第18話

 瀕死の男は10分ほどで話せなくなった。宿舎の内外から近所の住民や兵士などの喧騒の声が聞こえてきている。俺たち以外にも被害者がいたらしい。

 宿舎入口が勢いよく開かれ、鬼気迫る表情のリタが入ってきた。メモをしまい、一息ついたカミラさんが対応する。リタは目の前の惨状に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻す。


「カミラ! 無事か?」

「ええ、私たちは無事よ。」

「そうか、こいつは?」

「今回の襲撃犯だそうよ。自白したわ。」

「自白だと? カミラ……今回の襲撃は変だぞ。」

「でしょうね。……私も理解が追い付いてないわ。」

「外で死体が2つ見つかった。損壊が酷い。こいつも入れて3つだな。」

「とりあえずエレナが……。」

「エレナなら無事だ。さっき見てきた。」

「あら、そう。目的がエレナの拉致、クレーメンス卿からの依頼、3人で決行だそうよ。」

「……信じて良いのか? その情報は。……それにしてもクレーメンス卿か。」

「リタはエレナについてあげて。私はギルドに知らせるわ。」


 無言で頷いたリタが片手で階段の手すりを持って飛び上がる。体操の選手でもできないだろう、その動き。リタは階段の途中に降り立ち、静かに登っていった。

 カミラさんはイヤリングに手を当て、誰かと話している。俺は目の前の惨状の片づけでもしますかね。


「こいつを保存して、周りを綺麗にしろ。」


 瞳孔の開き切った男が黒球に吸収されていく。血で汚れた床や壁も徐々に元の色合いに、そして新築かと見間違うほど綺麗になっていった。……やりすぎだな、まぁ良いか。

 カミラさんを見ると、唖然として固まっている。


「……どうしたんだ?」

「これ、あなたがやったのよね?」

「そうだぞ。」

「死体の検分も終わってないのに……。」

「あー、戻すか?」

「……兵舎で死体を出してもらえば良いわ。でも、凄いわね。私でもせいぜい一抱えくらいの荷物が限界なのに。」

「そういうものなのか。限界量なんてはかったこと無いな。」

「……とりあえず、他の襲撃犯の所を経由してギルドに向かいましょう。」


 黒球に残りの犯人の位置を示すように言う。白い矢印が2つ、どちらも目線の高さよりも上を指している。建物の上だろうか。

 俺とカミラさんは入口から外に出る。兵士が怪我をしたのだろう、肩を借りながら歩く兵士や野次馬の住民がいた。カミラさんが兵士に話しかけ、足早に歩きだす。俺も遅れないように併走した。


