第37話 宰相の影(2)

 幾らか自分でもどうかと思うくらいに、挑発的に俺は説得を試みた。

 それこそ、こんな見え透いた挑発に乗るような男ではないだろう。


 だが、そうまでして、俺がこの男を止めようとしたという事実は、宰相なんていう地位まで登りつめた男を考えさせるだろう。


 コランタンが目を閉じた。


 体勢をそのままに静かにそこに立ち尽くすローラン元宰相。

 視界の情報を遮断して想いを巡らせているのだろう。


 その姿には静寂がよく似合っていた。


「お前にそいつの身柄を預けるという、それもまた面白いやも知れぬ」


「だろう」


「だが。どうやらそれは無理なようだ」


 何故かと聞き返す俺の声が風にかき消された。

 次いで俺の視界からコランタンが消える。


 どこに行った、何故消えた。


 俺の頭に浮かんだのはそんな言葉ではない。


 見失ったのではないからだ。


 

 気が付くと、先ほど抜けてきたマスカレード会場の天井の穴を再び潜り、会場の屋根を覆っている夜闇の中に俺は浮かび上がっていたからだ。


 何がいったい起きているのか。


 風。そう、風だ。


 けたたましい、俺を浮かび上がらせる程の突風。

 それが、何の前触れもなく、俺とコランタンの間に吹き荒れたのだ。


 そんなことが自然現象として普通に起こるようであれば、こんな所に街はない。


「なぜなら、と、聞きたかったのだろう。教えてやろう。私の護衛が、それを許さないからだよ、公国の狗よ」


 闇夜に響くコランタンの声。


「アンタの護衛?」


「お前たちのように魔法武装した狗共が我が国にも居ないと思ったか」


 天井に俺が開けた穴から、黒い影が飛び立った。

 風にのり、俺の横へと跳躍して接近してきたのは、全身黒装束の男。


 まるで人影がそのまま地面から飛び出してきたようなその男は、腰に結わえてあったそれを引いた。


 闇夜に冷たく光るはその刀身。

 繊月を思わせる反りを持ったその剣を頭上にかざす。


 その影は俺を赤い眼差しで俺を見つめていた。


「用心棒かよ。おい、止めておけ、戦うだけ無駄だぜお前、おりゃ不死身だ」


「不死身か。されども、首を落とされれば動けまい」


 風斬り音に反射的に身構える。

 守ったのは不穏な台詞を吐かれた、その首だ。

 左腕を前にして遮れば、首の代わりにかざしたそれが、スパリ、まるで麦穂の束を狩るように上下に別れた。


 たかが風。されど風。


 ユッテが炎を自在操るように、この影は、風を刃物のように操る。

 そうかこいつか。コランタンに変わってラルフを倒した魔法使いは。


「なんとも厄介な切り札を残してくれていたもんだ」


「そんじょそこいらのゴロツキを相手にしているんじゃないんだ。当然だろう」


 次いで俺の体を突風が襲う。

 切り離された左腕が裏手の林へと飛び、俺の体がそびえ立っている灯台の壁に打ち付けられた。


 左手を回復させないつもりなのだろう。


 おいおい、生命の林檎はあの大外道が人生をかけて作り上げた大禁忌だぞ。

 こいつの力を舐めて貰っては困る。


 何も傷をつなげるだけが俺の芸ではないのだ。

 ふんと力をいれれば蜥蜴の尻尾が再生するように俺の左腕に失われた手が生える。


 自分で言うのもなんだが気味の悪い光景だ。

 相手のやる気を削ぐにはよい光景だろう。


「頭をもいだら、なんだって?」


「ハッタリを。その胸の紋章がない限り、傷の修復ができないのは知っているぞ」


 なんとまぁバレてる。


 こんな風に欠損した体を埋め合わせるのに紋章の力を行使するには制約がある。


 頭が胴体につながっていること。

 その欠損した箇所が、胴体側であること。

 この二つだ。


 でないと切れた端から俺の複製がいくつもできてしまう。


 冗談はさておきとして、俺のハッタリは見事にその影に見ぬかれてしまった。

 天上の月の光は灯台の影によって届かない。暗い闇の中に溶け込んでしまってまるで姿の見えない影の刺客を求めて、俺は目を凝らした。


 闇の中にかすかだが、風に揺れている存在が見える。

 正直なところ分が悪いにも程があるな。


 なんだってそんな黒装束を着ているのだろう。

 趣味なのか、それとも職業なのか。

 聖職者だとでも言うのか。


 とんだ用心棒もいたものだ。


「なぁおい頼む、アンタからもコランタンを説得してくれ。これじゃ折角の機会が」


「残念ながらそれはできない。コランタン様ほどではないけれど、俺も、あの魔女をお前さんが捕まえられるとは思っていない。俺に追いつめられる程度の、お前が」


「何だこら。挑発してるのか」


「事実を言っているまでさ。実際、ここまで追いつめられておいて、よくそんな悠長な言葉がでてくるな。アイゼンランド公国民というのは、そういう気質なのか?」


「残念ながら、俺はアイゼンランド産まれじゃない。もっと遠い、東の方の人間さ」


「ほう、それはトゥーテを越えてか?」


「流石にそこまでは。まぁ、うちにもそこ出身の奴が、居るっちゃ居るがな。サムライ、っていう奴らが居るところだろう。そこまでは行かねえよ」


「サムライを知っているか。不死者だけあって流石に世間は知っているか」


 しかし、と、黒い影が呟く。


 影の中から枝が生える。

 多くの木がそうであるように、枝の先には葉と枝が生えているものだ。


 しかし影の主は人である。

 人の手に葉と枝は生えない。


 街から届いた微かな光にその葉の縁が冷たく光る。

 それはどうにも暗器のようだった。


「だが、東国の民は何もサムライだけではないぞ」


 こういう者も居ると知れ。


 無動作にその影の中かから刃が飛ぶ。

 恐らく手にしていたであろうその鋭利な何かを放てば、それはどうしたことか放物線を描いて曲がりくねってこっちへと飛んでくるではないか。


 曲芸みたいな技だな。


 いや、感心している場合ではないか。


 ここは俺も本気で相手をしなくちゃならん。

 命は幾らでもある。

 だが、こんなの相手に無駄打ちするほど、自由に使って良いもんじゃない。


 懐から一本のナイフを取り出す。

 俺のとっとき、困ったときの神頼み。


「今日は久方ぶりに魔装の大放出だぜ」


 圧縮魔装を解けばたちまちそれはロングソードに変わる。

 細く、長く、黒い波紋状の紋様が入ったそれは、ただの剣ではない。


 先ほど天井に穴を開けたものと同じくこれも魔装武器である。

 飛んでくるその影に向かって一振り。


 すると、俺が握りしめている剣の刀身は霞のように消える。


 構わず、その柄を振る。


 振る。


 キン、と、夜空に金物が打ち合う音が響く。

 何度も何度も、火花を散らして、それは刃の形も見えぬ闇の中に響いた。


「ほう、なんだ、その術は?」


「術って言うほど大したものじゃねえよ」


 夜目が効くのか、それとも俺と同じように、それの気配を察しているのか。

 その暗闇の中で何が起こっているのか、察した影が口を開いた。


 そうこうしている内に。


「ほれ、誰が、お前さんを相手に苦戦しているだって」


 俺の伸ばした蛇剣の刃が、その影の首周りを這いずっていた。

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