにする「乙女の二重人格」か。心の傷を訴える「涙のフーダニット」か。ダメだ。ダメだ。そんなヤケバチのような炎で勝たせてもらえるほど甘い相手じゃない。だったら。だったら――。

 結依の頭の中を無数の曲名が走馬灯のように駆け回る。最も強い炎を宿せる曲はどれだ? 最も春日瑠璃に迫れる曲はどれだ?


 ――何曲歌ったって無理よ。瑠璃わたしの後ろには春日ジュリナがいる――


「……ッ!」


 脳裏に焼き付いた瑠璃の笑顔が、結依の思考を焦げ付かせる。

 あらゆる反撃の気勢を封じる瑠璃の威光は、さしずめ熟練の剣術家の構えと同じ。どこにも隙などありはしない。どこから攻めても返される。どこに撃ち込んでも――られる!


「決して伝えない――この気持ち――夢で会えるだけでいい――」


 熱い――!

 曲がサビに入る頃には、もう何も考えられなくなっていた。

 熱波が身体を焦がし、心の泉を干上がらせていく。汗も涙も全てを蒸発とばし尽くされて、残るものはからからに乾いた希望の残滓ざんしのみ。


「現実の――君が――」


 勝てない――


「振り向かなくても――」


 勝てない――


「それが僕の願い――」


 勝てない。勝つ道が見つからない。わたしの炎じゃ、あの太陽には届かない――!


 結依はいつ自分が床に膝をついたのかわからなかった。見上げる先のステージには、この場の全てを掌握し、スタジアムを紅蓮の炎熱で覆い尽くす神の姿。


「伏せておく――ことに――」

「価値がある――想いモノも――」

「この世には――あるさ――」


 床についた自分の手の上に、汗とも涙ともわからない何かが、ぽたりと落ちる。

 と同じだ。希望への階段ががらがらと崩れ去っていく、この耳にはもう聴こえない崩壊の音。


 ――瑠璃わたしの後ろには春日ジュリナがいる。結依あなたの後ろには誰か居るとでもいうの――


 瑠璃に向けられた言葉が結依の心を締め付ける。き止めていた感情の波が一気に襲ってくる。

 諦めたくない。諦めたくないのに――。

 膝をついた自分の周りに仲間が駆け寄り、あれやこれやと言葉を掛けてくるのを、結依は意識のどこかで捉えていた。

 もう先攻のパフォーマンスは終わっている。予定では次は結依のソロだった。早く出なければ失格になる。だけど、もう……。

 立てない。闘えない。勝てない。どんなに死力を尽くしても、この炎ではあの太陽に届かない――!


「ユイちゃん」


 スミレ色の文字の主が結依の肩に手を添えてくれていた。涙に濡れた視界を向けると、華子の、マリナの、あいりの心配そうな顔がそこにあった。

 仲間達への申し訳なさに結依は唇を噛んだ。こんなところまで付き合わせておいて――。

 ごめんなさい、と結依が口を開こうとした、そのとき。


「負けるな、ユイ!」


 結依の身体を前から支え、強引に引き起こす者があった。怜音が熱い両手で結依の両肩を掴み、まっすぐその目を向けてきていた。


「レオンさん――」

「諦めるな。立って歌え。!」


 その名をきいた瞬間――

 どくん、と、結依の心臓が大きく脈打った。


「……ミレイ、ちゃん……」


 夢に現実うつつに、何度も呼びかけたその名が、口をついて出る。

 灼熱に飲まれそうな心に、刹那、一陣の風が吹き込む。


「ミレイちゃん――」


 脳裏に去来するのは、決して忘れ得ぬあの日の残響。

 そうだ。わたしの後ろには――。


『後攻の選手はパフォーマンスを開始してください。間もなく制限時間により――』


 目の前に流れていた邪魔な文字列が、そこで止まった。


「……ユイちゃん」

「ユイちゃん――」


 仲間の文字こえが、かわりに眼前で揺れている。

 自分の足が再び下手しもての床を踏みしめていることに、結依はすぐには気付かなかった。

 仲間達の間を縫って、自分がステージにすっと一歩を踏み出していたことも。


「ユイちゃん、曲は!?」

「要らない」


 振り向きざま、結依は下手しもての仲間達に向かって眼鏡グラスをぽんと放り渡した。

 手にするものは右手のマイクと、決して消えない心の灯火ともしび。それだけでいい。

 見渡す限りの客席の視線を一手に受け、眩いスポットライトを浴びて、結依はそのままステージの中心へと歩み出た。


 何を歌えばいいのか。何のためにここに立つのか。

 そんなこと、ずっと前から決まっている。


 ただひとり、ステージの中心センターに立ち――

 すう、と、息を軽く吸って吐く。

 目を閉じると空気の流れを感じた。満員の客席に広がるざわめき。これから何が始まるのかという動揺と緊張。見なくたって、聴こえなくたってわかる。――すぐに黙らせてあげるよ。