 宿舎の隣の建物の前に着く。建物前には兵士が立ち、出入りを制限していた。矢印は上方を指していた。2階……いや、屋根か。

 カミラさんに矢印の場所を伝えると、屋根を一瞥いちべつし、兵士に話しかける。


「ご苦労様。入ってもいいかしら。」

「ん? ギルド員か。まだ中は調べ終わってないからな。」

「ええ、分かってるわ。」

「ちょっと待て、そいつも連れて入るのか?」

「今回の件の関係者よ。責任は私が取ります。」

「まぁ、あんたが言うなら良いんだろうが。」

「大丈夫よ。迷惑はかけないわ。」


 うむ、何が分かったのか俺にはサッパリだ、ということが分かった。

 カミラさんに引き続いて俺も建物に入る。兵士が興味深そうに俺を見るが、目が合うと慌てて逸らしていた。まぁ、真っ黒なキツネは珍しいのだろう。

 建物内は宿舎よりも簡素な造りだった。矢印を見ながら2階へ急ぐ。

 2階に着いた俺は、矢印がさらに上を指していることに気づく。

 天井を見上げている俺を見たカミラさんは近くの窓を開け、窓枠に足をかけた。


「ここ、2階だぞ?」

「問題ないわ。」


 いや、あなたじゃないですか。

 2階の窓から身を乗り出したカミラさんは、全く怖がることなく屋根に向かって飛んだ。

 綺麗だった、とだけ言っておこう。

 黒球に言い、俺は屋根にあげてもらう。周りを見ると、宿舎の2階廊下が見えた。

三角屋根のむねの辺りに大きな血痕がある。

 屋根の所々に肉片が飛び散っているので、避けながら棟まで登る。

 カミラさんは屋根の中央付近で何かを見つめ、考え込んでいた。

 近寄ってみると、鎖骨より上の無い死体がある。体つきは女性のようだ。うつ伏せでいたところを攻撃されたのかもな。近くにドッグタグと思われるひも付きのひしゃげた金属片があった。こいつが1発目で死んだ奴だろう。

 死体は皮紙を下敷きにしていた。皮紙が風に揺れている。


「カミラさん、こいつの下に紙があるぞ。」

「紙? ……これは、行動記録ね。」

「監視か?」

「でしょうね。今日だけ……というわけでは無さそうね。時間、場所、人の出入り、兵士の交代についても書いてある。ずっと監視されてたなんて、不覚だわ……。」

「こいつら凄いやつなのか?」

「少なくとも警備していた兵士よりは強い、そしてリタや私に気づかれないほどの者……。」


 そんな奴らだったのか……。黒球の攻撃は相当なのだろう。手練てだれが3人、エレナを狙う理由なんぞ見当もつかない。推理はカミラさんに任せておこう。……ん? ポケットが膨らんでいるな。


「ここに何か入ってるぞ。」

「……何かしら、初めて見る形ね。でも動いてないわね。意味もなく持つわけがないわよね。」

「それ、開くんじゃないか?」


 懐中時計のような、ロケットのような形の楕円形だえんけいの何か。カミラさんが開こうとするも、開きそうにない。振ってみても音も鳴らない。


「……このくらいかしらね。もう一体いるのよね?」

「ああ、あっちだ。」

「このまま屋根伝いに行きましょう。案内よろしくねっ!」


 俺が了承する前に俺を抱え、カミラさんは飛び上がった。危うく舌を噛むところだった。サッサとギルドに行きたいのだろう。……はぁ、厄介事の匂いしかしないな。


 カミラさんが屋根から屋根へ飛ぶ。スカートを軽く押さえている辺り、少しは気にしているようだ。何度も飛んでいるが、内臓が浮くような感覚と自由落下の感覚は慣れることはないだろう。

