第5話 内海の都(5)

「そこは私も考えてある」


 と、抜け目なく言いうニコラウス。

 彼が指を鳴らすと部屋の外に詰めていた侍女たちが、何やら恭しい様子で盆を持って中へと入ってきた。


 紅色をした盆の上に置かれているのは、金糸で縫い込まれた紋章。


「こいつはいったい」


「ほう、なるほど、やるな流石はニコラウス」


 一人納得したのはフリッツ。

 紋章の一つを手に取ると、別に自分の仕事でもないだろうに、したり顔をした。


「帝国の没落貴族をこの短期間で買収するとは。グリッフにフルスとは良い判断だ。あの辺りは、先々代が大所帯で土地を細かく割りやがったおかげで、誰が治めているのかまともに分からないからな」


 内偵任務が長いフリッツが褒めるのだ。


 うってつけの没落貴族。

 そして会議や夜会に参加していてるのに周りが納得する相手なのだろう。


 あえてそれ以上何とも言わなかったが意図は分かった。


 この帝国側の貴族に化けて、教皇議会へと紛れ込む、ということだろう。

 先ほどフリッツも言ったが――よくこの短期間で話をまとめられたな。


 ニコラウス自体は確かに内外の評価の通り無能に違いない。

 陣頭指揮もおぼつかなければ、国家間の会議の席での発言も頼りない。


 だが、こんな頼りない男を慕って、というよりかはおおいに心配して、進んで協力する奴らが多くいる。


 王室から政府・軍隊に至るまで、どころか市井の商工ギルドや大学にまで及ぶ。

 偉大なるかなその人柄の良さから来る影響力。


 彼らが協力した時の組織力は、ウチの正規軍の諜報部隊にも引けをとらない。


 普段は争いごとなどとはほぼほぼ無縁。

 のほほんとした顔をしているくせに――なかなか侮れない男なのだ。


 まぁ、その組織の一部に所属している俺が言うのもなんだが。


「急な話だった為、流石に三組は揃えられなかったがな。あと一組は、うちの商業ギルドの長に話を付けてある。そこの代表という形で紛れ込んでもらう」


「貴族様に商工ギルドの代表ね。必然、人を選ぶ訳だが」


「俺は商工ギルドの代表で。貴族ってのは柄じゃねえよ」


「おいおいルド。お前のその学の無さそうな顔で商工ギルドの代表はないだろ。田舎貴族の野盗崩れなら話は分かるが。早番ボロ出して怪しまれるだけだっての」


「同感ですわ」


「てめぇ、フリッツ言ってくれるじゃねえか。ヒルデも何を同調してんだよ」


「まぁ、二人の言うとおり、商工ギルドの名代というのは人を選ぶ。この役は、やはりリヒャルトに任せようと思う。問題ないな、リヒャルト」


「ぼ、僕かい!? 急に言われても、それに、単独行動というのは、あまり」


「心配しなくても、お前のような呑兵衛を祭りの場で単独行動なんてさせんよ」


 ユッテ、と、ニコラウスが視線をリヒャルトの隣へと移す。

 いきなり話を振られたユッテはきょとんとした顔をしながら自分の頬を指差した。


「お前はリヒャルトの馴染みの用心棒ということで同行しろ。面倒をみてやれ」


「おう、任せろ」


 どこぞの誰かとは違って、いやがる素振りも見せず、ユッテは首を縦に振った。


 指名された時は青い顔をしたリヒャルト。

 しかし、ユッテの名を聞くやほっと胸を撫で下ろす。


 隊内でも随一の非戦闘員である彼だ。

 敵地で孤立するのを恐れるのは仕方ない。


 ご自慢の魔装銃があるとは言っても、あくまでそれは護身用。

 いざ多勢に無勢というような状態になってしまえば、まず生きては帰れない。


 その点、女だてらに豪傑。

 一級品の火炎魔術と腕っ節を持ち合わせているユッテが付いていればひと安心だ。


「ユッテが付いててくれるなら一安心だ。よろしく頼むよ」


「そりゃこっちの話さ。貴族様なんてアタシの柄じゃないからね。用心棒ってのなら、やりやすい」


「なるほどねぇ。まっ、うってつけの人選なんじゃないの」


 フリッツがまるで二人をからかうような口ぶりで言った。


 実際、この面子では、リヒャルトとユッテを組ませるのは妥当なように思う。

 それでなくても、二人とも共に組んで作戦に挑むことは多い。

 男女という性別の違いこそあれいいコンビである。


 問題点があるとするなら食事についてだろう。


 かたや胃袋の底に穴が空いたような呑兵衛。

 かたや胃の中に龍でも飼っているんじゃないかという大飯ぐらい。


「教皇会議の開催中は街全体でパーティーをやってるんだろう。あの辺は食べ物が豊富だし、どういう名物が食べれるか楽しみだぜ」


「僕も楽しみだよ。あの辺りはワインの一大生産地でもあるしね。なにより近くに貿易港があるおかげで、亜洲から東国まで、色んな国の酒が」