 結依は目を閉じたままマイクを口元に構えた。その途端、周囲の空気がしいんと静まり返るのがわかった。


 ――みんな、感じて。これがわたしの世界。

 静寂に彩られた、優しい世界――。


 すっ、と手を振り上げて――

 目を見開き、結依は歌い始める。

 アカペラでたった一度聴いただけの――しかし、あの日から一度も忘れたことのない、その歌を。


「あの鳥たちには――夢はあるのかと――」


 穏やかに。伸びやかに。雲の上まで突き抜けるような、しかしどこか切ない空気を纏わせて。


「大空を見上げてふと――君は呟いたけど――」


 この世の誰もまだ知らない歌。と自分だけの歌。

 振り付けは、心が教えてくれた。


「大地をくから――見えるものがある――」


 紅蓮の太陽に挑んだ「灼熱のユイ」の戦いは、完敗だった。

 わたしの炎では、あの太陽は焦がせない。

 わたしの歌では、ルリちゃんに敵わない。

 だけど……だけど。


「本当に大事なのは――そういうものだろう――」


 仲間と巡り合った今だけじゃない。華子達と出会う前からも。

 ――わたしは一度も、一人なんかじゃなかった。


「翼がなくても――この足があれば――」


 わたしの後ろには、あの時からずっと――

 大好きなミレイちゃんが、一緒にいてくれた!


「心の望むそのままに――どこへだって行ける――!」


 心の導くままに、結依は歌う。

 記憶に色褪せぬ魅力オーラを、その身に宿すかのように。

 炎に代わって舞い散るものは、ひとひらの雪の花。客席へ向かって吹き抜ける風に乗り、その雪は天に舞う吹雪と変わる。


 何人の人が覚えてくれているだろう。秋葉原の戦場で夢を追い、人知れず消えていった一人の少女のことを。

 たとえ世界中があなたを忘れても。わたしだけは覚えている。

 その瞳を。その手のひらを。その髪を。その唇を。

 雪のように、風のように――清涼せいりょうを極めた、癒しの歌声を。


 雪平ゆきひら美鈴みれい――その二つ名を「吹雪のミレイ」。

 凛と鳴る鈴ののように。響き渡る希望の鐘のように。

 夢半ばで神の身許みもとに還されたその歌声たましいが、いま一度ひとたび、火群結依の身体を通じて現世うつしよ顕現けんげんする。


「虹の彼方まで――歩いてゆこうよ――」


 結依にはわかる。ここにいるのは自分わたしだけど――きっと今、皆の目に見えているのは結依わたしじゃない。

 この歌声も、この笑顔も。

 この胸に溢れる希望も。人生を懸けて追いかける夢も。


「美しい音色だけを――ともに響かせて――」


 アイドルわたしたちは、人ならざる何かをその身に宿す媒体ミーディアム

 結依わたしを通じて美鈴あのこが歌う。結依わたしを通じて美鈴あのこが笑う。

 みんな、受け取って。わたしに宿ったあの子の想いを。

 それが、偶像崇拝アイドライズ――。


「虹の彼方まで――歩いてゆこうよ――」


 吹雪のカーテンと化したの歌声が、優しく会場を包み込む。

 その吹雪は太陽の熱に溶かされ、涙となって頬を伝う。

 儚く、切なく、温かく――。


「美しい音色だけを――ともに響かせて……」


 結依が全てを歌いきったとき――

 満員のスタジアムは、息をすることも忘れたような静寂に包まれていた。

 やがて、思い出したように皆が贈る拍手の波が、無音の世界の中、振動という名の喝采となって結依の意識を覆っていく。


 ふらり、と視界が揺らいだ。

 人形の糸が切れたようにステージに倒れ込む瞬間、結依は、恍惚とした浮遊感にも似た不思議な脱力を覚えていた。


 自分に駆け寄ってくる仲間の足音が、床の震えを通じて伝わる。

 まぶたが下りる間際、判定の表示が見えた。

 これで……一勝一敗。

 あとは……頼れる仲間達が、何とかしてくれる……。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『ユイちゃん』


