第15話 異国の夜(4)
そんな気配はなかった。
尾行もなかった。
探知されるような要素も何もない。
魔力の流れも感じない。
だのに、何故だ。
いったいどこからだ。
逸れ無道の魔法使いか。
辻で人を襲って悪魔への供物とする外道のそれを俺も知らないではない。
だが、神聖なる教皇会議を控えている街で、そんな通り魔だなんて恐れを知らぬも良いところではないか。
なんだ。
誰だ。
どこから来るのか。
俺は闇の中に目を凝らしながら、ボロの中に潜ませておいた、得物のナイフを全て手に取り構えた。来るならば、来てみろ。
夜風が上空から吹き付ける。
悲しいかな、先程まで明るい言葉を発していた、ミアの首が乾いた風に転がる。
その首に、光る白線が走ったかと思うと、それは突然暗闇の中から現れた。
「信仰とは常に己の内にあるものであり、発言を必要としないものだと私は思っている。とかく、この世というのは目に見えるものにとらわれて過ぎている。その、目に見える枠の外側にのみ、神聖と心理というのは存在している」
「なんんともこれはこれは、丁寧なご高説をどうも」
ミアの頭蓋が粉砕され、半分に割れたそれ。。
もはや人であったことさえわからぬ。
裂けた柘榴のようになった彼女の頭が側溝へと転がっていく。
女の血で濡れた切っ先を、冷たい目で眺めているのは、白い髪に痩せた頬の大男。片方だけ異様に長い前髪を柳のように揺らして、ひたひたと、湿った足音を鳴らしながら、そいつはこちらへと近寄ってくる。
握りしめているのはその身長ほどある槍。
だが、ただの槍ではない。
月の光にその形を浮かび上がらせるだけではなく、まるで蜃気楼のように、彼の手の中でその影が揺らめいているのを俺は見た。
「それで、アンタのその持論で行くと、このめでたい日の無残に過ぎる行為は、神への不敬ではないって、そう言いたいのかい?」
「分かっていないようだな」
「あんだって」
「私は無神論者だ」
「笑わせてくれるじゃねえかよ異端審問官が。それかあれかい、神罰の名のもとに、人を屠るのが楽しくてなっただけの狂信者ってか」
闇の中に揺らめいているその外衣は間違いなく教会の異端審問官のそれである。
そして、肩に入った十字の星の数から、彼が上級の――俺に過去に差配していた立場に近い階位を持ち合わせている人間だ。
異端審問官。
教皇の勅令の下に教化圏内において、異端、すなわち教会に対して災いを呼び起こす者を、独断によって裁く権限を与えられた者たちを指す。
審問と、裁判の前の聴取を行うとされる彼ら。
だが実際は、有事に対し先手必勝を常とする、教会の忠実な暗殺者集団である。
手にしている魔装もまた、そこいらの魔法兵が持つにしては過ぎる品。
粗悪な量産品の装備などは言うに及ばず。
そこかしこに名のしれた有名な魔法使いをも垂涎する一級品の魔装具を使う。
奴の持っているそれもまた、教会が集めたそんな物の一つだろう。
蜃気楼の様なその槍の先が消えた。
かと思えば、俺の右腕が空中を舞う。
何が起こったのか分からない。
まるで、空間ごと、何かにこそぎ落とされたように、俺の右腕は、突然にもげると、ミアのそれと同じように宙を舞った。
「ほう、面白な。悲鳴でもあげるかと思ったが、顔色ひとつ変えない」
「だろう。ついでに、少しおもしろい物を見せてやる」
そう言い、俺はちぎれた右腕を拾い上げ、左手を添えてもげた元へと据え付けた。
胸の林檎から、魔力の根が伸びれば、それはたちまちのうちに俺の切断された右腕を、元のとおりにつなぎ留める。
切れたことさえわからぬ塩梅に、傷痕一つ残さずに。
男がふむと呟いた。
「なんと。不死者か、貴様」
「そうよ。どうだい、一つ、俺を倒して、審問官として株を上げるというのは」
俺のような教会に属さない教会の汚点を狩るのもまた、異端審問官の役目だ。
是非にあらず。
言うが早いか、男は姿を消す。
そして、ただならぬ殺気と共に闇の中から俺へと攻撃を仕掛けてきた。
暗黒の中から伸びる槍の雨。
相変わらず、その太刀筋も攻撃方法も分からない。
仕方なく俺はそれを、先ほど直したばかりの右腕で受け止める。
「なに、この程度、致命傷じゃない」
しかし、右腕を避けて、再び体の違う箇所を痛みが襲う。
心臓、ではない。
脊椎、でもない。
頭蓋、瞳孔、人体の最も脆いだろう穴を貫くその一撃。
流石の俺も刺さったという事実を把握するのに時間がかかった。
だが。
人間の反射というのは、時に、意識を上回って作用する。
「つが、まぇ、だぁっ!! ぜぇっ!!」
手の中に確かに感じる槍の握り心地。
捉えた、と、俺は目前に居るだろう、異端審問官に向かって得意の魔装ナイフを投げつけると印を切ってみせた。
今度はてめえが刺し貫かれる番だぜ異端審問官。
てめらにお誂え向け、長槍、ハルベルト、フラムベルクと、レイピア、ダガーとより取りみどりに、ナイフに圧縮しておいた。
魔術による圧縮を解除されて、その全容を現す俺の獲物たち。
しかし、それが元の姿に戻った時、その刃先に、異端審問官の血肉はなかった。
どころか。
「あえ」
頭が砕ける感覚。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、その全てが瞬時に奪われた。
それが意味することはつまり頭部の破壊。
人間の体を統合する最高の基幹の喪失。考えうる死の中で、もっとも致命的で、もっとも乱暴だが、最も確実な殺戮方法。
胸の林檎がそれを治すにも、頭部への一撃は俺の動きを止めるのに十分だった。
いったい、どこにあるのか、宙を舞う俺の脳髄と、それにぶら下がった眼球が、闇夜の中に笑って、俺を刻みつける異端審問官の姿を捉えていた。
ちくしょう、やってくれやがる。
「不死人が、不死人が!! 俺が、お前のような輩を、初めて相手にすると思ったか!! 摂理より外れて、神にでも近くなった気でいたか、悪魔め!!」
その体、百にも千にも切り分けて、教会への忠誠忠義の供物としてくれる。
男が聖職者に有るまじき高笑いを上げた。
と、その時。
闇の中に突然にして強い風が吹いた。
気を許せば吹き飛ばされそうな、そんな程度の風だ。
まるで岩肌の多い峻険な山の峰に吹く、人を谷底へと攫うようなそれ。
異端審問によって刻まれた、俺の体の幾つかが、それに吹き飛ばされる。
なんとか、これを治そうとする林檎の呪いによる激しい再生の中で、俺は男の視線が俺から興味を失ったのを知った。
「来ているのか?」
異端審問官のその手が止まる。
胸が、肩が、首が、顎がと、俺の体を治癒の魔法が走る。
ここぞとばかりに急ぎ俺の体の修復にかかる生命の樹の呪法。
すっかりと、顔の形を再現して、手近に落ちていたハルベルトを握りしめた時には――既に、異端審問官の姿はなくなっていた。
「……なんだっていうんだ。こりゃ、いったい」
残された惨状。
汚泥と俺の肉片と交じり合って、ピンク色のスライムのようになったミアの頭部を眺めながら、俺は月下に消えた男をしばし闇の中に探した。
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