第97話 送り火

 レティーシアに会う前に寄る所があった。


「ねぇ、あの子に会わせて」

「マスターならそう言うと思って……」

 ジャンヌは少しぎこちなく微笑み、俺の肩に優しく手を置いた。

 それから、俺の目線を誘うようにして、ある方向を指差す……、そこに、あの女の子の背中が見える。


「あなたは、ここで待ってなさい」

 俺が進むと、ジャンヌは名残惜しそうに肩から手を離した。


 本当は怖い。

 もしかしたら、あの子には合わない方が良いのかも知れない……。


 ちょこんと座る女の子の小さな背中、すぐそばには、あの時、背中に背負っていた荷袋が無造作に置かれ、中身が散らばっている……、おもちゃに混じって絵本が数冊……、彼女はずっと母親と一人でいたようだ。


 女の子はゆっくりと振り返った。


「ん? あーー! 銀色の天使さん!」

 小首を傾げ、可愛らしい瞳を限界まで大きく見開き、元気一杯、俺を出迎えた。


「こんにちは、覚えていてくれたのね」

 膝を抱えるようにして、女の子の隣に座った。


 本当は、忘れていて欲しかった!


 すぐ前で、仰向けに寝ている彼女の母親と目があった気がし、思わず魔法で明かりを灯してしまう。


 小さな炎が一つ、フワフワと宙を漂い、死体を照らす。

 母親は体温を感じさない真っ青な顔で、微動だにせず、静かに眠っていた。


「わぁ、銀色の天使さん、すごい!」

 女の子は、笑顔で宙に浮く炎を眺めている。

 彼女のホッペが真っ赤に染まる。


 小さな炎が風に揺れた。


 母親の顔の起伏に生まれる光と影の明暗が、息をしているかのように錯覚させる。


「ねぇ、お母さん、いつ起きるの?」

 女の子が俺の袖を掴んで引っ張った。


 ああ〜、親しい者の死は、それを理解している大人でも受け入れ難い。


 言葉を失う。

 彼女の母親が俺を見ている。


 小さな炎が俺を照らす。

 眩しく感じ、目をそらした。


「ねぇ、ねぇ?」

 女の子が、か弱い力で俺を引っ張り、大きく揺らす。


「みんな、お母さんは死んだって嘘を言うの……、銀色の天使さんは嘘は言わないよね?」

 彼女は俺の顔を覗こうと近づいてくる。


「嘘じゃないわ……」

 小さな声しか出ない、胸が詰まる、それがこみ上げる。

 体を突き抜ける感情は、目頭を熱くさせる。

 それを冷ます為、涙が溢れる。


「うそよ! 天使さんの嘘つき! 嘘つきっっ!」

 女の子は、口をぎゅっと結び、小さな肩を震わして、溜まった涙を堪えている。


 彼女は、一冊の絵本を俺に差し出した。

 それを受け取りページをめくる。


「お水の話」という題名の絵本、この絵本の冒頭は、大昔、不死だった人間は悲しみを知らず涙も流さないので、水を飲まなくても生きていけたと書いてあった……。


 人間の世話を神様より命じられた銀色天使は、事あるごとに泣く。

 花がしおれれば、銀色天使は泣き、その涙で花は元気になった。

 誰かが怪我をすれば、やはり銀色天使の涙で消毒し、火が家を燃やせば、涙で消した。


 そして、初めて人間が死んだ時、神様は、「魂は涙で洗われ、汚れが無くなり、天国に向かい入れられる」と告げた。


 銀色天使は、もちろん大泣きした。

 人間は、自分も泣きたいと思うが涙が出ない。

 それを見て、悲しくなった銀色天使は、もっと、もっと大泣きをする。


 やがて水が世界に溢れ、それを飲んだ人間は、涙を流し悲しみを知った。


 悲しみを知った人間は、その感情を手放す事が出来ず、水無しでは生きていけなくなった。


 これが、絵本の内容だ。


 一通り走り読みをしたので、女の子に絵本を返す。


 彼女は、魂が天国に向かい入れられる場面を開き、俺に見せる。

 大粒の涙を流し、ヒック、ヒックとしゃっくりを繰り返しながら、

「お母さん、天国に行ける?」

 と聞いてきた。


 女の子の鼻にハンカチを当てると、チーンと彼女は鼻をかむ。

 ゆっくりと胸元に抱き寄せ、