 暗闇の中に、美鈴の声が響く。

 いつもの夢だ。美鈴が背中を向けて立っている、それだけの夢。

 その名を呼んで、追いかけようとしても――

 いつも、結依わたしが追いつく前に、美鈴の姿は消えてしまう。

 彼女が笑っているのか泣いているのか、それすらもわからないままに。


『ユイちゃん――』


 ……でも、今日は違った。


『ユイちゃんは絶対、素敵なアイドルになれるよ』


 そう言いながら振り向いた美鈴の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


『お願い。わたしのかわりに、アイドルになって――』


 微笑む美鈴の後ろから白い光が差していた。そっと差し延べてくる彼女の手に、初めて結依の手が重なった。


「うん。なる。絶対になるよ」


 光の中の美鈴の笑顔に、結依も微笑み返す――



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 目を覚ますと白い天井があった。シーツの感触と薬品の匂い。自分がベッドに寝かされていることに気付くよりも先に、華子の顔が、結依の視線の先で、ぱあっと安堵の色に変わった。


「――」


 ユイちゃん、よかった――華子の唇がそう言っている。その目元に涙のあとが残っていることに結依は気付いた。

 結依がベッドから上体を起こし、サイドテーブルの補聴眼鏡グラスに手を伸ばす頃には、他の仲間達も仕切りのカーテンを開けて姿を見せていた。

 泣きはらした顔のあいりが真っ先に結依の傍に寄ってくる。ユイちゃん、ごめんなさい――と、彼女の言葉を見るまでもなく、結依は察していた。試合の結果がどうなったのか――。


「みんなで頑張ったんです。ユイちゃんが教えてくれた『スコーンジャム』で。でも……でも」

「すまない。キミの戦いを無駄にしないよう、自分達も力を尽くしたが――」


 仲間達の言葉を遮るように、結依はふるふると首を振っていた。謝らないでほしい。皆が頑張ってくれたのは、何も言わなくたってわかっている。


「ユイちゃん!」


 マリナが大きな声で自分を呼んだらしかった。悔しさのような、怒りのような何かをたぎらせたマリナの目が、いつにない本気さで結依を見つめてきた。


「次は絶対勝つわよ。相手が何者だろうと知ったことじゃないわ。勝って勝って勝ちまくって、あたし達が日本一になってやるのよ」


 VRレイヤーにポップアップしてくるその言葉を見て――

 涙や震えよりも先に、なぜか、くすりと笑みが漏れた。


「もちろんですよ。マリナさん」


 結依は微笑みのままに言った。「そういうのはキャプテンのわたしが言うんだから」なんてマリナに食って掛かる華子や、ふっと笑顔に転じる怜音、涙を拭って「頑張ります」と声を張るあいりらの姿を、涙の溢れる視界に捉えながら。


「ありがとう……みんな」


 小さく呟いたその言葉が、皆の耳に入ったかどうかはわからない。

 だが確かに、このとき――

 結依の夢は、五人全員の夢になった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「優勝チーム――春暁しゅんぎょう学園高校東京分校スクールアイドル研究部、『Marble』――!」


 スタジアムに拍手喝采が溢れ返る中、「Marble」キャプテンの大宮冴子が壇上に上がり、今朝返したばかりの優勝旗を再びその華奢な双腕に抱く。

 ピンクのその旗をひるがえし、彼女は誇らしげに一礼した。「七光」を擁するに至った「Marble」が今や無敵であることを、この場の一同に、そしてメディアの向こうにいる全国の強豪達に、広く知らしめるように。


