第17話 教会(2)
「お待たせしました」
湯気立つ桶を手に戻ってきた彼女。
一緒に布も変えてきたのだろう。
彼女の肌と同じように、汚れ一つないそれが桶の端にはかかっていた。
さきほど座っていた場所と、そう変わらない所に膝を折ると、彼女は布を絞る。
手持ちぶたさ、そんな彼女の準備を待っている間がなんだかむず痒い。
「パウラ。君はどうしてこの教会に?」
俺はつい失礼を承知の上で、そんなことを彼女に訪ねていた。
布を絞る手を止めずに彼女は少し顔をこわばらせた。
そして、話してもいいか、と、いうような、少しだけ気を緩めるような表情をすると、彼女は俺に「後家、なんです」と、ポツリと呟いたのだった。
「主人、いえ、顔も合わせたこともない相手なので、婚約者、が、正しいですかね」
「なんでまた」
「縁談が決まって嫁入り、という所で、彼が隣国との国境付近で争いに巻き込まれて。ヒルデ様に言った通り、私には頼れる身寄りがおりませんでしたので、それで、そのまま尼になったんです」
「最近の話しかい? ヒルデは、随分久しい様子で言っていたが?」
「もう五年ほど前の話になります。それから、色々な方のお世話になって。今はこうして、ここの教会の神父様にお世話になって居るんです」
重たい話だというのになぜか、くすり、と、彼女は口元を抑えた。
「ヒルデ様には黙っていていただけますか」
「それは構わないけれども。どうして?」
「もう何もかも捨ててしまった心地で居たんですけれど、ヒルデ様に会った時、つい隠してしまった自分が少し恥ずかしくて、どうにもおかしくって」
「そんなことはないだろう」
「父も母も兄弟も捨てて、俗世から離れて神に仕えることを選んだはずですが」
口元を隠しておかしそうに笑う。
自分の至らなさをそうやって笑って受け止めれる。
それは彼女が強い証拠だろう。
ごめんなさい、と、また微笑む。
彼女はすぐに布を絞ると、俺の肌を拭き始めた。
貧困に喘ぎ、結婚という道も奪われ、神に仕える事を選んでなお、それでもこうして自分の境遇を笑うことができる強さ。
それを、俺は素直にいじらしいと思った。
「分かった黙っているよ」
「しかし、びっくりしました。あの、ヒルデ様が、まさか結婚しておられたなんて」
「妻くらいの年齢の女性なら、結婚している方が普通だと思うがね」
未婚のヒルデに対する嫌味のつもりでいった。
とっとと身を固めちまって、魔法部隊から出て行ってくれないもんかね。
俺はやりにくくてかなわんよ。
ただ、そんな俺の言葉にパウラは首を振った。そ
してまたおかしそうに口元を抑えると、俺の太ももの辺りを、温かく湿った布で拭きあげたのだった。
「時は人を変えるものですね。私の知っているヒルデ様と今のヒルデ様はまるで違う。面影こそありますが、とても同じ女性とは思えません」
「そんなにかい?」
「幼い頃のヒルデ様は、それはそれは可憐で。きっとこの世で誰よりも、お姫様という形容が似合う、そんな娘さんでしたわ。性格も天真爛漫を絵に描いたようで、そのなんでもない一挙手一投足が輝いているような、そんなお方」
その天真爛漫さは今では傍若無人に変容した。
そして、大の男を顎で使うような女丈夫になってしまった。
実際魔法の内容も女偉丈夫だ。
ほんと昔の面影はどこへ行ってしまったんだろうね。
今からでも子供に戻ってやり直してくれんかね。
「わたし、そんなヒルデ様と友達なのがすごく嬉しくって。彼女と一緒に居られることが楽しくて。リーツ卿のお館を離れる時は、泣いてダダをこねましたのよ」
「へぇ。だったら、ヒルデからしても、君がこんな素敵な女性になっていたのは驚きだったかもしれないね」
実際に驚いていたが。
普通の人間にとって歳月というのは、最も大きな影響を与える魔法だ。
年齢による外見の変化や、世間から求められる役割というものに、人は常に自分を変容させていく。
幼く世間を知らなかった少女も、やがてそれを知り、連綿と受け継がれてきた人の社会の仕組みを知り、そうしている内に自分の役割というものを自覚する。
それに従順に従うのも、従うふりをして舌を出すのも、また、従わずにその中から飛び出すのも、それは当人達の自由というものだ。
だが、それでも、結果、それまでの自分では、人間は居られなくなるものだ。
それは永遠を生きる俺とて同じこと。
あのヒルデもそうだ。いつまでも、少女のようなことを言っていられない。
けれどもそんな俺の思考を否定するようにパウラは首を横に振る。
「違いますのよ。そういうことではございませんの」
「へぇ、それはどういう」
「それは言えませんわ。ヒルデ様のためにも、貴方のためにも」
まるでそれを、自分の身の上を語らせた意趣返し、だとばかりに。
意地悪な笑顔をこちらに向けてくるパウラ。
修道女にしておくには、どうにも中々に勿体無い器量だ。
思わず、口説きそうになった所で、まるで手慣れた感じに、彼女はさっさと俺の視線から消えると、見えない俺の背中を布でこすり始めたのだった。
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