「ええ、もちろんよ」

 と答えた。


 しばらくして、女の子が泣き止むと、彼女をそっと放し、俺は立ち上がる。

 それから、しっかりと彼女の手を握ってやる。


 レティーシアが、いつのまにか、そばに寄ってきていた。

「もう、大丈夫かしら?」

 彼女の脇と背後には、チビとジャンヌ、バーナード団長に近衛騎士の面々が揃っている。


 ユニコーンが俺の頬をさする。


 こいつ、いつの間に……。


 レティーシアが自らの服の胸元を握る。

 きっとその下には、王印があるのだろう。


 空気が凛とする。


「王国の民たちを、私を見なさい」

 レティーシアはよく通る声で語り出した。


 騎士達が膝をつき敬意を示す。


 至る所に散って、親しい者との別れをしていた生き残りの住民達が、騎士を見習い膝をつきレティーシアに注目する。


「亡き友や隣人、そして肉親をしのぶ時間は終わりです」

 先程、宙に浮かせた火の玉が、レティーシアを揺らめく炎で幻想的に照らす。

 金色の髪の濃淡が、彼女の整った顔立ちを引き立てる。


「この街を襲った帝国軍は、私の命により、この魔法使いが、一人残さず、焼き殺しました」

 住民達がざわつく、彼らは、俺が勝手に暴走したと思っていたからだ。


 それは、真実だから、別にいい。

 しかし、まさか、レティーシア……。


「どんな酷い罰を帝国軍に与えようとも、私の悲しみは癒えません!」

 レティーシアは、俺のしたことを背負う気だ。


 それは、いけない……。


「でも、今は、敵味方区別無く、死者の魂を安らぎの地へと送りましょう!」

 レティーシアはそう皆に述べると、小声で「ソフィア、お願い」と言ってきた。


 事前に、死体は火葬すると聞いていたが、「後で、話しがあるわよ」と、こちらも小声で言い返す。


 ヘルメスの杖【カドケウス】を取り出し、天に放り、宙に留める。

 後は、【聖者の祈り】の要領で意識を集中しながら……、女の子の手を離し【フライ】で空に飛ぼうとすると、彼女が服の袖を掴んできた。


 ニコッと微笑み、

「ねぇ、お名前を教えて」

 と言いながら、彼女を抱っこした。


「フローラ、フローラっていうの」

 彼女は俺の首に手を回す。


「ジッとしててね」

 彼女を胸元で抱いたまま、【フライ】で一気に空に舞い上がる。


 宙に浮き自立しているヘルメスの杖【カドケウス】が羽を大きく広げ光り輝く、俺の背にも翼が生えた。


 今度は炎の翼ではなく、青白い光で出来た神聖な翼、それを大きく広げる。


 地上からため息が聞こえる。

 皆、俺から目が離せないようだ。


「さぁ、祈りましょう!」

 レティーシアが音頭をとった。


 俺も目を閉じ、死者を思い祈る。


 死体に青白い炎が灯り、それを燃やす。

 何千、何万もの炎が荒野に灯る。


 地上に星の海が出現した。


 炎から青い燐光が立ち上る。


 炎が揺らめくと、星の海が波たった。


 やがて炎は、天を目指し地上を離れていく。

「ねぇ、お母さん、天国に行っちゃうの?」

 胸元からフローラが俺に話しかけた。


「そうよ、でも寂しくないわ、天国は、フローラ、あなたの中にあるのだから」

 彼女は、不思議そうに自分の身体をいじり始めた。


 葬式とは不思議なもので、悲しみで潰されそうになるが、死者をもっとも身近に感じられ、そして、心に、その人物を刻み、永遠の存在となる瞬間でもある。


 もちろん、思い出すと悲しい、悲しいに決まっている。


 でも、それでも、生前を思い出すと幸せな気持ちを感じるのも事実だ。


「お母さん……」

 フローラは、俺の首へと回した腕に力を込めて、ギュッと抱きついてくる。

 俺は彼女の髪を撫でてやり、炎を見守る。


 地上を離れた、青白い炎は、星空に混じり溶けていく。


 最後に満天の夜空が、ずっと俺たちを見守っていた。

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