 無理せず医務室で寝ていた方がいい、と華子が言うのを断って、結依は仲間と共に整列に加わって壇上を見上げていた。

 エイトミリオングループのドラフト会議へと繋がる、数限りある機会チャンス。その貴重な一つが今、地区予選ベスト8止まりで潰えた。

 だが――次は負けない。次こそ、わたし達の全力で「Marble」に勝ってみせる――。


「続きまして、ご来賓の指宿いぶすきリノ様より――」


 その名が厳かに告げられた瞬間、アナウンスの文字列を覆い隠さんばかりの勢いで、拍手と歓声とシャッター音の炸裂を伝える表示がVRレイヤーを埋め尽くした。

 微笑を湛えて小さく手を振りながら、女王――指宿いぶすき芸能大臣が壇上へ上がる。


「皆さん。長きにわたる激闘、本当にお疲れ様でした」


 ゆっくりと時間を掛けて、アリーナの全員を見渡すような彼女の視線。


「!」


 勘違いではない。指宿リノは確かに結依にも目を合わせてきた。とても優しい、でも何故か恐ろしい、光とも闇ともわからぬ不思議な輝きを宿した視線を。


「皆さんの死力を尽くした戦いを……その青春の輝きを、わたしも、しかと見せてもらいました。どのチームのパフォーマンスも、高校生ならではの熱さや真っ直ぐさがあって、素晴らしいものだったと思います」


 どうしてこんなに惹きつけられるのだろう。どうして目が離せないのだろう。二十年以上も前に前線を離れた、往年のトップアイドルの黒い瞳から――。


「中でも、きらめくような存在感を発揮してくれた、優勝チーム『Marble』の春日瑠璃ちゃんと……優勝は逃したものの、渾身のパフォーマンスで皆の心を沸き立たせてくれた、『ELEMENTS』の火群結依ちゃん。この二人の戦いは、わたし自身の激闘の日々を思い出させるようで……正直、心が踊りました」


 指宿リノに名を呼ばれたとき、結依は底知れぬ悪寒に心を射竦められるような気持ちがした。ただ褒められただけのはずなのに。

 女王の漆黒の瞳が、列の中心近くに立つ「Marble」の瑠璃へと向けられるのがわかった。


「ルリちゃんは、あの頃のジュリナによね。懐かしい歌をたくさん聴かせてくれてありがとう」


 えっ――。

 今、なんて……?


「そして、ユイちゃん」


 ぎん、と視線を向けられ、結依の身体がびくりと硬直する。


「全国のお茶の間を釘付けにした可愛らしさは健在だったのね。しばらく姿を見なかったから、実は心配してたんだけど……でも、安心したわ。ユイちゃんが


 ぞわっと全身から血の気が引くような衝撃。この人はただ、穏やかな口調と暖かな笑顔で、瑠璃や自分をねぎらい、褒めてくれているだけなのに――

 なんだろう。光を飲み込み全てを押し潰す、ブラックホールのようなあの瞳は。


「でもね。二人とも、あんまり若い内から天狗になるのも良くないので……はっきり言っておきますね」


 その瞳に広がるのは――真空の宇宙。


「ルリちゃん、ユイちゃん。今のあなた達には、まだまだ決定的に足りないものがある。だから――


 娘……?

 息もできない結依の視線の先で、指宿リノはふふっと不敵に笑った。

 スタンドマイクに添えられたその左手に、指輪はない。


「また会いましょう。次の戦場で」


 その言葉を最後に、芸能大臣は壇を下り――

 少女達の汗と涙の激戦、2040年度スプリング・アイドライズひがし東京大会は、「Marble」の優勝でその幕を下ろしたのだった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「ユイちゃん。指宿リノさんが言ってた『娘』って?」


 色とりどりの看板ネオンと行き交う車のライトが夜の街を彩っていた。スタジアムから駅へと繋がる高層歩道ペデストリアン・デッキを行く道すがら、華子が結依に尋ねてきた。

 結依は小さく首を振った。思い当たる名前などなかった。プロであれ部活であれ、アイドルの世界で活躍を始めている子なら、自分が知らないはずはないのに――。


「あっ! これですよ、皆さん!」


 あいりが慌てたような顔で携帯ミラホの画面を差し出してきた。結依と華子、それにマリナと怜音も揃ってその画面を覗き込んだ。

 そこに映っていたのは、どこかの街の人だかりの中、選挙タスキをかけてマイクを持った指宿リノの隣で、街の人と握手を交わす一人の少女の姿。

 華奢で可憐な黒髪の少女だった。その写真が掲載されたページには、ネットの掲示板の住人特有の口調で綴られたおびただしい賛美の言葉とともに、その少女の名が何度も繰り返し書き込まれていた。


指宿いぶすき……ひとみ?」


 我が国初のアイドル出身国会議員は、生涯独身を宣言していたはず。

 だが――携帯ミラホの画面に映るその少女の、眩しい微笑を湛えた両眼は、確かに、壇上から結依を見据えてきたあの眼と同じ、銀河の重力を宿しているように見えた。



(4th Single:太陽との激突 完)



【2nd Album「初夏の陣」へ続く……】

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