第91話 煉獄の炎
街が燃えている。
煉瓦造りの小さな建物、その扉が焼け落ち炎が吹き出す。
ふと、そこの住人の日常が幻覚となって見えた気がした。
慎ましく生きる家族。玄関から出入りする姿、幸せそうな日々……。
幻覚は、さらに大きくなった炎が燃やして消した。
交易都市と王都の中間、湿地帯を目指していた俺達は、先頭を行くジャンヌの勢いにつられ、目的地とはかけ離れたこの街に来てしまった。
名も知らぬ小さな街、遠方から見たときには、既に煙が上がっていた。
一刻も早く、王都に向かいたかった俺は、もちろん彼女を咎めたが、無視された。
腹が立ったが、間違っていたのは、俺だ。
騎士達は雄叫びを上げ戦っている。
ジャンヌは、縦横無尽に戦場を走り、旗を槍のように操り奮戦をしていた。
チビは、素早い動きで敵を翻弄し、確実に仕留めている。
しかし、事態は一向に改善されない。
戦場は街全体に広がっていた。敵も多い、恐らく万を超えている。さらに、街の外にも、大きな気配、恐らくそれが本隊に違いなかった。
理性は本隊を叩けと訴えている。
しかし、心が、それを拒み、身体が本能のまま動く。
すぐに、陣形を失った俺達は、感情のまま、泥沼の市街戦に突入していた。
だが、それは仕方がない……、この惨状を見て、心を動かさない者は人では無い。
炎が街を食い尽くそうとする音、肌に感じる痛い熱、煙が目にしみ、同時に息苦しさを感じた。
五感が塞がれ、何かを訴えかけてくる。
それでも、殺意を帯びた生き物の気配……、敵だ。
振り向かず、呆然と前を見つめたまま、俺は、杖を無造作に自分の死角へと動かした。
そこに、何者かの刃がぶつかる、甲高い金属音が鳴り響く隙すら与えず、そのまま振り抜いた。
帝国の兵士だろう。そのまま、それは、燃え盛る別の何かにぶつかり、新たな瓦礫を生み出したようだ。
奴らが、死のうが知ったことでは無い。
自業自得だ。
だが、この街に住む人々は違う……、巻き込まれただけだ。
「酷い……」
自らが発した言葉が耳に入り、己の愚かさが身にしみる。
これは、喧嘩では無く、戦争なのだ。
喧嘩なら被害は当事者のみに限定される。
だが、戦争は酷い、そこから生じる残酷な仕打ちは、避けることが出来ない。
交易都市の難民達の顔が浮かぶ。
彼らの帰るべき街の一つが、今、正に、燃えている。
炎が街を蹂躙する。
築き上げた全てを燃やす。
帝国兵が街に火を付けたのだろう。
小さな子供の泣き声、しゃっくりが混じる涙の叫び、すすで汚れた小さな顔が涙の雫で濡れている。可愛らしい縫いぐるみをしっかりと抱きしめ、小さな荷物を背負っていた。
小さな小さな、その子は、必死に倒れている女性に呼び掛けている。
幼い子が発する慟哭の叫び。
彼の母親は返事をしない。
彼女は血の海に横たわり、愛しい我が子の悲しみを癒すことなく息もせず、悪夢にうなされ、表情を歪め半身を傾け横たわる。
側に帝国兵を見つけた。
刃を持つ手が震えている。
どうやら、子供にとどめを刺すのに躊躇しているようだ。
「殺してやる」
身体が内から熱くなるのを感じる。
燃え盛る炎に負けない感情が胸の奥で産声を上げた。
気がつけば、子供と帝国兵の間に割って入っていた。
「ひっ」
悲鳴を上げ、帝国兵が後ずさりする。
恐怖に歪む彼の顔。
それが腹立ち、杖を叩くようにぶつけ、潰した。
子の前で親を殺すような鬼畜が、恐怖などという感情を持つこと事態、おこがましい。
頭を失った帝国兵の胴体が血飛沫を上げ、一、二歩彷徨うと、地面に伏した。
女性と帝国兵が生み出した血の海が混じり大きく広がる、それはやがて俺の足元まで達していた。
泣き止まない子供をしっかりと抱きしめる。
「お母さん、お母さん……」
丸みを帯びた可愛らしい手で、この子は母親の服を掴み離さない。
離さないのだ……。
髪の毛を撫でてやる。子供の涙を服の袖で拭く、大きな瞳、よく手入れされた髪だと、俺の指先が教えてくれた。
親の愛情が一杯詰まった、ふっくらほっぺの女の子だと気づく、だって、母親の顔は、お世辞にも栄養が行き届いているとはいえない……。
小さな声で、理を、捻じ曲げる呪文を詠唱する。
総魔力の八割を消費する回復魔法の頂点、神話級の【
母親が柔らかな光に包まれる。
血の海が彼女の身体に帰っていた。
「お母さん?」
女の子は、泣くのをやめた。
なのに、なのにだ!
母親の身体は、生前を取り戻したのにだ!
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
ただひたすら、女の子に泣いて謝る事しか、俺には出来なかった。
生きているような姿で、死んでいる母親……。
そんなものは、女の子が死を受け入れるのを妨げるだけだ。
「お母さん、ねぇ起きて、起きてっ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
謝罪を邪魔する多数の気配、
「邪魔をするな!」
俺は、鬼の形相だったに違いない、邪魔する者は全て……、微かに残った理性が、それを止めてくれた。
レティーシアが、覆い被さるようにして抱きついて来たからだ。
「ソフィア、ねぇ、ソフィア大丈夫?」
女の子は、泣き止んでいる。
きっとそれは、母親が生きていると思っているからだ。
俺の顔は、涙で、くしゃくしゃになってしまう。
「ねぇ、わたし、酷いことしちゃった!」
「大丈夫、大丈夫よ」
レティーシアは優しく、こんな俺を包んでくれた。
彼女は、俺と女の子を優しく包んでくれる。
バーナード団長は、そんな時間を作るため、必死に剣を振るう。
ジャンヌも、チビも、必死で戦っていた。
女の子をレティーシアに任せ、俺は立ち上がる。
銀髪から炎の燐光がうっすらと浮かぶ。
身体が熱い。
熱い、熱い、熱い。
【炎の
煉獄の炎が、この身を焼く。
それでも、涙は枯れない。
今なら、無詠唱で奴らが呼べる。
【炎の
「ソフィア、ねぇ、ソフィ、しっかりして!」
レティーシアの声、それが俺を踏み止ませる。
多分、戦争に関与する者全て俺は憎いと思っている。
だから、【炎の
だから、駄目だ……。
「大丈夫よ……、こんな戦争、すぐに終わらせる」
空へと飛び立つ、街を燃やす炎が全て追従し、俺を焼く。
奴らに、無慈悲な報復を……。
街の外、この元凶に違いない者たちを標的に定めた。
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