「ユッテ、リヒャルト。物見遊山に行くわけではありませんのよ」


 二人が口を開くたびに高まっていく不安。

 それを窘めるようにヒルデが空気も読まずに釘をさした。


 本当に、大丈夫だろうかね。

 任務そっちのけで食道楽に走らないか、それだけが心配だ。


 とぼけた空気を元に戻すように、こほり、と、咳払いしてニコラウス。


「という訳で、残ったルド、ヒルデ、フリッツ、ヘルマ、四人を二組に分けたいが」


「ルドだけはお断りですわ。ヘルマ、一緒に組みましょうか」


「俺だってお前と組むのなんてお断りだよ。というか普通に考えて、組んで演じるのは貴族の夫婦役だろうが。なんで同性を選んでんだよ」


「フリッツと私とでは夫婦役には無理がありますわ」


 年齢的にか、それとも外見的にか。


 ツンとすました顔をふいと横に振るヒルデ。

 確かにこいつはそんじょそこいらの野暮ったい男が横に立つには荷が重い。


 そこに加えてフリッツは、見た目老人で言動は飲み屋のおっさんそのもの。

 美女と野獣というよりは、美女と老馬だ。


 釣り合わんというその判断は珍しく間違ってはいない。


「私は別に構わないけど。けど、そうなると、男二人のアバンチュールってことになって、それこそ目立つことにならない?」


 ヒルデの申し出に一番困った顔をしたのはヘルマだ。

 野暮ったい濡羽カラスの髪の毛をくるくると指先で巻きながら、ヒルデとは違う方向にそのそばかすで彩られた鼻先を彼女は向けている。


 上手いこと言って誤魔化してはいたが――生粋のお嬢様であるヒルデに対して、農民出身のヘルマはある種の苦手意識を持っている。


 こういう突拍子も無いことを突然に言い出す辺りからして、ヒルデの奴は言うまでもなく世間知らずである。女同士とはいえ組むことに躊躇するのはしかたない話だ。


 世間を知ってはいるがズレているユッテや、そもそも生きてきた世間が違うウドは別として。一般人からすれば、彼女の価値観に合わせるのは中々に苦しい物がある。

 それが四六時中ともなれば――後はご察しというもの。


 他人の名前を引き合いに出しても逃げたくなるだろう。


 こう言ってしまえばまるでヘルマが嫌な奴みたいだが、逆だ。


 ヒルデがあんまりに我儘過ぎるのだ。


 普段の素行を考えれば、こうしてまともに付き合ってくれるだけまだマシだろう。

 ヘルマの人の良さに、感謝するべきだろう。


「なんですの? さっきからこちらを見て」


「いや、別に」


 俺の視線に気がついてヒルデがこちらを睨み返してきていた。

 その不必要な場面での注意深さを身近に活かしてくれればいいのだがね。


「そうかい、そんな珍しいかね」


 と、ここにフリッツがまた余計なことを言う。


「祭りの賑わいに紛れて、ここぞとばかりに男の愛人とアバンチュールなんて、ウチの国でも外の国でもよく見る光景だぜ」


「きょっ、きょきょ、教皇会議ですのよフリッツ!! そこいらの豊穣祭とは違いましてよ。だいたい男色は教義で禁じられていますわ」


「いや、言い出したのはお前だろうがよヒルデ」


「ルドルフとヘルマの言うとおりだ。不必要な所で怪しまれるようなことはしたくない。ここは貴族の夫婦。場合によっては親子という形で潜入してもらいた、うん?」


 場をおさめようとしたニコラウス。

 その肩が振っても居ないのに急に縦に揺れた。


 なんだと振り返ったニコラウスと俺たちの視線の先には――。


 いつ移動したのか、マヤが居た。


「マヤも、行く!! お留守番、やだ!!」


 部隊預かりとなってからそう長くはないマヤ。

 だが、彼女のきかん坊は割りと早い段階で隊内のメンバーの知る所であった。


 そんな彼女が行くと言い出したからには、もう仕方がない。


 彼女の相手をするのに、ヘルマはともかくフリッツでは力不足。

 というよりは、隊内随一の諜報力を誇るこの男の行動を制限するのももったいなく、必然、候補から外れる。


 となれば。

 あとは、リヒャとユッテに預ける。

 あるいは、俺とヒルデ、もしくはヘルマのどちらかとなるのだが。


「ルド、ヒルデ!! 一緒に行こ!!」


 これまたいつ移動したのか。

 二の腕をぐいと掴まれて、名指しで父母役を指名されてしまっては仕方ない。


 こうして不本意ながら、俺とヒルデ、そしてマヤの三人は、地方貴族の男爵一家として、教皇会議に出席する運びとなったのだった。

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