 矢印が少しずつ下がっていく。そろそろだな。


「そろそろだな……ここら辺だ。」

「……あそこね。降りましょう。」

「え?」


 2階建ての建物の屋根から、ためらいも無く飛び降りるカミラさん。……まぁ、カミラさんだしな。大丈夫なのだろう。

 俺は黒球にしがみつき、ゆっくり降りていく。さすがに生身で飛び降りたくはない。

 矢印は眼下の荷車を指している。細い路地に置かれた荷車には木箱が山積みされているだけだ。まぁ、降りてみれば分かるか。

 ゆっくり下降する俺をカミラさんは受け止めてくれた。カミラさんは木箱の一つを真剣な顔で見ている。

 木箱から雫が落ち、荷車の下には血だまりが出来ていた。


「あれだな。」

「ええ、確認しましょう。」


 周りに人通りはない。日影の細い路地だから当たり前か。

 宿舎の見えない路地で何をしていたのか。

 カミラさんが木箱の横に立ち、五指を揃えて構える。真剣な顔のカミラさんを見て、俺も固唾を飲み、見守る。


 無造作に振るった手刀。そして、しばしの静寂。血がしたたる音さえ聞こえそうだ。


 構えを解いたカミラさんが木箱から数歩離れる。

 ……何か起こるのだろうか? 血だまりは少し大きくなったようだが。

 静寂にえ兼ねた俺はカミラさんに聞く。


「えーっと、木箱を切ったりしたんじゃないのか?」

「え? 下手に切って血が飛び散ったら、面倒でしょ?」

「まぁ、そうなんだが。」

「木箱に小さな穴をね。」

「ほぉ。」


 血抜きをした、という事か。

 数十秒待ち、カミラさんは木箱を開け始める。木箱の内部はつながっており、一つの空間になっていた。飛び散ったもので内部はひどい有り様だ。


「血だまりをどうにかしてくれ。」

「……もう驚かないわ。はぁ。調べやすくなったわね。」


 な、なんだ? 呆れられたのか。黒球に血が吸い込まれていく光景は、非常識かもしれないが。

 食べ物が近くに無い。時折、箱の外に出ていたのだろう。

 うつ伏せの死体は首輪をつけている。首輪の接する部分がゴッソリと無くなった死体だ。短い赤髪の10代の少年。やせ細っているので訓練された人材では無さそうだ。前足に力を入れる。俺が……。


 俺が……殺したんだ。


「この子、身代わりね。」

「……身代わり?」

「あなたの攻撃を肩代わりさせられたのよ。この子、奴隷だもの。」

「……そうなのか。」

「ギルドに急ぎましょう。」


 奴隷。身代わりとは言え、こんな小さい子どもを俺は攻撃した。この世界では奴隷を身代わりに使う事を知らなかった。この子のことを知っていれば助けられただろうか。

 俺は調子に乗っていた。黒球に任せるだけで全てが解決すると思っていた。命令する前に、こういう事態を回避できなければ……命令してはいけなかったんだ。


 体毛が逆立っていく。エレナを危険に晒し、他の関係者まで殺そうとする奴ら……。


 俺はカミラさんに抱えられた。

 カミラさんは今まで以上の速度で路地を駆ける。あっという間に商業ギルドが見えてきた。少し高めに飛んだカミラさんが俺の耳元で言う。


「ダメよ。全員、殺そうだなんて思ったら。」

「……。」


 ギルド近くの路地に着地し、カミラさんは俺の顔を見ながら言う。


「ダメよ。生け捕りにするわ。」

「なぜだ。」

「関係者全員を捕まえるわ。後ろで隠れている奴らもね。」

「……分かったから降ろせ。」


 カミラさんとともに路地を抜け、商業ギルド本部へ入る。

 受付でマスターへの報告を申請すると、すぐに2階へ通された。

 カミラさんは扉をノックし、返事を待たずに中に入る。


 20畳ほどの広さの部屋に、執務用机に座る老人がいた。エレナがおじいちゃんと呼ぶ老人だろう。近寄りがたい雰囲気だ。

 カミラさんが一礼すると、老人は立ち上がり、手前の応接セットの上座に座る。


「失礼します。マスター。」

「カミラ、エレナは無事じゃな?」

「はい、リタがついています。報告を。」

「不要じゃ、もう動いておる。座れ。」

「……すいません。」

「よい、と言った。……その黒犬が?」

「はい、襲撃犯を探知、撃退、尋問しました。この子がいなかったらエレナを守り切れなかったと思います。」

「なるほどの、たしかエレナはキツネと呼んでおったか?」

「……呼びたいように呼べば良い。」


 じいさんが俺に視線をよこす。カミラさんを見ると、頷かれたので簡潔に答えた。

 さっきから俺の脳内では、警鐘が鳴りまくっている。黒球は俺の上でいつも通りだ。解せぬ。怖くないのか。カミラさんの時は隠れてやがったのに。


「マスター、抑えてください。怖がってますよ?」

「ん? おお、すまんかった。エレナの事となったら、つい気を張ってしまった。」

「……なんか雰囲気変わった。」

「ふふ、マスターはエレナが大好きだから。この行動力をいつも・・・発揮して欲しいですね?」

「はて? 何のことか、わからんな。」

「……ヴァルデさんが過労で倒れますよ?」

「大丈夫じゃろ。……っと、そろそろ帰ってきたようじゃ。」

「……もう、ですか。」


 話の展開についていけない俺は居心地悪くしていた。ヴァルデって誰だろ……誰か教えてくれ、と考えた時、黒球が俺を薄い膜で覆った。

 頭の位置を少しずらしたカミラさんのため息と入口の扉が開かれるタイミング、そしてじいさんの顔に雑巾が直撃するのはほぼ同時だった。

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